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16−9:海の底でふたりきり 9(*)
ピッ、という電子音がして、部屋の照明が落ちる。
全てが薄い暗闇に沈んだ。それでも視界が完全に閉ざされなかったのは、カーテンから外の光がぼんやりと漏れてくるからだ。月光なのか外灯なのか、あるいはその両方なのか、暗い部屋に青白い明かりが差し込んでいる。
さながら、御子柴と二人、海中に落ちていくような光景だった。海面から与えられる陽光がどんどん少なくなって、青くて暗くて静かな海の底に沈み込んでいくような——
「水無瀬」
名前を呼ばれると同時に、手と手が重なった。応じるように指を絡めると、唇を塞がれた。
気まぐれに口内を探ってくる舌と共に、熱い吐息が押し込まれる。密着した体から、どくどくと早い鼓動を感じる。それは決して自分のものだけではないことが分かって、さらに心臓が早鐘を打ち始める。
キスの合間に、ジャージのファスナーが下ろされていくのが分かった。じりじりと音を立てていくのに、羞恥が募る。
唇が離れる。御子柴が確かめるように、半分ほど開かれたジャージを見て、首を捻った。
「あれ、シャツも忘れたの?」
ジャージの下はむきだしの肌だった。改めて指摘されるとは思わず、俺はとっさに顔を背けた。
「いや……。その、この前、邪魔そうだったから……」
御子柴の手の動きが一瞬、止まった。だから言いたくなかったんだ。風呂から上がって着替えてる時から、そういうことを期待してたって暴露してるようなもんじゃないか。
拷問のような沈黙に、ちらりと目だけで御子柴を伺う。
青白い光に横から照らされた御子柴は、薄笑いを浮かべていた。
「——なにそれ、興奮する」
それはさながら、美しい獣のようだった。
呆けていた俺の目を覚ますように、御子柴が首筋に軽く噛みついてきた。固い歯の感触と熱い吐息を感じて、一気に危機感が増す。そのまま首筋を舐め上げられて、俺はびくりと肩を竦めた。
「ん……」
いつの間にかジャージを脱がされ、肩から肘までをむきだしにされる。俺は保健室での轍を踏むまいと、慌てて袖から腕を引き抜いた。
御子柴は再び体を寄せて、俺の肌を味わうように舌を沿わせていった。
肩に唇を落とされ、鎖骨を濡れた感触が辿る。背中に腕を差し込まれ、僅かに持ち上げられた。黒い頭がどんどん下に降りていくのに、俺は思わず声を上げた。
「待て。ふ……不公平だ」
「え、何が?」
俺の胸に口を埋めるのをやめないまま、御子柴が目だけを上げる。なんつー光景だ。っていうかわざとやってるな、こいつ。
「な、なんで俺だけ脱がされんだよ。恥ずかしいだろ」
「ん? 水無瀬くんは俺の裸を見たいってこと?」
「そういう言い方すんなっ」
「はいはい」
御子柴は一旦俺を離した。そして自分のジャージの裾を両手で掴むと、それをまくりあげて一気に脱ぎ去った。
俺は——思わず言葉を失った。
本当に同級生で同性なんだろうかと思うほど、俺と全然違う。
ほどよく筋肉が付いた体だった。腹は引き締まってて、真ん中にうっすら筋が浮いている。胸筋がそれと分かる程度に盛りあがっていて、上腕と下腕も男らしく太さがあった。
何も御子柴の体を見るのはこれが初めてではない。水泳の授業だってあったし。
けど……なんか。あれ……あれ?
どうしてだろう。駄目だ。今は駄目だ。全然駄目だ!
「やっぱ着ろ!」
「……はぁ?」
「だってこんなの。いや、その……だめ、だめだって」
御子柴が脱いだジャージを拾ってぐいぐいと押しつけながら、俺は額にぶわっと汗を滲ませた。自分でも訳が分からないほど混乱している。
困った顔で御子柴を見上げると、にっこりと笑みを浮かべていた。……あ、まずい、これ怒ってる時のあれだ。
「もーいいからちょっと黙ってろ」
腕を掴まれて、ぽいっとジャージを放られる。
あっという間に覆い被さられて、深いキスをされた。今度は手加減なしだった。少しの呼吸も許さないほどの意思が伝わってくる。
「ん、んっ……」
歯列と言わず、上顎と言わず、口内を蹂躙される。
背中に両手が回り、抱きしめられると、肌から直接御子柴の体温が流れ込んできた。それが自分の温度と混ざり合って、お互いの境界線が曖昧になる。キスが終わっても、その感覚が俺を酔わせる。
しがみつくように抱きしめ返すと、ますます溶け合っていく。
「あ……」
思わず声を漏らす。御子柴もまた深い息を吐いた。
「人肌って気持ちいいな」
「う、ん……」
あまりの心地よさに、俺はそう返すので精一杯だった。
しばらくそうして抱き合った後、御子柴は体を起こして、俺の額に口づけた。
ぼんやりしている俺に微笑みかけて、手の平でいろんなところを撫でていく。そして時折指でなぞる。人肌のぬくもりで緊張が抜けた体は刺激を素直に受け入れていく。首筋や脇腹、みぞおちなんかに指を立てられると、背筋がぞくぞくと震えた。
唐突に御子柴が胸の中心に口づけた。すでにぷっくり尖った様子を見せ付けるように、舌で舐め上げたり、吸ったりされて、俺は思わずぎゅっと目を閉じた。
「恥ずかしい?」
「当たり前、だろ……」
「こんな可愛いのにな」
反対側を人差し指でくにくにと押しつぶされて、酷い羞恥に涙が滲む。相変わらずわざと音を立てて唇でつまみ上げられる。頭の線が焼き切れそうになっている俺は、胸から離れた手がじりじりと下がって行く不審な動きに気づかなかった。
そうして唐突に布越しに快感を与えられて、俺は大きく目を見開いた。
「——ッ!?」
両手で口を押さえて、なんとか声をこらえる。足と足の間で、ジャージの生地が擦れる音が、俺を混乱の渦に叩き落とした。
「は、ぁ——ま、まっ、待って」
「なんで。気持ちいいだろ」
「う……ぁ、あ——」
口を開く度に変な声が漏れそうになって、まったく反論できない。
さっきまでとは打って変わって分かりやすい刺激に、俺はいやいやをするように首を振る。
ああ、なんだこれ、自分でするのとは全然違う。
当然だけど、動きがまったく読めなくて、予期せぬところから与えられる快楽に何度も腰が跳ねた。熱が増して、質量が増して、先端が震えてぐちゃぐちゃになっていく。
それでも御子柴の手つきは優しかった。上に乗り上げて、俺の頬やこめかみに何度もキスを与えて。
でもそれは俺にとって気遣いなんかじゃない。おそらくきっと御子柴にとっても。その証拠に御子柴は顔を歪める俺から、何かを待っているように見つめてきた。
胸を切なさが締め付ける。呼吸が覚束なくなって、まるで海の底で溺れそうになっている。追い詰められた俺の耳元へ、御子柴は吹き込むように言った。
「どうしてほしい?」
俺は潤んだ目で御子柴を睨み付けた。途端に、親指が先端を強めにこする。声が漏れそうになって、手で覆う。分かってるくせに。そう呟くも言葉は声にならない。
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