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恋焦がれた10年間①*side七星

 嵐が去り、静かになった部屋でソファに転がった。無機質な時計の音だけが響いている。 「由宇くんの匂いがする……」  大きく息を吸い込むと、愛しい人の香りがした。さっきまで由宇くんを押し倒していたソファ。目を閉じれば、顔や声や体温……由宇くんの全てが鮮明に浮かんだ。  ーーはじめは、この髪も目も嫌だった。  みんなと違う金色の髪、緑の目。  周りの人は優しくて、いじめられたり差別されたり、後ろ指を指されることはなかった。親同士がハーフだから身内に髪と目が違う人はたくさんいたし。  それでもやっぱり友達に自分と同じ色の人はいなかった。一緒に遊んでてもどこか距離をとられているような気がした。    そんなとき、キミと会った。あの瞬間は今でも鮮明に覚えている。 「キレイな色だな! 髪も目も!」  小学校4年のときだった。新学期になりクラス替えをして、隣の席になった男の子が俺を見て声をあげた。  目を大きく開けて、無邪気に笑っていた。その目はキラキラしていて純粋で……  距離を一切感じさせなかった。 「変だと思わないの?」 「え? なにが変なんだ?」  なんなんだ、こいつは。 「なあ、ちょっとだけ髪触ってもいい?」 「えっ」  男の子は遠慮なく俺の頭を撫でて、目を覗きこんだ。 「髪サラサラでやわらかいなあ! 目も近くで見るともっと光ってるし……おまえによく似合ってる!」 「っ!?」  一瞬で顔に熱がのぼった。真っ赤になった顔を見られたくなくて、男の子の手を振り払って顔を背けた。  なんなんだこいつは。笑顔がまぶしくてまともに見れない。ドキドキする。  ドキドキ……?  え、なんだ、ドキドキって。なんだよこの気持ち。知らない、わからない。  どうやったらこの気持ちの正体がわかるんだろう……  それから俺は隣の席の男の子、尾瀬由宇くんのことが気になりはじめた。  由宇くんは明るくて素直だ。それによく笑うし、怒るし……感情が豊かだった。  由宇くんのことを考えるとドキドキして苦しいのにずっと考えていたい、話したいと思う。不思議な気持ちだ。  話したくて、気を引きたくて、俺のことを考えてほしくて、ちょっかいをたくさんかけた。  日が経つにつれ、由宇くんが俺を見るたびに嫌そうな顔をするようになった。それでも、たとえ嫌われてもこの気持ちの正体を知りたかった。  嫌がる顔もおもしろくてかわいいなと思ってしまった。  小学校5年に進級する前、親の仕事の都合で引っ越すことになった。  俺の送別会は修了式と兼ねて行われた。  終わったあと、教室から出る由宇くんを呼び止めた。 「最後まで嫌がらせかよ……」  由宇くんは心底嫌そうにつぶやいたけど、逃げはしなかった。 「もう由宇くんと遊べなくてさみしいなあ」 「あっそ……」  少しの間のあと、由宇くんは顔をあげた。 「引っ越しても人をいじめたりするなよ」 「安心して。由宇くん以外にはしないから」 「どういう意味だよ……まあ元気でな」  まさかそんな言葉が聞けると思わなくて、ちょっとだけ泣きそうになったけどこらえた。見られたくなかったから。 「うん。由宇くんも元気でね」  それが最後の会話だった。  1枚だけ持っていたクラス全員の集合写真。俺と離れたところにいる由宇くん。もうこれだけしかない。  唯一の心残り。引っ越しや転校はどうでもいいけど、由宇くんと離れることだけが嫌だった。  どうして嫌なのか、その理由は1年かけてもわからなかった気持ちの答えだった。 「そうか、俺は由宇くんのことが……」  その瞬間にはじめて自覚した。  きっと最初に話しかけられたときから……  俺は由宇くんのことが好きなんだ。  ああ、できればもっと早く気づきたかったなあ。  そうしたら気持ちを伝えられたのに。少しは由宇くんに意識してもらえたかもしれないのに。嫌われるようなことばっかりしちゃったなあ……  後悔だけが残った。  離れてから気づいても意味ないのに……  いつか、会えたら必ず伝えよう。キミのことが好きだって。  小学校4年の春休み、俺はそう決意した。    今度は後悔しないように。  大学進学を機に一人暮らしをすることにした。転校前の小学校の学区内にあるアパートを借りて、大学はそこから近いところを選んだ。  これは賭けだ。  由宇くんがずっと同じ場所に住んでるかもわからないし、近くの大学に進学してるかもわからない。  俺と同じように大学進学で別の場所に引っ越してる可能性だってある。由宇くんの家は知らないし、小学校の友達との付き合いもない。  けど、俺にはこうするしかなかった。  由宇くんにどうしても会いたい。  由宇くんと離れてからずっと思い続けていた、伝えたかった。  神様どうか、俺と由宇くんを引き合わせてください……  ……そう思い続けて1年が経った。  毎朝、縁結び神社に通うのが日課になっていた。神主と挨拶をしてたまに雑談するぐらいの仲になった。叶わない恋をしている男だと思われているだろう。  ……神様はいないのかもしれない。  まず大学が広すぎる。学生数、何万人といるだろ、建物も多いし……こんなの、たとえ同じ大学に通ってても出会える可能性なんて低いんじゃ……?  それでも俺にはいつか会えると信じることしかできない。  由宇くんにすごいって思ってもらいたくて、研究に力を入れ学年1の成績まで上りつめた。大学2年に上がると同時に実験室をもらえた。  なにかに熱中していないと不安になるんだ。もう会えないんじゃないか、会えたとしても俺のことを覚えてないんじゃないかって。そんな恐れが体を支配する。  いくら勉強しても他人に褒められても、心にあいた深くて真っ黒な穴は塞がらない。由宇くんに会えるまでこれは塞がることはないんだろう。さみしいなあ……  年が経つにつれてだんだんと大きくなる想い。重く積まれていくそれを抱えて毎日を過ごしていた。  でもどんなにさみしくてもお腹は減る。  実験室でレポートを進めているとふとお腹が減っていることに気づいた。  集中していて気づかなかったけど、そういえば朝からコーヒーしか飲んでない。  簡易キッチンの下の棚。普段なら開けるとカップ麺か栄養機能食品かレトルト食品があるはずだが、今は食べ物らしいものがなにもない。 「買っとくの忘れてたなあ……」  ため息をつく。来客用に一応買っておいた砂糖とミルク、他の飲み物ぐらいしか見当たらない。  面倒だけど学食でも食べにいくか。時間はちょうど12時。人が多いのは容易に想像できる。でも腹が減った。コーヒーでは満たされない。  このままじゃ作業効率が落ちていくだけだ。それは時間の浪費……さっさと食べてレポートを終わらせよう。  鍵をかけ、実験室を後にした。  学食は予想通りの混みようで、多少時間はかかったが食事を確保できた。最近魚を食べてないなと焼き魚とフライの定食を選んだ。なんの魚って書いてあったっけ。まあなんでもいいか……  2人がけの席に座り、目の前の食事を口に運ぶ。久しぶりにまともなご飯を食べたな……ご飯と魚を咀嚼しながら思う。  うん、わりと美味しいじゃん。温かいご飯を食べると少し満たされていくような気がした。  それにしても食堂はうるさいな……今度は混まない時間に来よう。スマホを見るのも面倒で、周りの声を聞きながら箸を進めた。レポートの話、サークルの話、合コンの話……いろんな会話が聞こえてくる。  楽しそうだなあ……羨ましいなあ……  10年分の想いはどうしようもなく膨れあがっていた。幸せそうな他人を見て嫉妬してしまうぐらい。虚しいなあ……  さっさと食べてここを出よう。  その時、遠くの席に座る人物に目を奪われた。一瞬息が止まった。周りの喧騒が遠くなっていく。  うそだ……あれは…… 「ゆっ……っ!?」  詰まらせそうになったフライをゆっくり飲み込んだ。  体があつい。心臓がどんどん激しく打って苦しい。  由宇くんだ……!  間違いない、成長していてもわかる。  いるじゃないか。歩けば届くこの距離に。  本当に会えるなんて……運命だ。同じ大学だったんだ、嬉しい、嬉しい! 賭けは成功だ! 神様は見守ってくれていた!   思わず顔を覆いそうになったけど、今は1秒でも多く由宇くんの姿を目に焼きつけないと。  無意識に潤んでくる目をこすり、じっと目を凝らした。  頭がぐるぐるとまわって、思考がおぼつかない。気持ちがいっぱいで胃から物が出そう。  心のどこかで諦めてる自分もいたし、会うのが怖くなってる自分もいた。でもそんな心配はどこかにいった。  今すぐに抱きしめたい。触れたい。由宇くんがほんとうにいるって確かめたい。  ふらふらと立ち上がったとき、由宇くんの隣に見知った顔があるのに気がついた。  隣にいるのって……翔太くん……! 背が伸びてかっこよくなってる……  いやそこじゃない。まだ由宇くんの隣を守ってんのか、あいつは。  小学校のころも、俺がちょっかいをだす度にあいつが由宇くんのことを守ってた。何をしても動じない翔太くんはまさに由宇くんのボディーガードだった。  邪魔だなあ……  浮き足立った気持ちが冷めていく。  頭がだんだんと正気を取り戻し、もう1度座り直す。今すぐ飛びつくのはやめだ。あいつがいるときっと近づけなくなる。阻止されて、それで終わり。そんなことさせてたまるか。方法を考えるんだ。  様子を伺っていると、由宇くんの隣にもうひとり増えた。茶髪の、線が細めの美青年だった。  記憶を遡ったが、小学校のころの同級生じゃない。見たことないやつだ。しかも距離が近いし、頬を染めながら一方的に由宇くんに話しかけている。  その様子で、すぐにわかった。 「あいつもか」  まさか面倒な邪魔者が増えているなんて。  ずっとずっと、俺は誰よりも由宇くんのことを想ってきたのに、今、由宇くんの隣では知らないやつが笑っている。ムカつく。  由宇くんは俺のことを覚えていないかもしれなくて不安だった。なのに、その間翔太くんはずっと由宇くんの隣で笑っていた。許せない。  ずるい、ずるい、ずるい。  俺の隣にいてよ。俺だけ見ててよ。  こんなにも好きなんだよ、キミのことが。  由宇くんが欲しい。俺だけのものにしたい……  どんどん、真っ黒な醜い感情が湧き上がってくる。  遠くから見ているだけじゃなにも変わらない、今までと同じだ。届く距離に由宇くんはいる。  伝えるって決めただろ。  由宇くんがひとりになるときを狙う。じゅうぶんに作戦を練らないと。翔太くんにも、隣のあいつにも気づかれずに、由宇くんを手に入れる方法を考える。  ああ、これから忙しくなるなあ……!

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