46 / 52
16−7:海の底でふたりきり 7
「……何て?」
「水無瀬の髪、乾かしたい」
御子柴はさっさとドライヤーをコンセントに繋げてしまう。スイッチを入れると、ごうごうとドライヤーが温風を伴って唸り始めた。そして返事を聞きもせず、俺の後頭部を抱えると、ドライヤーを向け、くせっ毛をかき混ぜ始めた。
こうなると抵抗しても無駄であることは、俺もいい加減学習していた。仕方なしにおとなしくする。
それに……御子柴の指が髪を梳く感覚は、悪くなかった。長い五指が思いのほかゆっくりと慎重に、俺の頭を行き来する。ドライヤーの温風と優しい手つきに、さっきまでの緊張も忘れて、全身の力が抜けていくのを感じた。
「はい、終了。次、俺ね」
おもむろにドライヤーを手渡され、くるりと背を向けられる。ぼんやりしていた俺は、はっと我に返った。
「はぁ?」
「早くー」
あぐらをかいた御子柴が、左右にゆらゆらと揺れる。あからさまな催促に負け、俺は無言でドライヤーを目の前の後ろ頭に向けた。
さっき自分がされたように、根元をかきまぜながら、温風を当てていく。風呂に入ったばかりだからか、元々髪の密度が高いからか、俺と違ってなかなか乾かない。
それでも根気強くドライヤーを当てていると、水分が飛んで、軽くなってきた。同時に信じられないほどツヤが出てくる。指の間を通る感触は、シルクのようになめらかで、シャンプーのCMかなんかに出られるんじゃないかとすら思った。
「美容院とかでも思うけどさ、髪の毛乾かされてると、眠くならねえ?」
ごうごうという音の合間から、御子柴がのんびりと呟いた。ついさっき実体験した俺は頷いた。
「まぁ、確かに」
「あと水無瀬の指、きもちい」
俺も、と同意しそうになって、危うく口を噤む。
「それぐらいでいいよ、ありがと」
完全に乾ききる前に、御子柴にドライヤーを取られた。もう少ししていたかったような残念な気持ちを自覚していると、御子柴がそのまま後ろに倒れてきた。
「う、おっ」
御子柴が俺の胸に後頭部を傾けてくる。風呂上がりの体温やシャンプーの香りがこれ以上なく身近に迫って、俺の鼓動が再び早まった。
「あー、いいなこれ」
御子柴は無防備に俺に体重を預けている。
なんだ、これ……。え? 自分の家だから? リラックスしてるのか、いやそれ以上に、あの御子柴がふにゃふにゃで……。あとなんかすごい甘えられてる?
——こんなの、俺しか知らないんじゃ。
そう考えが行き着くと、どうしようもなくなった。
「このまま寝れたら幸せだなー」
俺ははっとして、御子柴の背中をぐいっと押し上げた。御子柴は特に抵抗することなく、起き上がる。
「なんだよ、いいじゃんケチ」
「うるさい、重いんだよ」
俺は怒った振りをして、口を固く結ぶ。本音を言うと、しばらくあのままでも別に良かった。
けど……寝られて放っておかれるのは、なんか嫌だ。
そんなこと思った自分が自分で、不思議だった。
ひた隠した俺の心情を知ってか知らずか、御子柴は自室をぐるりと見回した。
「俺の部屋、物色した?」
「——へっ!?」
突然、そう指摘され、俺はぎくりと肩を跳ね上げた。
な、なんで分かった!? ほとんど何にも触ってないのに!
「いや、俺が水無瀬の部屋に入ったら、色々見るし」
「み、見んな!」
「えー、普通そうしない? 何か見たいものある?」
開けっぴろげなのか、サービス精神旺盛なのか、そんなことを言い出す御子柴に、俺は気になるものが一つあったことを思い出した。
「そういえば、割れてるCDあったけど、あれ、シマさんの店で買ったやつ?」
「あ……。あれ、あの日の帰りにソッコー落とした」
「ええ? 大丈夫だったのかよ、中身」
「んー、なんとか」
御子柴は一拍遅れて、苦笑を浮かべた。なんだかその笑顔がいつもよりぎこちない気がした。
「そうだ。んなもんより、アルバム見ねえ? 小さい頃の俺、めちゃくちゃ可愛いから」
「自分で言うな」
とはいえ、大いに興味があった。御子柴は素早い手つきで棚からアルバムを取り出すと、ローテーブルの上に広げた。
アルバムの中には数々の写真が並べられていた。生まれたばかりの頃から、はいはい、よちよち歩き……と、時系列順に続いていく。
「う……確かに可愛い」
「だろ?」
さすがというかなんというか、御子柴は赤ん坊時代から、むかつくほど顔立ちが整っていた。
一歳頃にはもう髪の毛が生えそろっていて、目は大きくて黒々としていて、愛くるしいことこの上ない。フォトスタジオで撮ったと思しき写真なんかは、まるでキッズモデルである。
「幼稚園まではよく女の子に間違われてたらしいぜ」
とは言うものの、さすがに小学校に上がる頃には、顔立ちが男子のそれになっていた。当たり前のように端整な顔立ちだ。
あとこの頃からピアノの発表会だかコンクールだか分からないけど、正装している姿もちらほら見受けられて、ますます子役かなにかに見える。
「あんま背、高くないな」
「そーそー、中学から一気に伸び始めたんだよな」
写真の中の御子柴は制服姿に変わっていた。中学時代はブレザーだったようだ。紺色の上着とスラックス、臙脂色のネクタイ——そんな格好が新鮮に映る。
ここにあるのは俺の知らない御子柴ばかりだ。
知られた嬉しさと同時に、そのどれもが四角く切り取られた一部ばかりで、なんとなく寂寥感が胸を過る。
高校の入学式で、アルバムは終わっていた。
ともだちにシェアしよう!