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16−8:海の底でふたりきり 8

「なんか、すごいちゃんとしてんな」  小さい頃はともかく、俺のアルバムなんてここまで充実していないだろう。中学になればせいぜい一、二枚、高校の写真なんて一枚もないかもしれない。 「ばーちゃんがすげー綺麗に残してくれてんだよな。あとうちの親父、写真が趣味だから」 「そうなんだ」 「最近は忙しいから、あんまカメラにも触ってねーけど。でもたまの休みに庭とかクロードとか撮ってるぜ。俺も撮らしてくれって言われるけど、全力で拒否ってる」  まぁ、その気持ちは分からないでもない。十七にもなって親のカメラに収まるのは少し照れくさいだろう。 「……あ、でも」  写真が挟まっていない、アルバムの続きを指で撫でながら、御子柴が続けた。 「今度、水無瀬と写真撮ってもらおっかな」 「え? お、俺?」  突然の提案に、俺はおろおろと視線を彷徨わせる。 「いや、でも……俺、笑うのとか苦手で」 「いいんじゃね、別に笑ってなくても。親父もなんてーの、自然な被写体を撮るのが好き、とかなんとか言ってたし」 「そういうもん?」 「らしい」  アルバムから視線を外し、御子柴は俺に目を向けた。外に広がっているであろう、夜空のような色の瞳が、柔和に細められる。 「直近だとやっぱ終業式? あ、それから三年に上がった時も撮ってもらおうぜ。体育祭とか文化祭とか。そっからもずっと」  無邪気に笑う御子柴から、俺は目が離せなかった。  どうしてだろう、瞳の奥がじわっと熱くなるのは。  その言葉に胸の中がどうしようもなく満たされるのは。 「……うん」  俺は端から滲む視界の中、かろうじて頷いた。  御子柴の表情から笑みが消える。  やばい、泣きそうになっているのがバレたかな、引かれたかも。なんとか感情を平坦に保ち、慌てて言い訳をしようとしたところで、御子柴の指がそっと頬に触れてきた。  髪の間をすり抜けて、大きな手が片頬を包み込む。そのぬくもりは途方もない感情を俺にもたらした。  それは多分——愛しさ、という名前なのだろう。  どちらからともなく身を寄せ合う。瞼をゆっくり閉じると同時に、柔らかい感覚が唇に触れた。角度を変えて、軽いキスを繰り返す。その度に鼻先が触れて、羽で撫でられるようなくすぐったさを覚えた。  数えられる程度の回数そうしているうちに、いつの間にか腰に回っていた御子柴の腕にぐっと力が入った。熱い舌が差し込まれる。痛いほど脈打つ心臓の高鳴りも置き去りにして、俺はその動きに必死に応じた。  両手は縋り付くように御子柴の背中に回り、知らず知らずのうちに俺達は体を密着させ、深く抱き合っていた。 「んっ……、ん」  いつものことながら、次第に御子柴の舌の動きに翻弄され、鼻から間抜けな息が漏れる。うまく息継ぎができず、酸素が頭に回らなくなる。息苦しさに意識が次第にぼうっとしてきた。いつ頃からだろうか、この深い穴に落ちていくような感覚すらも待ちわびるようになったのは。  ちゅ、と軽い音を立てて、御子柴の唇が離れた。 「はっ——」  反射的に空気を吸い込む。それでも尚、荒い息をついている俺に、御子柴は無言で額を寄せた。至近距離から見る御子柴の瞳はあまりにも美しかった。きっと俺がこの前見損ねたプラネタリウムはこんな光景を映し出すのだろう、と思った。 「好きだよ」  なんの飾り気もない言葉が、俺の胸の底まで深く根ざす。荒い呼吸の間からなんとか返したくて、でも真っ直ぐ見るにはあまりにも恥ずかしくて、俺はそっと目を伏せた。 「……俺も」  やっと返した小さな言葉ごと、苦しいほど抱きしめられた。  身動きできないからだけじゃない、もっと本質的なもどかしさに俺はか細い息を吐く。こんなに近くにいるのに、御子柴の存在が遠い気がした。世界中の誰よりも、手が届かない場所にいるような。  いや、違う。  足りないんだ。  こんな距離じゃ、何もかも足りない。  もっとずっと近くにいたい。  この世界の、他の何もかもが見えないぐらい——そばに。 「水無瀬……」  深みのある声が耳朶を打つ。抱きしめる力が緩んだかと思うと、御子柴は唐突に俺の首の後ろと膝の裏に腕を差し入れた。 「よっ、と」 「うわっ」  そのまま突然、持ち上げられた。俺は思わず御子柴の首っ玉にかじりつく。いつぞやの春日井先輩のように横抱きにされた俺は、すぐさま傍のベッドにぼすっと落とされた。  反射的に目を瞑る。マットレスが背中を受け止めたので痛みはなかったが。 「お前、なにす——」  細く目を開けて、文句を言おうとした俺の両側で、ぎしっとスプリングが鳴った。  体の上に、影が落ちる。  天井から照明を受けて、薄く逆光になった御子柴が、俺に覆い被さっている。 「……俺、お前のこと、こうしたいんだけど」  らしくなく強張った表情で、切羽詰まった声で、ぽつりと言われる。  俺はしばらく呆気に取られて御子柴を見上げていたが、言わんとしていることにじわじわと理解が及ぶと、一挙に熱が顔に集まってきた。  じっと俺を半ば睨み付けている御子柴の瞳は、至って真剣だった。痛いぐらいに真摯だった。黒曜石のような輝きの中に、ちらちらと燻る炎が見えた途端、俺の心臓がどくどくと大きく脈打ち始める。  詰めていた息を、細く長く吐く。言うべき言葉は分かっていたが、このまま視線を合わせていたら、どうにかなってしまいそうだった。  だから、 「いちいち聞くな、そんなこと……」  俺は自分を情けなく思いながら、少しだけ顔を背け、手の甲で口元を覆った。 「……御子柴になら、何されてもいいよ、俺——」  視線を背けた先のシーツがぎゅうっと握り絞められた。深い皺の寄ったシーツ。御子柴の指は力が入りすぎて真っ白になっている。  見ると、御子柴はがっくりと項垂れていた。 「お前は、また、そういうことを……。俺がとんでもない性癖持ってるド変態だったらどうするわけ?」 「そうなのかよ」 「違うけど」 「ならいいだろ」 「いいのかよ……」  心底疲れたように御子柴は溜息を吐いた。  そしてそのまま呆れ果てたような表情で、俺の頬を撫でた。親指が耳の輪郭を確かめるようになぞり、人差し指が首筋を辿った。皮膚が粟立つ感覚が羞恥心を煽る。御子柴の手が、俺の喉元にあるファスナーにかかったのに気づき、焦って言った。 「で、電気は消せって」 「あ、バレた。なるべく色々見たいんだけどな」  こいつ……やっぱりちょっと変な性癖が入っているのでは? 「いいじゃん、この前は明るかったし」  保健室でのことだ。あの時はほんとどうかしていたとしか思えない。真っ赤な顔をしていては迫力も何もないが、とにかく俺が睨み付けると、御子柴は渋々ベッドサイドのリモコンに手を伸ばした。

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