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オーバーヒート

「うわっ!?」 「どしたの、いきなり叫んで?」   七星が何事かと俺のそばに来て顔を覗きこんだ。 「そこ! でかいクモ!」 「え?」  鎖を最大限のばして距離をとった。  指をさして必死に場所を伝えるが、七星はちらっとクモを見ただけですぐに棚のほうに戻った。 「ああ、アシダカグモだ。この建物古いしそんくらいいるよ。クモだけじゃなくてみんな嫌いなあれだってよくいるし……アシダカグモはそれを……あ、あった!砂糖とミルク!」 「んなこと言ってないで早くクモをどうにかしてくれ! マジであれは無理!!」  七星はふーん……と小さくつぶやいてクモに近づく。 「……」  そのまま鷲掴んで窓から投げた。その様子を見ただけでも、ヒッと声が出てしまう。こっちに投げてくるんじゃないかと心配したが、外でよかった…… 「……由宇くん、もしかして?」  七星は笑いながら振り返った。うわ……最悪だ……これは新しいおもちゃを見つけた顔だ。  ……隠しても無駄だな。弱みになるからこいつに絶対言いたくなかったけど、あのでかいクモと同じ空間にいるほうが無理だったから仕方ない。 「お前のせいで……俺は今でも虫が苦手なんだ!」 「え、俺のせい?」  七星は大きい目をパチパチさせた。 「そうだよ! お前が小学校のときいっぱい投げてきたからだろ!? そんなことされたら嫌にもなる!!」 「俺のせい?俺のせいなの? ほんとに?」  しまった……余計なことを言ってしまった。と、気づいた頃にはさらに無邪気に目を輝かせる七星が抱きついてきていた。 「ちょ……離せ!」 「へ~~そうなんだあ♡ あの頃のことはちょっと後悔してたんだけど、無駄じゃなかったってことか」  抱きしめる力がだんだんと強くなる。  後悔とか無駄とか……なんの話をしてるんだ……? 「俺のことなんてとっくに忘れてると思ってた。由宇くんのなかに何も残ってないんじゃないかって……」  理由はわからないけど、少しだけ声と手が震えていた。 「正直お前のことは思い出したくなかった。ムカつくし。けど、髪と目を見たら思い出した……綺麗な色してるよな、昔から」  震えが止まった。  顔をあげた七星は真っ赤になっていた。  「ずるいよ……」  俯きぎみに小さくそう言うと、コーヒーを取りにキッチンに向かっていった。  なんか様子が……?  砂糖とミルクをかき混ぜる音だけが部屋に響く。 「はい、できた。ちょっと冷めちゃったけど。こっちおいで」  コーヒーを机に置いてソファに座った七星は手招きするように自分の隣をポンポンと叩いた。お前は猫を呼ぶ飼い主か。 「床にいるとまた虫出てくるよ」 「む……」  それはそうだ。虫には触れたくないし見たくもない。  仕方ない……ソファは一つしかないから七星の隣に座らないといけない。距離をなるべく保つために端によって座った。 「……」  隣に座っても七星は俺から目を逸らして無言でコーヒーを飲んでいる。  急に口数減ってしおらしくなったな……  綺麗って言われるのそんなに嫌だったのか……?  顔も赤いし……具合でも悪くなったか?  しばらくの間があって、七星がこちらを見た。 「その手じゃコーヒー、飲めないよね」  顔はまだ赤い。 「いらないから早く外せ」 「せっかく砂糖とミルク探したのに~?」 「じゃあ飲むから外せ」 「俺が飲ませてあげる」  七星は砂糖とミルクが入ったコーヒーを口に含んだ。嫌な予感がした。 「は、え、急になに言って……話聞いてたか?」  赤く染まった頬、蕩けた緑色の目。俺を捉えて離さない。……食われる。  そう思った瞬間、七星の動きに合わせてソファがぎしりと音を立てた。 「ん……ッ」  ーー七星の唇が触れた。  甘いコーヒーを口内に直接注がれる。吐き出すこともできず、生暖かい液体が喉を伝った。全部飲み込んだのを確認して七星の唇はゆっくり離れた。 「あまい……」 「……!?!? っな、なにす」 「もうひとくち……」  七星は再びコーヒーを口に含む。 「も、もういらないって!やめろ!! 聞け七星!!」  静止の声は届かないし止まらない。逃げることもできずに頬を掴まれて再び柔らかい感触が唇に触れた。 「んッ……う……」  ふたくちめのコーヒーを飲み込んだのに、七星は離れようとしない。ただひたすらに俺を求めて舌が入りこんでくる。口の中に広がる甘さがコーヒーなのか唾液なのかわからなくなってきた。 息ができない。酸欠になる……っ 「はぁっ……おま……っ」  長く塞がれていた口はやっと解放され、大きく息を吸い込んだ。  やばい……力入らない…… 「もう我慢できない……」  そう言った七星の顔は発情したケモノそのものだった。気づいたころにはソファに押し倒されて、さらに身動きが取れなくなっていた。 「ほしい……」  さっきから七星の様子がおかしい。最初からおかしかったけど、会話ぐらいはできていた。それなのに今は全く声が届いてない。  おかしくなったのは……  綺麗な色って言ってからか……?  そんなに嫌だったのか? だから仕返しにこんなことしてるのか?  こいつは昔から俺に嫌がらせばっかりしてくるやつだった。でもこれは嫌がらせってレベルじゃない。度を越してる。  このままなす術なくこんなやつに食われたくない。とにかく七星の意識を戻さないと……!  俺は七星を思いきり睨みつけ、叫んだ。 「……ッいい加減にしろよバカ! さすがにやりすぎだ!! そこまでして俺をからかうのが好きか!?」  力は入らないし身動きもとれない。声を出すしか方法がなかった。  「さっきから話聞けって言ってるだろ! あれか!?綺麗って言ったから怒ってんのか!? そう思ったから自然と口から出たんだよ!傷つけたんなら謝る!  だから、目ぇ覚ませ!!」 「……由宇くん」  やっと俺の言葉が届いたのか、七星は動きを止めて瞬きをした。

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