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13−2:ずっと好きだったから 2

「——天野ちゃんの連絡先ゲットしたって、本当か? 返答次第では斬る」  一体、何で斬るというのだろう。高牧が朝から絡んでくるのに、俺はうんざりした表情を浮かべた。  俺の机に頬杖をついていた御子柴が首を傾げる。 「お前、天野と仲良かったっけ?」 「あー、いや。今朝、たまたま下駄箱で一緒になって。なんでか知らないけど、ID教えてって言われて……」 「天野ちゃんから言われたのかよ、自慢かテメェ」  高牧がずいっと顔を寄せてくる。小バエを払うように、御子柴がその額を叩いた。 「いてっ」 「教えて欲しいなら、天野に聞けよ」 「聞けねえから言ってんだろ。高牧くんのピュアピュアハートをナメんなよ!」 「知らねー。宇宙の果てまで知ったこっちゃねー」 「いいよな、すでにオトモダチな奴らは!」  すると、御子柴が眉を顰めた。 「いや、俺、知らないけど」 『えっ?』  期せずして俺と高牧の声が重なった。 「ハモんな」 「いや、だって……」 「なぁ」  高牧とどちらともなく顔を見合わせると、御子柴は心底嫌そうに眉間の皺を深めた。そして何故かまた高牧の額を叩く。  当然、抗議する高牧としれっと無視する御子柴をよそに、俺は手元のスマホをそっと見下ろした。  天野さんはもしかしたら俺を通じて、御子柴の連絡先が知りたいのかもしれない。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、じゃないけど……そういうことなのかと。  別にそうだとしても、一向に構わなかった。ま、そんなもんだよな、と思う。むしろ約二年間も連絡先を聞けなかった天野さんの慎ましさに、同情を覚えるくらいだ。  そんな天野さんを俺は欺いている。きっと、一番酷い方法で。  あの眩しい微笑みを思い出すと、じくっと胸が痛んだ。  夜、風呂から上がって髪を拭いていると、洗面台の上に放り出してあったスマホが震えた。濡れ髪のままちらっと見やれば、天野さんからのメッセージだった。 『今朝はごめんね。ID教えてくれてありがとう』  ドライヤーを吹かしながら、画面の上に指を滑らせる。 『こっちこそぶつかってごめん』 『ううん』『今日の持久走、しんどかったね』 『女子は十周だったっけ』 『そう。男子は十五周だったよね。そういえば御子柴くん速かったね』  突然出てきた字面にどきりとする。俺はドライヤーのスイッチを切った。 『あいつマジでなんでもできるよな』 『ちょっとズルいと思う』 『確かに』  会話が途切れる。俺はいたたまれなくなって『御子柴の』と打ち、そこでやめた。  言われてもないのに、あいつに取り次ごうか、なんて大きなお世話もいいところだ。  それに……御子柴だっていい顔しないだろう。俺は人の感情の機微に聡い方ではないけど、それぐらいは分かる。 『でも病み上がりなのに走ったりして大丈夫だったのかな?』  俺はとっさに洗面所の鏡を見た。上半身にうっすら残る鬱血の跡を凝視する。  なんと返していいか悩んでいるうちに、洗面所のドアがどんどんと叩かれた。 「ハルくん、まだー? 美海もお風呂入りたいんだけどー」 「あ、あぁ、今出る」  手早くトレーナーを着て、洗面所を出る。すれ違いに入ってきた美海はぷりぷり怒りながらドアを閉めた。  そういえば台所に洗い物がまだ残っている。俺はこれ幸いに『用事があるから、ごめん。また明日』とだけ返し、リビングのローテーブルにスマホを裏返して置いた。 *  今日は二月とは思えないほど暖かかった。燦々と太陽の光が降り注ぐ屋上で、いつものように御子柴と昼飯を食べる。というか、御子柴はすでに食べ終わっていて、珍しくスマホを眺めていた。  俺はコッペパンをかじりながら、その様子をちらりと見やった。  もしかして昨日の今日で天野さんと連絡先交換したとか……? 妙な勘ぐりをとっさにカフェオレで流し込む。  すると、御子柴が急にむすっと口を曲げた。 「えー、なんだよ。つまんねー」 「は、何?」  御子柴はこちらに体を寄せて、スマホの画面を見せてくる。 「ほらこれ。十八歳以上でも高校生はラブホ行けねーんだって」 「ぶッ——!」  カフェオレが思いっきり気管に入った。げほごほ咽せている俺を意にも介さず、御子柴は続ける。 「つっても、俺らまだ十七だけどさ」 「バッ……げほっ、バカなのか、お前は!」 「え、なんで?」  とぼけたような表情が一転、意地の悪い笑みを浮かべる。俺は腹の底から叫んだ。 「うるさい、ほんとムカつく!」  怒りを口元のコッペパンにぶつける。特に腹も空いてないのに、餓えた獣のようにパンを噛み千切った。  ポケットの中で携帯が震える。取り出して見ると、天野さんからだった。 『五時間目と六時間目入れ替わったって。次、選択授業だから気をつけてね』  その親切なメッセージにささくれ立った心が洗われる。 『教えてくれてありがとう』 『うん、御子柴くんにも伝えておいてね』  天野さんからその名前が出る度に、鼓動が変な音になる気がした。俺は『分かった』とだけ返信する。天野さんからくまのキャラクターのスタンプが送られてきて、会話は終わった。 「普通のホテルだったらいいのかなぁ……?」  スマホの画面を睨みながら、御子柴は首を捻っている。俺は密かに溜息をついた。  今週は掃除当番だった。掃除の担当は自教室と特別教室に分かれている。うちのクラスの担当である音楽室の床にモップをかけていると、同じ班である女子の一人が声をかけてきた。 「水無瀬、水無瀬。ちょっといい?」  篠山朝霞。気の強そうな太い眉が特徴的な女子だ。実際、その小柄な体格からは想像も付かないほど、はっきり物を言うタイプである。正直ちょっと苦手だ。  篠山は肩につくぐらいの髪を揺らして、ちょいちょいと俺を音楽室の端に手招きした。気が進まないながらも、仕方なくついていく。 「何?」 「あんた最近、游那とよく喋ってるってほんと?」  またそれか。篠山は天野さんとグループが一緒だ。小学生からの付き合いらしい。 「別に。ケータイで時々やりとりするだけ」 「あの子から聞いてきたんだよね、連絡先」 「そうだけど、それが?」 「いや、すっごい珍しいことだからさ。気になって」  篠山は他の班員の手前、雑巾で窓を拭きながら、続けた。 「游那に聞いても『なんでもないよ〜』の一点張りだし。ねえ、ひょっとしてあんたのこと好きなのかな?」 「それはない」 「ま、だよね。とすると、ついに動いたか、あの子」 「……御子柴目当て?」 「言い方気をつけろ。ずっと一途だったんだからね」  篠山の顔が引きつるのに、俺は思わずたじろいだ。友達思いなんだろうけど、やっぱりちょっと怖い。 「余計なおせっかいかもしれないけど、協力してやってよ。あんたも見たいでしょ、学校一の美男美女カップル」  別に見たくはない。……色んな意味で。俺がいまいちピンときてないことを察したか、篠山は畳みかける。 「澄ました顔してるけどさ、御子柴も絶対游那のこと好きだと思うんだよな〜。ね、なんかあいつから聞いてない?」 「聞いてないし、聞いてても言わない」 「なによ、ケチ。あたしたち、同志じゃん」 「何のだよ」  モップをバケツにつけ、ローラーで水を絞る。床掃除を再開しても、篠山は尚も執拗に俺を追いかけてきた。 「ねえ、游那のこと応援してよね」  俺は答えず、一心不乱に床を拭いた。その一言一言が俺の肩に重くのしかかることを、篠山は知らない。 *  掃除道具を片付けて音楽室を出る頃には、とっぷり日が暮れていた。  じゃんけんで負けた俺は焼却炉までゴミを運ぶ羽目になり、とぼとぼと校舎の外周を歩いていた。  煤塗れの焼却炉にゴミ袋を放り込み、なんとか任務を終える。  一人きりの校舎裏は静かだった。雑音がないここにいると、ひどく心が安らぐ。俺は両腕をあげて体を伸ばすと、深呼吸をして、空を仰いだ。  頭上には夕暮れ空が広がっていた。その下に屋上のフェンスが見える。ふとフェンス際に人影を見つけ、俺は驚きに目を見開いた。 「え……天野さん?」  長い髪が屋上の風になびいている。天野さんはフェンス越しにじっと街並みを見つめていた。  一人きりで、こんな時間に屋上で——何を?  そんなことあり得ないはずなのに、恐ろしい想像がよぎる。俺は急いで、スマホを取り出した。  メッセージアプリの音声通話ボタンを押す。屋上の影が何かに気づいたように、手元を見た。 『あ……もしもし? 水無瀬くん?』 「ご、ごめん、急に。天野さん、もしかして今、屋上にいる?」 『えっ、どうして分かるの?』 「下見て。焼却炉のあたり」  天野さんはフェンス越しに眼下を覗いた。そして俺を見つけ、ひらひらと手を振った。 『わ、偶然。そっか、掃除当番だっけ』  明るい声に安堵の息を吐く。どうやら俺が心配していたようなことはなさそうだ。 「そんなところで何してるの?」 『えっと……ちょっと黄昏れてた。あはは』  口調に空元気が混じっている。俺はついに見て見ぬ振りができなくなり、思い切って言った。 「あの、的外れだったら、あれなんだけど。天野さん、何か悩んでる?」 『え?』 「それって……俺が聞けること?」  しばしの沈黙が流れた。そして天野さんは小さく呟いた。 『あのね』  電話越しにも、躊躇いが感じられる。 『水無瀬くん、あのね……』  天野さんはそれきり喋らなくなってしまう。それでも俺は辛抱強く次の言葉を待った。  すん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。天野さんはやがて絞り出すように言った。 『もし良かったら、今から教室で会えないかな。聞いて欲しいことがあるの……』 「分かった、すぐ行く」 『ごめんね、水無瀬くん。ごめんなさい……』  消え入りそうな声を残して、通話は途切れた。俺は掃除の疲労も忘れて、昇降口へと駆け出した。

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