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13’−1:連帯責任 1

「あの……御子柴くん、もしかして謝ろうとしてる?」  肩をぶるぶると震わせている俺を見て、天野が顔を引きつらせた。  すぐ隣からはアイスピックで突き刺すような視線が送られている。その温度たるや、今、屋上に吹いている風にも負けないほどの冷たさである。  水無瀬は腕を組んで、目を眇め、じっと無言で俺に約束の履行を迫っているのであった。 「くっ……うう……」  俺は歯を食いしばって、どうにか膝を折ろうとする。  俺が中学の頃、親父が夢中になって見ていた、銀行員ドラマの悪役の気持ちが分かる。主人公にこてんぱんにされ、呻きながら膝を着いていたあの姿も今なら納得できる。  土下座は……土下座とはこんなにも難しいものなのか。 「う、ぐうう——」 「待って待って待って、いいから! もうほんといいから!」  慌てふためく天野に、俺ははっと顔を上げた。本人がこう言っているのだから、これは恩赦というやつでは? 目を輝かせて横を見ると、水無瀬は俺と天野を見比べて、短い溜息をついた。 「天野さんがそう言うならいいけど。でも謝れ」  ぐいっと後頭部を押さえつけられ、無理矢理頭を下げさせられる。もはやこれぐらいならいくらでもできる気分だった。 「この度は俺の軽率な行動のせいで大変ご迷惑をおかけしました。あと昨日は本当にすいませんでした。睨んだつもりはなかったんですけど、怖がらせてしまい、申し訳ありませんでした……」 「あ、あはは、あれ無意識だったんだー。すごく怒ってるのかと思っちゃった」  水無瀬の手が頭から離れる。天野はほっと胸を撫で下ろしていた。その笑顔を見ていると、とても可愛らしいと思う。素敵な女の子だ。天野は昨夜ああ言ってくれたけど、やっぱり俺にはもったいない。  ——確か昨日、午後七時を回った頃だった。  じーちゃんの使っていたピアノ部屋に入った俺は、床に座り、まず全身のストレッチをしていた。  フランツ・リスト曰く『五本指の手が二つあると思うな。体から十本の指が生えていると思え』——指は手首に、腕に、肩に、背中に、全身に繋がっている。怪我や故障の防止のためにも、常日頃から体全体を意識しろというのは、うちの先生も口酸っぱく言っていることだった。こうなるとピアニストはある種のアスリートだな、とつくづく思う。  指のストレッチも終え、ウォームアップにブラームスの練習曲を弾き始めた時だった。部屋の扉がノックされて、ばーちゃんがやって来た。 「涼馬、クラスメートの天野さんっていう方からお電話よ」 「天野?」  ピアノの音が止む。わざわざ電話を掛けてくるとはよっぽどのことかもしれない、と思い、俺はばーちゃんについていった。  うちの家はいわゆる二世帯住宅で、防音室を出てすぐばーちゃんとこのリビングがある。広い母屋を娘家族に譲り、ばーちゃんはこちらの離れでこじんまりと暮らしていた。  リビングにある古めかしい電話台の上の親機を取る。電話口からは教室で聞き慣れた天野游那の声がした。 『もしもし、御子柴くん? 突然ごめんね』 「いや、いいよ。どした?」 『あの……今って大丈夫? 時間あるかな』 「うん、平気」  俺は二つ返事した。天野の声があまりにも心細そうだったのと、彼女については俺にも気になることがあった。  水無瀬と連絡先を交換したことだ。俺は少しだけ懸念していた。嫉妬という言葉を使わないのは矜持の問題である。  なんでかな。  ……天野は俺のこと好きだと思ってたのに。  などと、人の心を秤に掛ける行為が、褒められたことではないという自覚はある。俺は自分のやましさを密かに恥じた。 『急に申し訳ないんだけど、できたら今から会って、話したいことがあるの。……どこか、二人で会えるところないかな』  ああ、でもやっぱりそうか。自慢じゃないが、こういったことは両手じゃ足りないぐらいの回数経験してきたから、すぐ察しがついた。 「俺んちの近くに岡田公園ってあんの分かる?」 『うん、知ってると思う』 「そっか。あ、暗いし、天野ん家教えてくれたら迎えに行くけど」 『う、ううん、近所だから大丈夫。じゃあ、そこに行くね』 「おー、待ってる。気ぃつけてな」 『……ありがとう』  ばーちゃんに出かけてくると言い置いて、俺はそそくさと家を出た。  住宅街は静寂に満ちていた。暗い夜道を等間隔に並んだ外灯がぼんやりと照らしている。  これから起きるであろうことを想像すると、少し気が重い。  確かに人よりは慣れているのかもしれない。けど、断った時の相手の表情や態度を見るのはいつまで経ってもしんどかった。  静かに微笑んで去る人もいれば、その場でさめざめと泣き出してしまう人もいる。ただし相手に逆上され、力一杯頬を張られた時はさすがにあんまりだと思った。あれを思い出すと少しだけ罪悪感が減るのが救いだ。  ほどなくして件の公園に着く。人っ子一人いなかった。俺が小さい頃はここでよく遊んだものだが、近くに新しくて広くて綺麗な公園ができてしまい、すっかり人気がなくなった。遊具の種類が少なくて古いし、不気味な公衆トイレはあるし、外灯も少ないし。短い遊歩道があるとはいえ、今は枯れ木ばかりが囲んでいる。  明かりの下にベンチが見え、俺は人知れず頬を緩ませた。  この前の十四日は楽しかった。例年は雪崩のように渡されるチョコに埋もれるだけの日だったが、今年ばかりは違った。俺は一番欲しかったものを手に入れた。チョコをもらってあんなに嬉しかったのは、生まれて初めてだ。 「あれ、すぐなくなっちまったなー……」  生チョコは賞味期限が早いから、と水無瀬に念を押されていた。それにしたってもう少し味わえば良かった—— 「御子柴くん」  呼びかけられて振り向くと、天野がいた。  白のショートダッフルにダークブラウンのロングスカートという出立ちだ。制服姿以外は見たことがなかったので、新鮮だった。あ、っていうか着替えれば良かったな。これから——多分告白されるのに、ジャージはないだろ。 「ごめんね、急に呼び出して。来てくれてありがとう」 「気にすんなよ。それで、どした?」 「うん……」  天野はしきりに長い髪を耳にかけたり、前髪を整えたりしていた。心の準備が必要であろうことは分かっているので、俺はじっと天野の言葉を待つ。  数分間の空白の間、俺は生涯で初めて自分の気持ちを相手に打ち明けた時のことを思い出していた。あれは今考えても酷かった。できることならやり直したい。といってもあんな風にしなきゃ、一生言わなかっただろうけど。 「——あのね、好き」

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