23 / 142
いなくなった由宇②*side玲依
マップを頼りに理学部 1号館と書かれている建物を見つけた。
見ただけで老朽化がわかる建物だった。
「とりあえず片っ端から部屋を見てみるか」
名越くんの言葉にうなずき、中へと入る。
電気がついていても建物内は薄暗かった。
「なんか薬品臭いね」
「理学部だしな……」
入ってすぐ右の壁、剥がれかけの館内マップが目に入る。
「うわ、ここ5階まであるよ」
「手分けするぞ。お前は1、2階を頼む。俺は3、4階。念のため連絡先を交換しよう」
「わかった」
相当焦ってるはずなのに判断は冷静だ。だから今までも由宇を守ってこれたんだろう。
「何かあったら連絡してくれ」
そう言い残して階段を駆け上がっていった。
薄暗い建物内のドアというドアを開けてまわった。由宇が閉じ込められている可能性もある、ロッカーや人が入りそうな大きさの棚は全部確認していった。
部屋はどこも真っ暗で、いちいち電気を探すのに苦労した。
「ここにも人体模型か……」
そんなものに驚いている場合じゃないけど、ここはなかなか不安感を煽るものばかりだ。一度恐怖を自覚すると背後に誰かいるんじゃないかと思ってしまう。
人体模型に骨格模型、実験道具、なにかの内臓のレプリカ、動物や虫の標本……
どの部屋も怪しいものばかり。理学部だしそりゃあそうだろうけど、夜に来たくはなかった……
名越くんはそんなことも考えなさそうだな。そういえば名越くん、格闘技系のサークル入ってるんだっけ。強いのかな……殴りあいになったら勝ち目ないだろうな。
きっと、それも由宇を守るためなんだろう……
……悔しい。
当たり前だけど、幼なじみは過ごした年月が違う。文句を言っても時間は戻らないのに、そんなことに嫉妬してる自分にも腹が立つ。醜くて嫌になる。
それでも……俺は由宇が好きなんだ。この気持ちは変わらない。
考えているうちに、2階の最後の部屋まで見終わったけど、手がかりはなかった。名越くんのほうはどうだろうか。
スマホをポケットから取り出した瞬間、着信音がなった。
「こっちはいなかった。そっちはどうだ?」
「俺も今見終わった。誰もいない」
「じゃああとは5階だ。俺は先に探してるからお前も来てくれ」
「わかった」
誰も見ていないのに力強くうなずき、階段を上がった。
音石七星は由宇がひとりになるタイミングを確実に狙っていた……名越くんがサークルに行く日。俺のことも視野に入れていたとしたら、俺が実習で由宇に会えない日。
ふたつが重なるのが今日。
由宇への気持ちがそのままだったら何をするかわからない……名越くんの言葉が浮かんだ。
音石七星の思い通りにはさせない。絶対見つけ出してみせる。
合流した名越くんは部屋をいくつか見終わっていた。
「5階は個人が使っている実験室みたいだ。明かりがついてる部屋は人がいたが、音石じゃなかった。明かりがついてない部屋は鍵がかかっていた」
「音石七星のことを知ってる人とかいた?」
名越くんは首を振る。
「部屋にいる人に聞いてみたが、誰がどの部屋にいるかまでは知らないみたいだった」
「じゃあ、あとの部屋も見ていこう」
501実験室と書かれている部屋から順に見ていき、最後の部屋の前に立つ。
「最後の部屋で当たりみたいだな」
指を差す方を見てみるとドア端のプレートに小さく、
"520実験室 管理人 音石七星"
と書かれていた。
「よりにもよって最上階のいちばん奥の部屋か……時間稼ぎに付き合わされたな」
そう呟いてため息をつき、名越くんが扉に手をかける。
「……開いてるな」
「わざわざ開けておくとか……なに考えてるの、音石七星は」
不自然で、怪しい。俺たちが来ることがわかっていて、歓迎されているみたいだ。
「いくぞ」
何が待ちかまえているかわからない。それでもむかう選択肢しかない。俺は拳を握り、名越くんのあとに続いた。
部屋の中はいっそう薬品の匂いがした。正面の大きな机には実験器具が所狭しと並べられている。
机を隔てた向こう側にそいつはいた。
金髪で緑の目。同い年にしては童顔だ。その綺麗顔立ちの男はこちらを笑顔で見据え、ゆっくりと口を開いた。
「久しぶり、翔太くん。大きくなったねぇ……」
「お前こそな。由宇はどこだ」
声を低くした名越くんに全く臆さず、緑の目をいたずらっぽく光らせた。
「由宇くんは無事だから安心してよ。俺はあんたらと話したかったんだ。そのために鍵も開けておいた。……でも、思ってたよりも来るのが早かったね」
あんたら……ということはやっぱり俺のことも知っているみたいだな。
「そっちの人は初めましてだね」
笑顔の奥の鋭い視線がこちらに移った。
「どうもこんばんは、人さらいの金髪イケメンくん」
「はは、煽るのが上手いね。あんたもじゅうぶんかっこいいよ。まあ、ひとまず自己紹介でも……」
音石の言葉を遮る。
「名越くんに聞いた。音石七星、なんでも由宇にちょっかい出してたクソガキだって?」
「そこまで知ってるなら自己紹介はいらないね。俺はあんたと話したかったんだ」
声色が変わり、笑顔が消える。さらに視線が鋭くなり、空気が冷えていく。
でもここで引くわけにはいかない。
「邪魔なのは翔太くんだけだと思ってたら知らないやつがいて驚いた。あんたは由宇くんの何なの?」
「俺は髙月玲依。由宇の恋人になる予定だ」
「あはは!いきなり宣言か……好戦的だね。でもそれは無理だよ、俺がなるから」
尖った犬歯が口の端から覗いているが、目は全く笑っていない。
「こっちは10年間も由宇くんのこと想い続けてるんだよ。急に出てきて由宇くんの隣にいて……一目惚れでもしたの?」
音石が俺を指さし、睨みつけてくる。
どこで見ていたのか知らないけど、俺が最近由宇と知り合ったってわかってる口ぶりだ。察しがいいな……
「そうだ、一目惚れだよ。年月なんか関係ない。お前にも名越くんにも負けない。俺は由宇を連れ去ったりなんかしないし怖い思いもさせたりしない」
「そんなこと言ってさあ……あんたは由宇くんを自分だけのものにしたいってって思わないの?」
「……っ それは……」
返答に詰まったのを音石は見逃さなかった。
「白馬の王子様気取ってても、そう思ってるなら俺とやってることは変わんない。独占欲を満たしたいんだろ? それが結果的に由宇くんを困らせて、怖がらせてるんじゃないの?」
そりゃあ、思うよ。好きなんだから。
触れたいし甘やかしたいし、由宇を自分だけのものにしたい。音石にも名越くんにも、誰にも取られたくない。
実際、告白したときに気持ちが止まらなくて由宇にそんなこと言ったし……ドン引きされて逃げられたけど……
でも、音石のやり方は間違ってる。無理やり由宇を手に入れるのは違う。
あ~~っ……考えがまとまらない! うまい切り返しが浮かばない!
くそっ……目の前で勝ち誇った顔してる音石をぶっ飛ばしたい……!!
「髙月」
名前を呼ばれてハッと意識が戻る。
「こいつの相手をしてるとキリがないぞ」
「……!」
完全に音石のペースになっていた。冷静になれ。今は音石と言いあうのが目的じゃない。
「あ、ありがとう名越くん……」
名越くんから見れば俺だって由宇を狙う敵なのに……まさか助けられるなんて思ってなかった。
「あーあ、もう少しで勝てそうだったのに。ほんっと翔太くんは俺の邪魔をするのが得意だねぇ」
音石は腕を組み、顔をしかめた。
それを気にもせず名越くんは一息つき、音石に向き合った。
「随分とこじらせたな、音石」
「翔太くんこそまだボディーガードやってるわけ? 由宇くんのこと諦めきれてないくせに」
挑発されても落ち着いていて、淡々と言葉を返している。
「お前に言われる筋合いはない」
「ボディーガードはそばにいられるけど、意識されない。あんたはそれを選んだんだ」
「……由宇はどこにいる」
いっそう低い声が部屋に響いた。
「ふーん、崩れないなあ……由宇くんの前で翔太くんの気持ち暴いてやろうと思ったのに…… これ以上は無駄だな。はい、どーぞ」
音石が不満そうにポケットから放り投げたものを名越くんがキャッチする。
手元を覗き込むと、それは小さな鍵だった。
「今日は翔太くんの勝ちにしてあげる。由宇くんは奥にいるよ」
くいっと指を仕切りの奥に向けた音石は再び怪しげに笑みを浮かべた。
「全部聞いてたよね、由宇くん?」
声は聞こえないが、その問いに答えるようにジャラ……と鎖のような音が聞こえた。
えっ…… 聞いてたの!?
ともだちにシェアしよう!