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16−1:海の底でふたりきり 1
暮れなずむその一軒家を見て、俺はぽかんと口を開けていた。
鉄製のお洒落な装飾が施された門扉のそばに、御子柴という表札が掲げられている。
間違いない、ここだ。けど——
「……でかくね?」
自分にしか聞こえない小さな声で、ぽつりと呟く。
御子柴邸は住宅街の角地にあった。
周囲にも立派な家は多々あれど、ここは一線を画している。
煉瓦造りの塀、その外周には名前は分からないけど、冬でも色とりどりの綺麗な花を咲かせる生け垣がぐるりと囲む。庭も広く、枯れた色の芝生が生えていた。これが春や夏になると青々と芽吹くのだろう。
庭の奥にある家屋はこれまた立派だった。
珍しい薄緑色の屋根に、壁はベージュ、十は下らないであろう窓が外からの西日を浴びている。ポーチ付きの立派な玄関や円筒形のサンルームなんかも見える。
母屋とはまた別に離れがあって、こちらはこぢんまりとしているものの、それでもゆうに一家族は暮らせそうだ。
つまり、豪邸中の豪邸だった。御子柴は場所が分からなかったら連絡しろと言っていたが、ここを見落とすわけがない。全部で百坪はあるんじゃないだろうか……といっても、俺は具体的に百坪がどれぐらいか分かってないので、完全なるイメージだけど。
いつまでも立ち止まって口をあんぐり開けているわけにもいかないので、俺は恐る恐る門に歩み寄った。インターホンを発見し、まじまじと見つめる。こんなに押すのをためらうインターホンは初めてだ。
人差し指をうろうろと彷徨わせていると、傍にあった門ががしゃん、と鳴った。びくっと肩を竦めて振り返る。
そこには真っ白い大型犬がいた。ふわふわの毛並みを揺らして、わふわふと門に飛びついている。まさか番犬か? 俺は慌てふためいた。
「い、いや、不審者ではなくて……!」
はぁはぁと荒い息のまま、白い大きな犬は俺に向かってくるのをやめない。道でランニングをしていた男性がちらりとこちらを見やった。まずいまずい、早くインターホンを鳴らさないと——
「どうしたー? クロー?」
庭の向こうにある玄関ががちゃりと開いた。そこから見慣れた姿が顔を出し、俺はほっと息を吐いた。
「御子柴」
「おー、いらっしゃい」
のんびりと歩いてきた御子柴は、未だ門に飛びつく犬の首あたりを撫でて宥めた。
淡いインディゴのパッチワークデザインのセーターに、濃い色のデニムを履いている。
内側から門を開けられ、家人に迎え入れられると、俺はようやく人権を得た気分になった。
「場所、分かった?」
「こんなでかい家、分からないわけ——うわっ!」
俺が敷地に入るなり、犬が飛びついてくる。腿辺りに前足を乗せて、きらきらした黒い目で俺を見つめてくる。どことなく御子柴の瞳に似ているような気がした。
「こーら、クロ。ステイ」
「ええと、こちらは?」
「ああ、クロードっていうの。ごめんな、人なつっこくてさ」
なるほど、番犬として警戒されていたわけではなく、単に見慣れない人が珍しかったのか。そうと分かると可愛くなって、俺はしゃがみこみ、クロードと目線を合わせた。
「はじめまして。今日と明日、お世話になります」
わふっ! と吼えたクロードは俺の肩に手を置いた。重みを感じたのも束の間、ぺろぺろと頬を舐めてくる。ぎょっとする俺をもちろん意にも介さず、クロードは鼻や顎も一通り舐めていった。……あはは、くすぐったいよ、とか言った方がいいんだろうか?
——パシャ、と傍らから音がした。
「え?」
振り返ると、御子柴が無言でスマホをこちらに向けて、カメラを連写している。クロードはますます俺に寄りかかってきては、荒い息を耳に吹きかけていく。
「何してんの?」
「撮ってる」
「み、見りゃ分かる。勝手に撮るな」
「ここ、俺んちの敷地だし。何しても良し」
「治外法権かよ……」
御子柴の手がじっと動かなくなる。どうやらムービーに切り替えたらしい。俺はクロードをやんわり引き剥がすと、御子柴からスマホを奪い、録画を止めた。
「とりあえず、中へどーぞ」
にっこり笑いながら、御子柴はさっと俺からスマホを奪い返す。くそ、データ消せなかった……
「分かったよ、お邪魔します」
「はいはーい」
歩き出した俺達についてきたクロードはしかし、玄関の前でぴたりと止まった。お座りの格好をしているクロードを御子柴が撫でる。呼吸と共に白い毛を揺らしながら、クロードは円らな瞳で、玄関へ入っていく俺達をじっと見送っていた。
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