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13’−2:連帯責任 2
天野の告白は唐突かつ、かなり思い切りが良かった。腹が決まると強いタイプなのだろうか。俺はさすがに面食らった。
「えっと、それは」
「一年の時からずっと好きだった、御子柴くんのこと」
天野の瞳は揺らがない。まるで最初から答えを知っているのかと疑うほどだ。俺は探るように天野の顔を見つめたが、ついにその真意を測りかね、諦めた。
「ありがとな、そう言ってくれて嬉しい。けど、俺、今は誰とも付き合えない」
すると天野の頬をいくつもの涙が伝った。さっきの淡々とした口調からは想像もつかない事態に、少し焦る。不思議だったのは天野が泣きながら、微笑んでいたことだった。
「——だよね、知ってた」
天野は涙を指で拭いながら、続けた。
「私、御子柴くんに謝らなきゃいけないことがあるの」
「謝る? 天野が俺に?」
「うん、実は……」
——天野の語った内容に、俺は愕然とした。
それから、一瞬にして洪水のように様々な思考が浮かんだ。いくつものパターンの言い訳を思いついたり、なんとか言いくるめて誤魔化そうとしたりもした。天野は人が良いからどうにかなるんじゃないかと思った。
だって水無瀬は、水無瀬との時間は俺の命綱だ。なのに——
ああ、俺が悪かったんだ。
俺のために泣いてくれる水無瀬を見て、舞い上がっていた。いい加減、キスだけでは飢えて死んでしまいそうだったから。その勝手な振る舞いが招いたのが、今の事態なのだとしたら、自業自得なのは明白だ。
脳裏によぎるのはどうしても目の前の女の子ではなく、大切な人の面影だった。これを知ったらどうなるだろう。あいつは——
……そうだ。
「このこと、水無瀬には?」
時間にすれば一秒もなかったはずだ。とっさに出た言葉を聞いて、天野は小さく苦笑した。
「同じこと聞くんだね、水無瀬くんと」
「……言ったのか」
「うん、学校で。御子柴くんに告白するのも、ちゃんと許可を取って——」
天野の言葉が急に途切れた。
俺はじっと天野を凝視する。
その大きな瞳を、白い肌を、細い首筋や、長い髪を。穴が開くほど見つめる。まるで視神経の奥の奥まで焼き付けるように。
そしてその向こうに水無瀬の幻影を見た。天野に真実を打ち明けられて、可哀想なほど動揺する姿を。天野に告白を許した時の、胸が引き絞られるほど切ない微笑みを。
「ご、ごめんなさい、本当に……」
天野の消え入りそうな声にも、俺はすぐ答えられない。そんな余裕はなかった。今すぐ水無瀬と話がしたい。頭の中を埋め尽くすのはそのことばかりだ。
「いや、あれは俺が悪かった、ごめん。けど……誰にも言わないで欲しい。頼む」
「もちろん、それは」
「……ありがとう。じゃあまた明日」
俺は足早に公園を後にした。
逸る気持ちを抑えて、水無瀬に電話をかけようとする。が、どの口で『会いたい』だなんて言えるだろう。俺は日和った挙げ句、メッセージで送った。
『ごめん、ちょっと腹壊して、寝てる』
家路を急いでいた足がぎくりと止まった。これは偶然か? それとも——
尋ねる勇気がなかったのもある。だがそれ以上に弱っている水無瀬に負担をかけるにはいかないと思った。明日、一緒に登校する約束をして、やりとりは終わった。
家に戻った俺はピアノ部屋に直行した。
ストレッチからやり直して、練習曲を三十分弾き、それからショパンのノクターンを第二十一番から遡っていった。神呪寺先生は三年後のショパン・コンクールに俺を推薦するつもりだ。理解を深めておいて損はない。
弾いて弾いて弾いて、弾き続けた。第二十番「遅く、とても情感豊かに」(レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ)の幅広い音域を持つフレーズ、第十七番の転調の連続、第十三番の再現部で押し寄せる音符の津波、第四番のトレモロが繰り返される激しいメロディ、それから、それから——
第三番を終えて、俺は動きを止めた。
全身がどうしようもなく疲労していた。
腕が上がらない。指が動かない。ただ椅子の上で項垂れるばかりで、俺は一向に進めない。否——戻れない。
第二番はショパンのノクターンの代名詞といっても過言ではない。クラシックを知らない人でも必ず聞いたことがある有名曲だ。
——これを音楽室で弾いたあの日から、決定的に何かが変わった。
潤んで宝石のように光る瞳が、頬をゆっくりと流れたたった一雫が、俺の心の全てをさらったのだ。
俺は第二番に手を着けず、防音室を後にした。
母屋の方に帰って、風呂に入り、そのまま髪も乾かさずにベッドへ倒れ込んだ。おもむろにスマホを操作して、電話を掛ける。相手はすぐに出た。
『ハーイ、なーにー?』
ジェーンの野太い声を聞きながら、俺はぼうっと自室の天井を見上げていた。『オイコラ、なんとか言えや』と重低音で促され、ぽつりと呟く。
「……やらかした」
『え? あらやだ、ついに週刊誌?』
「んなわけあるか、俺ごときに」
『やけに卑屈じゃない。お姉さんに相談してごらんなさい、ほら』
電話の向こうでは人の話し声やパソコンのキータッチの音が響いている。仕事中に悪いとは思ったが、俺は言われるがままに全てをぶちまけた。
ジェーンは忙しなくキーボードを叩きながら、溜息を吐いた。
『あー、それは……うーん。盛大にやらかしたわねえ』
「二人とも傷つけた。最低だ」
事情を打ち明けられた直後は水無瀬のことしか考えられなかったが、冷静になれば俺は天野のことだって手酷く傷つけたのだと思い知る。
天野は話をしている間、何度も謝って、俺に気を遣っていた。きっと水無瀬にもそうしてくれたに違いない。
なのに俺は情けなくも混乱していて、あんな寂れた公園へ置き去りにしてしまった。
『でもあんたってホント悪運が強いっていうか。見られたのがその子じゃなかったらアウトでしょ。あんたにはもったいないイイ女だわ』
「まぁ、それは……」
『ともかく誠心誠意謝るしかないわね。これに懲りたら学校でおイタ……じゃなかった、火遊びはやめときなさい』
「……はい」
『あら、素直。いつもこうなら可愛いのに。ま、それはそれで張り合いがないから、一区切りついたら切り替えなさいよ。じゃあね、バーイ』
通話が切れるなり、俺はスマホをベッドの上に放った。
カーテンから透ける月光すら眩しくて、目元を腕で覆う。明日のことを考えると、胃に鉛を流し込まれたように体が重くなった。
——それが昨日の出来事である。
俺達がひとしきり謝った後、天野は教室へ帰っていった。「お邪魔しちゃ悪いもんね、ふふふ」と少し照れながらも笑っていたところを見るに、気を遣われている節はおおいにあれど、あれはあれでなかなかの人物かもしれない。
水無瀬は天野の言葉に大層複雑な表情を浮かべながら、フェンス際へ歩き出した。今日は完全に水無瀬の飼い犬であるところの俺は、とことこついていくしかない。
二人並んでいつものように昼飯を食う。一応、俺は許されたらしかった。
間に横たわる沈黙が、気温をより一層低く感じさせる。俺は屋上から見える空に視線を彷徨わせながら、いつもの倍ぐらいのスピードで昼飯を完食した。会話がないので間が持たないからである。
ちらりと視線だけで隣を窺う。水無瀬は小さい口で一生懸命、ハムスターのようにサンドウィッチを囓っていた。……ああ、可愛い。嫌われたくない。
「言っとくけど……」
不意に水無瀬がサンドウィッチから口を離した。
「一応、俺も土下座するつもりでいたから」
「えっ、そうなの?」
「だってあれは俺達が悪いんだし」
「でも天野を怖がらせたのは俺だけど……」
「連帯責任」
そう言って、水無瀬はまたサンドウィッチを囓りだした。俺は立てた膝に頬をつき、水無瀬の顔を覗き込む。
「付き合ってるから?」
「まぁ、そう」
「恋人だから? 好きだから?」
ばしっと容赦なく脳天をはたかれた。
「今日、調子こいたらぶつからな」
「もうぶってんじゃん」
「うるさい。返事は?」
「はい、ご主人様。仰せのままに。あ、なんなりとご命令をどうぞ」
「……お前、ちょっと楽しんでるだろ」
むすっと膨らんだ頬は冬眠前のリスみたいだ。やっぱり隠しきれない小動物感に、俺がへらりと笑うとまた頭を叩かれた。
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