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思ったよりも近くにいた
「すごい隈だな、由宇」
隣に座った翔太が俺の顔をつつく。
「まっったく寝れなくてな……」
次の日、講義室。あんな事件があってまともに寝れるわけなかった。朝方にようやく少しだけ寝れた。寝過ごすことなく2限に間に合った俺を褒めてほしい……
「ゲームのやりすぎか? それとも昨日の呼び出しで告白でもされたか~? あ、そういや昨日のって結局なんだったんだ?」
定位置である、俺の後ろに座った笹木が冗談ぽく言う。馬鹿そうに見えてわりと的確に当ててくるのやめろよな……
「俺の落とし物届けてくれただけだ」
つかえることなく答える。昨日のことについて聞かれたときのために返答はひと通り考えておいた。一晩寝れなかったからな。
「本当にそれだけか?」
「翔太まで……なに言ってんだよ、それだけだ」
「ふーん……」
翔太はなにかを考えてるのか、頬杖をついて正面を向く。
やっぱりごまかしてるのバレたか……?
幼なじみなだけあって、昔から翔太には取り繕ったことがバレることも多かった。
男に告白されたなんて幼なじみに言えるわけないだろ……絶対に言えない……
「一世一代の俺の本気の告白、チャラにしてもらったら困るなあ……」
その声は通路を挟んだ左隣から、真っ直ぐ俺の耳に届いた。忘れもしない、あの声だ。俺を一晩悩ませた原因の……
なんで、ここに。
いっきに冷や汗が噴き出した。
ぎこちなく声の方向に首を動かす。
……が、目を合わせた声の主は昨日とまるきり異なる姿をしていた。
茶色の髪はセミロングでゆるめにカールがかかっている。左耳には赤いハートのピアス。白いニットに深い赤のミニスカ。黒いタイツにブーツ。主張しすぎないメイクにピンクのリップ。
そこにいたのは昨日の男にそっくりな女だった。
「は!? ……え、お、おん……!?」
「驚いた?」
声だけは昨日のまま、男の声だ。
講義の始まる前で、周りはざわついていた。各々、友達と喋るのに夢中で、女の見た目のこいつから男の声が出ていることに、誰ひとり気づいていなかった。
目の前の謎の男(?)は絶句する俺を楽しそうに見つめてにこりと笑い、小さな声で俺だけに語りかける。
「驚いてるね、かわいい……その顔が見たかったんだ。あれ、隈ができてる。もしかして一晩中俺のこと考えてくれてた……?」
何もかも訳がわからない……
隈の原因は当てられるし、こいつは嬉しそうに頬を染めてるし……なんなんだ、俺が何をしたっていうんだ……
「あ」
俺の動転に気づいたのか、翔太が声をあげる。
「昨日、由宇に封筒を渡すよう頼んできた男の既視感、お前か」
「えっ?」
反対側に座る翔太と男(?)を交互に見た。翔太は頬づえをつきながら男を睨んだ。
「昨日の男、どっかで見たことある顔だと思ったら、そこにいる子にそっくりだったな。昨日の男とお前は別人なのか?」
翔太は目の前のやつが女だと思っているらしい。周りも騒がしいし、声は聞こえなかったんだろう。
同じ学部でも、人数が多いし講義室も広いから全員の顔と名前が一致するわけではない。たしかに昨日、翔太はあの男のことをどこかで見たことあるような……って言っていた。
講義のときに何度か顔を見ていてそれが既視感に繋がったのか。でも、格好は女だが声は昨日の男だ。
こいつ、同じ学科だったのか……?
それなら今は女の格好で、昨日は男の格好だったのはなんでだ……!?
「ふふっ! 勘がいいね、名越くんは」
その声は、どう聞いてもかわいらしい女の声だった。さらに驚いた俺の顔を見て相手はいっそうにこやかに笑っている。
「そりゃどうも」
翔太が素っ気なく返す。質問に答える気はないんだな、と小さい声でつぶやいていた。
何だよこの空気……
そうしているうちに講義が始まったが、左隣からの視線が痛くて全く集中できない。俺の一挙一動、全てを見られてるようだ。どうしても気になってちらっと見るたびに微笑まれた。
こいつ、翔太の名字まで知ってた……というか、思い返せば俺じゃなくて翔太づてに封筒を渡してきたってことは俺の交友関係まで知っていることになる……
本当にどこまで何を知っているんだ……!?
*
講義が終わった瞬間、逃げようと席を立った俺の腕は抵抗むなしくしっかり捕まえられた。
男は翔太に向かって高らかな女声で呼びかけた。
「それじゃあ、尾瀬くん借りていくね!」
「……おまえっ……! はなせっ! どこ連れてく気だ!」
ふりほどこうと腕をふったり押し引いたりしてみたがびくともしない。これはきっと女の腕力ではないだろう。疲れて息を乱す様を嬉しそうに見つめられた。
「由宇、3限には間に合うようにしろよ」
「うん……」
これ以上抵抗しても無駄だ。こいつが早く俺を解放してくれればいいな……と半ば諦めで翔太に返事を返す。
「ケーキ食べに行こ、尾瀬くん! はやくはやく!」
「だから引っ張るなって!」
腕をぐいぐいと引っ張られながらもリュックを背負っていると、男は翔太に視線を移して微笑んだ。
「いずれは、借りるじゃなくて貰うけど」
「……できるものなら」
そんな会話が聞こえた。
会話の意味がいまいちわからないまま、俺は引きずられて講義室を後にした。
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