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14−3:このまませかいがおわればいいのに 3

 最上階に着くと、ビルの上にある有名な水族館の入り口が出迎えた。  そちらに行く人達とは分かれ、長い通路を進んだ奥に、プラネタリウムの受付があった。御子柴がチケットを見せると「上映時間が迫っております」と急かされた。  映画館にあるような分厚い防音扉をくぐる。薄暗いドーム状の会場内に、それなりの人数が座っていた。御子柴が取ったのは入り口に一番近い端の席だったので、懸念していた客層はよくわからなかった。  リクライニングされた座席に腰を沈めるなり、背後の扉が閉じられる。照明も落とされて、周囲が完全に闇に包まれた。  携帯電話の電源を切ってくださいとか(忘れてたので慌てて切った)、上映中は会話禁止とか、そういった注意事項のアナウンスが流れる中、隣から不意に小声で耳打ちされた。 「……な、手繋いでいい?」  俺はぎょっとして振り返った。  鼻先が触れるほど近くに御子柴の顔がある。暗闇の中でも分かる端整な顔立ちと、じっと見つめてくる深い色の眼差しが、俺をじわじわと追い詰めていく。  最後列の一番端、隣の人からは五席ほど離れている。それにみんなきっと、今から映し出される星空に夢中になる。どうせ誰も見てない、見えない。どうしよう、と目を伏せる。どうしよう、どうしよう。だって、  どうしよう——俺も、そうしたいんだ。 「ん……」  小さく頷くと、御子柴の瞳がいっそう輝きを増した。  御子柴は席の間にある肘掛けをゆっくり上げると、静かにコートを脱いだ。そうして俺の左手を取り、その上からコートを被せる。 「完璧」  いたずらっぽく御子柴が笑うのに、俺も小さく肩を揺らす。共犯者同士、俺達は密かに手を結んだ。  ゆったりとした音楽と共に、無垢な星々が頭上に広がる。  耳触りのいいナレーションが星空の解説を始めた。冬は一年で一番、星が綺麗な季節です。明るい一等星がとても多く、また様々な色の星があります。一番有名なのはオリオン座です。南の空をご覧ください、同じ明るさの三つの星が見えますでしょうか——  繋いだ手から御子柴の体温が伝わってくる。ピアノの鍵盤の上を自由自在に泳ぐ長い五本の指、少し厚みのある皮膚。ああ——俺がすきなひとの、ぬくもり。  段々と自分の体が宙に浮いているような感覚になる。時間の流れを早めて、ゆっくりと回転する星空。柔らかい男性の声はどこか御子柴に似ている気がする。  長い瞬きをすると、体の力が抜け、ふと優しい香りが鼻腔をくすぐった。屋上に吹く風の匂い、自分の席の目の前にある匂い、すぐ隣の匂い。少し意地悪で、でもいつも優しい——そんな泣きたくなるような。  いつの間にか星空も声も遠くなり、そばにある存在だけが俺の全てになる。  宇宙のような途方もない暗闇に覆われていく空間。つめたくあたたかく凍りついた時間。  死んでしまった人はこんな風になるんだろうか。そうだとしても、何も怖くない。  このまま。  せかいがおわればいいのに—— 「——せ、みなせ。おい、水無瀬ってば……」  ぱちっと目を開けると、星空がどこかに消えていた。  隣の席から御子柴が眉間に皺を寄せて、俺を覗き込んでいる。コートを着ていて、手は離れていて、肘掛けが元に戻っていた。  ……え? もしかして、全部、夢? プラネタリウムは今から?  きょろきょろと左右を見渡すと、他の客は一人もいなかった。御子柴が急かすように俺の腕を引っ張る。緩慢な動作で立ち上がる俺に、呆れた声が降ってきた。 「お前、始まってすぐ爆睡したんだけど」 「え!」  視線を感じて、出入り口を見やると、係員の女性が凄みのある笑顔を浮かべていた。俺は御子柴に腕を引っ張られつつ、すみやかにその場を後にした。 「見たいって言ったのお前じゃん、もー」  手を離すなり、御子柴は腕を組んで文句を言った。返す言葉もなく、俺はしょんぼりと肩を落とした。 「ごめんって。でも起こしてくれれば良かったのに」 「あんだけ気持ちよさそうに寝られたら、起こせねーよ」  はぁ……。なんだかすごくもったいないことをした。初めてのプラネタリウムだったのに、星空もろくに見られなかった。それに、せっかく……手も繋いでたのに。本当にもったいない。 「あ、そうだ。チケット代、いくら?」 「いいよ、別に。お前、見てないんだし」 「い、いやいや、払うって」 「じゃ、今度また来た時に出して。んで、寝るな」 「う……はい」  エレベーターで地下まで降りて、そこからエスカレーターで地上に登る。池袋の街はすっかり茜色に染まっていた。  電車に乗って、横浜まで帰る。そこから私鉄に乗り換えれば、すぐ最寄り駅だった。  冬の日は短く、地元に着くとすっかり暗くなっていた。東京がそんなに遠いわけではないけど、見慣れた道を歩くと、帰ってきたという気分がしてほっとする。 「あのさ、来週……」  御子柴がぽつりと呟くのに、耳を傾ける。形のいい眉が困ったようにしかめられていた。 「って、もう三月だよなー」 「あぁ……うん、そうだな」  二月は少し短くて、あっという間だった。来週半ばからはもう三月。……二年生、最後の月だ。  来年も同じクラスメートがいい、と天野さんが言っていたのを思い出す。俺も賛成だった。それが叶ったら、どんなにいいことか。  長い道の向こうに俺ん家のマンションが見えてきた。なんとなく目を伏せると、御子柴が柔らかく苦笑した。 「何? 帰るの寂しい?」  うるさいばか、といつものように言ってやるつもりだった。  でも自分の意に反して、俺の足は立ち止まった。御子柴が数歩先でそれに気づき、振り返ってくる。 「水無瀬?」 「……寂しいよ」  手を伸ばし、御子柴のコートの袖を指で掴む。 「離れたくない」  ——耳に痛いほどの静けさが訪れる。  俺は俯いたまま顔を上げられない。ばかだ、言わなきゃ良かった。こんなことしたって、御子柴が困るだけなのに。  そっと指を離す。なんて謝ろうか考えていると、御子柴が固い声音で言った。 「……キスしたい」 「えっ、い、いや、ここでは」 「だろうな。じゃあ、なんでそんなこと言うんだよ」  体の横で、御子柴の拳が震えるほど強く握られている。怒らせたのかと思い、ぎくりと背筋を強張らせる。御子柴は長い溜息と共に、続きを吐き出した。 「っていうか、今日ずっと思ってたよ、俺は。同じとこの靴欲しいとか言い出すし、それと服見立てろとかさ……。マフラーも靴も俺が選んだんだぞ。んなことしたら頭からつま先まで、ってなるけどいいのかよ」  ……え。あれ。なんでこいつこんなに怒ってんだろう。あとそれの何が悪いのか、まったく分からない。 「妙に楽しそうだし、やけに素直だし。プラネタリウム見たいって。そんですぐ寝るって。可愛いのかよ、お前は」 「いや、可愛くはない……」 「手も繋いだし、暗いからワンチャンあると踏んでたわ。いやもう寝ててもいっそしてやろうかとも思ったし。でも肩に頭乗っけられたらできねえだろ、ふざけんな」  俺、そんなことしてたのか。つーかさっきから、一体何を聞かされてる? 頭がこんがらがってきたところで、御子柴はまた聞こえよがしに嘆息した。 「もういい。今日言いそびれてたこと、この勢いで言いますけど」  そういえば昼間、やけに口ごもっていた時のことを思い出す。俺が身構える間もなく、御子柴は強い語気で告げた。 「——来週末、うち、誰もいないんだけど。泊まりにくる?」  ぽかん、と呆気に取られていたのは一瞬だった。  御子柴の言わんとしているところが全て分かった瞬間、ぶわっと全身の血が顔に集まる。夜の住宅街に俺の素っ頓狂な声が響き渡った。 「——へっ!?」

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