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14−2:このまませかいがおわればいいのに 2

 もしここで置き去りにされたら、多分、遭難するな、と思った。  ショッピングモール内は、それぐらい広くて複雑だった。  エスカレーターで降りたかと思ったら、階段で上ったり。水族館や展望台へ行く方の入り口に間違って入りそうになったりした。  シマさんのお店に行くついでによく来るのだろうか、御子柴は地図も見ずにすいすいとモール内を歩いて行く。どこをどう行ったか俺にはさっぱりだったが、十分もしないうちに目的の店に辿り着いた。  名前だけは聞いたことがあるスニーカーブランドだった。  黒地に白の看板に、トラの置物が俺達を出迎える。ガラス棚に飾られたスニーカーを明るい照明が浮かび上がらせている。試着のために使う椅子は、革張りの立派なものだ。なんだか場違いなところに来てしまった予感がひしひしとしていた。  入り口付近で、手元の書類と商品とをチェックしていた女性店員が振り返る。 「あ、ピアノのお兄さんじゃないですか。お久しぶりでーす」 「お前、常連さんなの?」 「ちげーよ。ここは三回くらいしか来たことない。ただあの店員さんがめっちゃクセ強なだけ」 「聞こえてますよー? 人なつっこくて記憶力いいって言ってくれません?」 「な?」 「はぁ」  店員さんはポニーテールを揺らして、俺に笑顔を向けた。 「はじめまして、私、高遠(たかとお)です。サイズ出すんで、バンバン履いてってくださいね!」 「は、はい」 「じゃ、用があったら言ってくださーい」  そう言って高遠さんはまた仕事に戻っていった。押し売りされるかと思ったけど(そういう店員さんが俺はこの世で一番苦手だ)声をかけられない限りは放っておくスタンスのようでほっとした。  俺は人ん家に初めて来た時のように、そろそろと店内を歩き回った。  カラーものもあるけれど、わりと白とか黒とか落ち着いた色が多い。形も奇抜なデザインは少なかった。その代わり、よく見ると素材にこだわっている感じがする。レザーからスウェード、中には冬用のボア素材なんて変わったものもあった。  ……どうしよう。どれがいいのかさっぱり分からない。  俺は助けを求めるように、御子柴を振り返る。 「なぁ、見立ててくんね?」 「えっ。あー、うん、いいけど」 「見立て? 高遠さんのこと呼びました?」 「呼んでませーん」  御子柴にしっしっと追い払われ、高遠さんは渋々仕事に戻っていった。 「サイズっていくつ?」 「二五・五センチ」 「りょーかい。ちょっとここ座っといて」  言われたとおり、椅子に腰掛ける。  御子柴は顎に手を当てて考えこみながら、店内をぐるりと回った。そして一足選んだ見本を手に、高遠さんへ何事かを相談する。  やがて高遠さんが持ってきた箱を、御子柴が受け取ってこっちに持ってくる。箱からスニーカーをがさごそ取り出しながら、御子柴が言った。 「ここのやつちょっと細身だから、ハーフサイズアップがいいって。だから二六な」 「へえ」  スニーカーの中から詰め物を抜くと、御子柴がその場に膝を着いた。俺が目を瞬かせているうちに、足首を掴まれた。 「えっ、いや、ちょっ? 何してんの?」 「何って試着」 「いやいやいや、自分でするし!」 「いいじゃん、一日店員してみてーの」 「ぶー、それどうみても私の仕事じゃありません?」  カウンターの奥から高遠さんがじとっと見てくるのを、御子柴は背中で完全に無視した。  大きな手が俺の踵を掴み、薄汚れたスニーカーを脱がせる。 「お前、これ可愛いけど、ちょっと似合いすぎなんだよな。こういうのどう?」  スウェード素材の真っ黒なスニーカーだった。ラバーだけが白く、モノトーンのシンプルだが洗練されたデザインである。  御子柴は俺にそれを履かせると、無言で黒い靴紐を結び始めた。  こちらから見下ろした表情は至って真剣だ。伏し目がちの瞼に長い睫が生えそろっているのが見えて、俺はうろうろと視線を彷徨わせた。  どうしても人目が気になり、カウンターを見やる。高遠さんはさっきの不機嫌をどこかに置いてきたように、鼻歌交じりで棚にはたきをかけている。俺はこの人が今日のシフトで良かったと心底思った。 「できた」  背中をぽんと叩かれて、立ち上がる。  鏡に映る自分の姿は、足元のみならず全身が引き締まって見えた。靴一つでこれだけ違うのか…… 「どう?」 「うん、めちゃくちゃいい。これにする」  満足感と共にそう言うと、御子柴が目を丸くした。後ろで高遠さんがカウンターから身を乗り出す。 「他にもいっぱいありますよ?」 「ありがとうございます。でも、これすごい気に入ったんで」  隣で長い長い溜息が聞こえた。御子柴が額を抑えて、俯いている。 「なんだよ」 「……なんでもねーよ」  急になんだ、疲れたんだろうか。  レジに靴を持って行くと、高遠さんがほくほく顔で言った。 「最初ので決めちゃうとか、ちょろくて助かります〜。お買い上げ、ありがとうございま〜す」  ほんとこの人、好き勝手言うな……。まぁ、こっちも気を遣わなくていいけど。 「あ、このまま履いてってもいいですか」 「おおー、かしこまりです。値札切っときますね。うちの靴、気に入ってくださって嬉しいな。良かったですね、ピアノのお兄さん!」  俺が靴を履き替えると、高遠さんが古い方のスニーカーを紙袋に入れてくれた。何故か御子柴は振り向きもせず、ずっと項垂れていた。  俺は最後、高遠さんに「猫っぽいけど犬っぽい子」という謎の呼び名をつけられ、店を後にした。  歩く度に足元を見る。足がぴったり包み込まれている感覚が気持ちいい。ラバーが分厚いおかげか、かかとの負担も減った気がする。 「これ、ほんといいな。そうだ、服もお前に見立ててもらおっか」  そうしたら御子柴のようにはいかないにしろ、もう少しお洒落になれるかもしれない。いいアイディアだと思ったが、御子柴の顔は浮かない。 「それってさ……あのさ、もはや全身……」 「何だよ、面倒かよ」 「もー、そうじゃない……」  どことなく声に覇気がない。少し困ってるようにも見える。これ以上、御子柴に負担をかけるのは本意ではないので、俺はさっさと踵を返した。 「まぁ、また今度な」  来た道を戻ろうとすると、御子柴に呼び止められた。 「もう帰んの?」 「え、うん。だってお前、疲れてんだろ」 「疲れてねーよ、なんで?」 「だって、なんか……」  さっきから様子が変だから。そう言おうとしたものの、今の御子柴はけろっとしている。あれ……俺の勘違いか? 「まだ三時だし。せっかく来たのにさー」  と言われても、俺としては特に用事はない。あとは……映画とかカラオケとか? でもそれにはちょっと時間が足りない気もする。そもそもここでしかできないことじゃない。  どうしたものかと考え込んでいると、ふと壁にかかっている施設の案内板が目に入った。  フロアごとに案内が分かれている。どうやら俺達が今いるのは地下一階から地上一階に渡る専門店街だ。……何階にいるのかはちょっと分からない。  二階には屋内型テーマパーク、四階や五階には展示室やパスポートセンターなどが入っているらしい。  そして最上階にはさっき間違って行きそうになった水族館、そして—— 「うわ」  フロアガイドの隣にあったポスターに思わず見入る。  どこかの離島の上に、満天の星空が輝いていた。 「——プラネタリウム?」  御子柴もまた俺の後ろからポスターを覗き込んだ。 「あー、そういや水族館の隣にあるな。昔、行ったことあるわー」 「へー……」 「何、行きてぇの?」  俺は肩越しに振り返ったものの、少し返答に困った。  行ったことがないから、観てみたくはある。けど、男二人でプラネタリウムってどうなのかな……。映画みたいなもんだからいいのか? 上映時間も四十分ぐらいって書いてあるし、ちょうどいい長さではあるけど。  などと悩んでいる間に、御子柴はスマホを素早く操作していた。かと思ったら、急に肩を強く揺すられる。 「やばいやばい、もうすぐ始まるやつある。急ごうぜ」 「えっ、マジで行くの?」 「他にやることないし、いいじゃん」  俺は半ば御子柴に引きずられるようにして、最上階へ向かうエレベーターに乗り込んだ。その間にも御子柴は真剣な顔つきでスマホに向かっていた。 「よし、チケット取れた」 「早ッ」  御子柴が得意気に、オンラインチケットの画面を見せてくる。その手際の良さに、俺は思わず苦笑した。

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