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16−10:海の底でふたりきり 10(*)

「ちゃんと言わなきゃ分かんない。ほら、手どける」  手首を掴まれる。せめてもの情けか、それともさらなる脅しか、御子柴の動きが止まった。俺は唇を歪め、荒い息を繰り返した。 「はぁ、はぁ……う……」 「何?」  御子柴の唇が美しい弧を描く。俺はとうとう根負けした。 「……ちょ、くせつ……」 「うん」 「——直接、してほしい……」  こめかみを涙が伝った。それを口でちゅっと吸った御子柴は、尚も続けた。 「分かった。じゃあ、俺のお願いも聞いて貰っていい?」 「な、なに……」 「声、我慢しないこと」  俺は大きく目を見開いた。そして返事を聞く前に、御子柴の手が腹からジャージの中に滑り込んでくる。 「あ、待っ——」  長い指はすぐ俺のものを握り込んだ。ぶわりと全身が総毛立つ。ゆっくりと上下に扱かれて、思わず足をばたつかせる。 「ん……く、ぅ——」 「声」  唇を噛み締めていると、釘を差された。  親指の腹で先端の口を擦られると、頭の芯がかっと熱くなって何も考えられなくなる。思考を奪われた俺は、御子柴の命令を半ば強制的に受諾させられてしまう。 「あっ、あ……待って、おねが、い」 「やめたら辛いくせに」 「んんっ……ぁ、あ」  情けない声がひっきりなしに喉を震わせる。きっと人は恥ずかしさで死ねるのだと思った。何度も手が口を塞ごうとする。でもそれは俺には許されていない。だから、両手で必死に枕を掴んだ。 「だ、め……あっ、だめ、だめ、もう」 「いきそう?」 「う、うっ……ん……」  何度も頷く。その度に涙がぱっぱっと虚空に散った。  すると、御子柴の手がジャージからするりと抜かれた。思わず縋り付くような目で見てしまう。御子柴は安心させるように啄むようなキスを与え、それから下着ごと俺のジャージを膝下まで一気に下ろした。 「う、えっ?」  突然の出来事にすっとんきょうな声を上げる。反り返った先端からぽたりと先走りが、冷えた腹に熱い雫を落とした。  もはや何も見ることができず、ただただきつく目を瞑っていると、御子柴が切羽詰まった声で言った。 「……一応、俺も限界でして」  ああ、そうなのか、と意外に思った。  だってこいつ、ずっと冷静で、淡々と喋ってたから。少し安心した。  俺だけ熱くなってる気がして——ずっと寂しかったんだ。  耳にかろうじて布擦れの音が聞こえてくる。 「一緒にしてもいい?」  正直言って、意味が分からなかった。でも俺はなけなしの意地を引っ張り出してきて、言った。 「何されてもいいって、言ったろ……」  次の瞬間、唐突に熱が押しつけられた。え? と思っている間に、御子柴の大きな手が二人のを同時に握り込んだ。 「んっ、え、あ……!」  さっきまでの穏やかさは欠片も残っていなかった。熱同士が擦れ合って、激しい快楽が腰から背筋を駆け抜けた。 「あっ、んん……そ、れ、あぁ……」  何をされているのかは分かった。俺と御子柴がどうなっているのかも。  でもそれを見ることができない俺には、想像することしかできない。  あの白と黒の鍵盤の上を泳ぐ美しい手が、指が——蠢いて、濡れて、汚れていく様を思い浮かべると、甘い背徳感が首の後ろをぞくぞくと這い上がっていく。 「はっ……ぁ——」  薄く開いた視界に、御子柴の全身が激しく上下に揺れているのと、そのこめかみからぽたりと汗が落ちるのが見えて、どうにもならなくなる。  金魚のようにぱくぱくの呼吸を求め、それと同じぐらい切実に御子柴の体温を求めた。腕を伸ばすと、察してくれたのか、御子柴は身をかがめた。背中に腕を回して、しがみつく。  うっすらと汗ばんだ肌と肌が、吸い付くようにぴたりと重なった。  同時に膨らんだ先端同士が擦れ合い、くちゅりと水音を立てる。 「んあっ、あ、あっ、いっ——」  滲んだ視界に御子柴の背中が見えた。俺のジャージはいつのまにか左足首にわだかまって、垂れ下がっていた。両足が御子柴の腰をぎゅっと挟み込んでいる。全身をゆさぶる律動が、俺の理性を剥がしていく。 「はっ——、気持ちいい?」  さしもの御子柴も息が上がっている。そのことが嬉しくて、俺は何度も頷いた。 「うん、うんっ……あ、あ」 「俺も。ちょっと……意識飛びそう」  ますます腕に力を込める。ぼろぼろと涙が零れて止まらなかった。俺は子供のようにしゃくりあげながら、愛しい人の名前を呼ぶ。 「御子柴、み、こしば——ぁ、あっ、ん」  御子柴が体の動きを止めた。手での刺激は続けたまま、俺を至近距離から覗き込む。 「——好きだよ、水無瀬」  心臓が破裂しそうなほど鼓動を打った。  気がつくと、俺は首をのけぞらせ、あられもない声を上げていた。体の奥底からせり上がった熱がなすすべもなく解放される。全身が痺れるような激しい快感の後、指先一つ動かせないような虚脱感が襲ってきた。 「はぁ……ぁ、ごめ……」  飛沫の大半は俺の腹に放たれていたが、一部はシーツを汚していた。どうしようかと思っていると、御子柴が体を密着させるようにさらに覆い被さってきた。 「別にいいって。それよりもうちょっと……付き合って」  余裕のない口調に、ふと思い当たる。あ、そうか、御子柴はまだ—— 「俺……やろうか?」  鉛のように重い腕を持ち上げようとする。うまく動かなくてもたもたしていると、御子柴が苦笑した。 「じゃあ、ちょっと手貸して」  優しく手首が取られた。そこから下に持っていかれ、手の平に御子柴の熱を感じるなり、顔がぶわっと赤くなる。俺の手と一緒に自分のを扱いている御子柴を、思わず見上げると、ちょっと困ったような顔をされた。 「あんま見んなよ、はずい」  空いている手が俺の目を塞ぐ。こいつ、ずるいだろ……! 俺のことは散々暴いておいて。思わずぱしっとその手を払いのける。御子柴はさして抵抗しなかった。 「水無瀬の手って……気持ちいいな。俺と違って、薄くてやらかい」 「そ、んな……こと。ぅ、あ——」 「だいじょぶ? 気持ち悪い?」 「ちがっ……、あ、あ……」  再び呼吸が荒くなる。心臓が痛いほど胸を叩いた。手の中にある御子柴の熱が脈打つ度、妙な声が漏れた。なんでだ、頭のねじが外れてしまったんだろうか。  興奮が収まらない。熱くて。気持ち、いい—— 「あー……ずっと、こうしてたい、なっ……」 「んんっ、ばか、ぁ——早くいけよ……!」  つい本音が漏れた。こいつ、忍耐の化け物か。どうなってんだ。  こんなこと続けてたら、本当に頭がおかしくなってしまう。 「好きって、言って欲しい」  またそれか。何度言えば分かるんだよ。俺はやけっぱちになって喚いた。 「好き、だよ……大好きだよっ——お前が、世界で一番好きだよ、ばか!」  一際熱い吐息が耳元に吹き込まれた。  御子柴の手が、枕元に放置してあったスポーツタオルを取る。どうやら御子柴はその中に出したらしかった。俺と手と腹と、そして自分の手を拭うと、力尽きたようにばたりとベッドに沈んだ。  掛け布団が二人を包み込む。横から抱きしめられて、俺はぎょっとした。 「ま……待て。服。服着よう」 「なんで? 気持ちいいし、やだ……」  ぎゅうぎゅうと抱きついてくる御子柴を無理矢理ひっぺがして、俺は衣服を整えた。御子柴は特に抵抗せず、苦笑しながら俺にならった。  再び布団の中に潜る。横たわった御子柴の目が優しく細められているのを見ていられず、俺は体を下にずらし、御子柴の胸にぐりぐりと額を押し当てた。指がゆっくりと俺の髪を梳く。ぬくもりと疲労が瞼を重くした。 「……幸せだな」  独り言のように御子柴がそう呟いた。  とっくに枯れ果てたと思った涙が、またじわりと目を覆う。俺も、と返したかったけど、声が震えてうまく音にならなかった。俺は代わりに御子柴の服を強く掴んで、そっと身を寄せた。

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