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知らないこと*side玲依
人の家の棚を開けるのは申し訳ないと思いつつも、ひととおり調理道具を揃えて雑炊を作りはじめた。
早く由宇が元気になるように、願いをこめる。料理は気持ちも大事だから……
由宇の喜ぶ顔を思い浮かべるだけで俺は幸せだ。由宇のためなら何だって頑張れる。
こんなに夢中になった人は由宇だけなんだ……
……でもやっぱり、クローゼットの中見たかったな……
あ~~ッ! くそ、また煩悩が出てくる!! 全然反省してないじゃん、俺!
心頭滅却!!
高速でネギを切っていると、宇多くんが2階から下りてきた。カウンターキッチンの向こう側から俺の手元を覗き込んでいる。
「手際いいね、玲依さん」
「一応、調理科だからね」
調理科……とつぶやきながら俺の顔をじっと見ている。やっぱり顔も表情も由宇に似ている。
「意外だった?」
宇多くんは正直にうん、と頷く。由宇よりも表情は動かないけど、なんとなく考えてることがわかりやすいところも似ている。
「俺、全く料理できないからすごいと思う」
「いつもは親御さんが作ってるの?」
出汁とごはんを煮詰めながら、何気なく質問した。
「うち、離婚して父子家庭だから由宇と父さんが交代で作ってる」
離婚……
宇多くんは表情を変えなかったけど、急激に部屋の温度が冷えていくように感じた。
俺の親は引くぐらい仲がいいから、それが常識だった。考えもしなかった。
ぎゅっと胸が締めつけられる。無神経に聞いてしまった。最低だ……
「ごめん、嫌なこと聞いて……」
頭を下げた。謝っても、逆に傷つけるだけかもしれないけど……
「由宇から聞いてなかったんだ。玲依さんになら言ってそうだと思ったけどな……」
まだ、足りないんだ。俺はそこまで由宇に信頼されていないんだ。
宇多くんは調子を変えず続けた。
「父さんとの仲が悪いわけじゃないし、物心ついたときからそうだったから、俺は気にしてないよ」
俺を気づかってくれているんだろう。それとも、宇多くんにとってはそれが日常で、言い慣れているのかもしれない。気にも止めないことなのかもしれない。
顔を上げると宇多くんは少しだけ表情を俯けた。
「由宇はどうなのか知らないけど……」
さっきよりも声を落としながらつぶやいた。由宇のこと、心配なんだ。
そのとき、由宇が前に言っていたことが頭に浮かんだ。
"永遠に続く気持ちなんてない"
もしかして、他人と距離をとってる理由って……
無意識で手を動かしているうちに目の前の雑炊は完成していた。
宇多くんが食器を手渡してくれる。
また思考が暴走するかもしれない、由宇には迷惑かもしれない、と思って宇多くんに持っていってもらおうとしたが、
「玲依さんが食べさせてあげてよ」
と、おぼんを渡された。
「いいの?」
「由宇は喜ぶと思う」
なんとなくだけど、と少しだけ口角をあげて宇多くんは付け足した。
「ありがとう、宇多くん」
「俺は部屋にいるから。後はよろしくお願いします」
……由宇と宇多くんの親が離婚していたなんて知らなかった。
ゆっくり階段を上がりながら思考がぐるぐると動く。
宇多くんが物心つく前って言ってたから、離婚したのは由宇が小学生になるかならないかの頃だろう。名越くんは当然だけど、きっと音石も知ってる。
知らなかったのは俺だけだ。
知り合って数ヶ月しか経ってない。知らないことの方が多いに決まってる。
由宇は離婚のことを誰にも言う気はないんだろう……俺にも。そりゃあそうだ、聞かれたくも話したくもないに決まってる。
わかってる、それはわかってるけど……
なんでも話してほしいって思うのは、俺のわがままかな……由宇のことを全部知りたいよ……
「由宇……」
そっとドアを開け、雑炊を机に置く。
由宇の顔を覗き込むとさっきよりも呼吸が落ち着いている。よかった……
寝顔もかわいいなあ……抱きしめて隣で寝たい……
そんなことを考えながら床に座って由宇を見つめた。やましいことは考えないようにしていても、無防備な姿を見ると止められない。欲にまみれた男だよ俺は……
柔らかそうな唇……音石はここに……
引き寄せられるように、由宇に近づく。
「風邪なんか俺がもらうから……早く元気になって……」
そっと、由宇の唇に口づけを落とした。
はっ……! き、キス……!?
気がついたときには由宇から飛びのいていた。思わず口を覆う。熱くて、心臓がバクバクと鳴る。
めっちゃ唇やわらかっ……それに甘い……!? なんで!? えっ、かわいっ……好き……
じゃなくて!! ど、どうしよう!?
怖がらせないって、ゆっくり距離を縮めるって決めたのに、無許可でキスなんて……! しかも意識のない由宇に!
反省しようと何回も思ってるのに、どうしても欲に負ける。
勝手にキスして本当にごめんなさい……反省はしてるけど由宇がかわいくて止まれませんでした……
さっきから何回謝ったのかわからないけど、また心の中で懺悔した。
「ん……?」
声が聞こえ、再び駆け寄る。
「由宇! 起きたの!?」
「れい……?」
俺の名前を呼ぶのと同時に、ゆっくりとまぶたが開いた。
キスで目を覚ます物語のお姫様みたいに。
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