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14’−2:御子柴涼馬のどうしようもない厄日 2

 店に行くと、またもやあの高遠さんとかいうクセの強い店員さんに会ってしまった。なんで俺が来るときに限って、この人に当たるんだろう。初めて来る水無瀬にもぐいぐい迫るので、それを適当にあしらいつつ、店内を見て回る。  いつものブランドと違うからか、水無瀬は少し戸惑っている様子だった。隣で新作を眺めていた俺をちらっと見上げる。 「なぁ、見立ててくんね?」  茶色がかった瞳が上目遣いで見つめてくる。そして俺の選んだ靴を、水無瀬は一も二もなく買うと決めた。「めちゃくちゃいい」とか「気に入った」を連呼する。新しいのに履き替えると言いだし、店を出ても靴を見てはうきうきしていた。 「そうだ、服もお前に見立ててもらおっか」  あまつさえそんなことを言い出した水無瀬に、最早ぐったりする。それって全身俺色に染まるってこと? 勘弁しろよ……  再び次の予定を考えていると、水無瀬が目を輝かせて、プラネタリウムのポスターを見ていることに気づいた。  は? 高二の男子がプラネタリウム行きたいのか? 可愛いすぎね? 俺は水無瀬を連れて躊躇なくエレベーターに乗り込み、スマホでチケットを取った。あまりにも手際が良かったからだろうか、水無瀬は屈託なく笑っていた。  こうなると俺もちょっと慣れてきた。いや、飽きたとかじゃなくて、耐性がついたというか。  それにプラネタリウムだって何も水無瀬可愛さに連れて行くだけではない。指定した座席は最後列の端だ。こうなれば、映画館よりも暗いプラネタリウムでやることは限られる。  ……夜空? 星座? 知ったことか。まず手を繋ぐ、そんでキスする。絶対する。それからあとは申し訳程度に星を見て、多分いい雰囲気になる。そこで来週の土日のことを打ち明ければ完璧だ。  ——それから十数分後、俺は死んだ魚のような目で、星を見上げていた。  手を繋いだはいいものの、それからすぐ水無瀬が爆睡し始めたのだ。  おい……水無瀬のくせに良い度胸じゃねーか。いいか、俺はな、やると決めたらやる男なんだよ。寝てても関係ねぇよ、絶対キスしてやる。  そうしてぎろっと隣を睨んだ瞬間だった。水無瀬の首が傾いだかと思うと、俺の肩にこてんと頭を預けてくる。……おま、お前、嘘だろ。動けないじゃん。なんにもできないじゃん、これ。  さして興味もない星空を眺めながら、白旗を振った。厄日って今日みたいな日を言うんだろうか。小一の頃、ジュニア・コンクールの本選でモタりまくった時のことを思い出す。あの日はマジで何をしても駄目だった。まさに今日と同じだ。  こうなると俺は切り替えが早かった。週明け、学校で言った方がいいかもしれない。いつものように屋上で、水無瀬が飲み物飲んでる時にでもさらっと。そしたらまたごほごほ咳き込んで、照れまくるんだろう。うん、それがいい、きっと—— 「……み、こし、ば……」  耳元で小さな小さな声が聞こえた。すぐ傍にある水無瀬の唇が、もごもごと擦り合わされている。  ——なんだか、気が抜けてしまった。  色々と考えていたのが馬鹿らしくなる。繋いだ手を一旦ほどいて、指を絡める。寝ているはずなのに水無瀬の手にぎゅっと力がこもった。  顔を傾けて、唇で水無瀬の髪に触れる。癖の付いた毛の少しくすぐったい感触から、逃げるように離れた。  ……あのさ、最近、お前のことを想うとたまらなくなるよ。胸が詰まったみたいに苦しくて、息がうまくできなくなる。伝えていいものか分からないけれど、こんなんじゃ全然足りないんだ。  細く長く息を吐いて、なんとか心を落ち着けようとする。頭上に瞬く星の光は儚いのに眩しくて、俺はきつく目を瞑った。  夜の帳が降りた空の下で、水無瀬は俺の努力を全部水の泡にした。 「……寂しいよ」  小さくて、泣き出しそうな声。遠慮がちに掴んだコートの袖の端。 「離れたくない」  俺は奥歯を割れんばかりに噛み締めた。水無瀬が憎い。初めてそんなことを思った。どうしようもなく好きなのに、どうしようもなく憎い。そのどす黒くて凶暴な感情は、血の色のような双眸をぎらつかせた獣の姿をしている。  爪が食い込むまで拳を握った。胸の奥に棲み着いた獣を飼い慣らすべく、深い息を吐く。  俺は胸中の全てをぶちまけた。そして、最後に肝心の一言を告げる。 「——来週末、うち、誰もいないんだけど。泊まりにくる?」 「——へっ!?」  水無瀬の顔が面白いように赤くなる。肩の荷が下りたのと、水無瀬の反応を見て、俺はほっと安堵した。素直なのも気を許してるのも可愛いけど、こいつはこうでなくては。  今、何想像してる? とからかってやろうとした瞬間、水無瀬はがばっと頭を下げた。 「い……一度、持ち帰って検討させていただきます! 今日はありがとうございました!」  驚きの声を上げる間もなかった。水無瀬は俺の脇をすり抜けて、全速力でマンションに入っていってしまう。為す術もなくその背中を見送った俺は、致命的に遅れてから叫ぶ。 「——はあ!?」  え……いや、ええ!? 何、さっきの。何が起きた!? つか、なんでサラリーマンみたいな口調!? っていうか、っていうか……  もしかして——遠回しに断られた? 「嘘だろ……」  呆然とする俺の手元から、紙袋が滑り落ちた。アスファルトに叩きつけられた中身から、ガシャンと嫌な音がする。 「うわっ!」  我に返り、慌ててしゃがみ込む。  恐る恐る紙袋を覗き込むと、ばっきばきに割れたCDケースが目に入る。肝心のCD自体は無事だったが、買ったばかりの新譜の変わり果てた姿に思わず項垂れる。  やっぱり厄日だ。俺はしばらくその場から動けなかった。通行人がいなかったのかせめてもの幸いか。 「もうやだ……」  外灯の下、人知れず呟く。俺の小さな声は夜闇に溶けて、消えていった。

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