55 / 142
調理科の噂話
俺と玲依、ふたりして固まった。
井ノ原先輩は軽く聞いてきたが、玲依が言う前からわかっていたような口ぶりだった。
「その感じだとまだ付き合ってるわけじゃないんだな」
「付き合ってません! なんでそのことを!?」
「やっぱり先輩も由宇のことを……!?」
ふたりでほぼ同時に話すと、先輩はムッとしながらおぼんで玲依の頭を叩いた。
「ちげーよ、なんでそうなるんだよ。誰にでも噛みつくんじゃない」
「すみません、由宇に近づく人に対して警戒心がMAXなもので……」
何言ってんだこいつ……と思うが、それに慣れてきている自分もいる。
先輩も呆れながら俺と玲依を見比べ、
「恋をしたら変わるってのは本当だな。調理科全体で噂になってるの、知らないか?」
玲依も知らないのか、首をかしげている。
「あの調理科屈指のイケメン、髙月玲依に好きな人ができた~って噂」
「え!?」
「初耳……」
食い気味に驚いていると、瞬きをして意外そうにしている玲依と目が合う。
「当人が初耳なのかよ! 有名人かよ、異名?までついてるし!!」
「たぶん有名なのかな?」
苦笑する調理科屈指のイケメンを睨む。
「尾瀬の言う通り、調理科の中じゃ有名なんだよ。腕よし、顔よしだからこいつのことを知らない人はいない。……というかお前が四六時中ずーっとにこにこして幸せオーラを隠そうとしてないからだろ」
「出してるつもりはないんですが……」
「すっとぼけんな。誰がどう見たってわかるわ」
「うーん、無意識だろうなあ。俺ずっと由宇のこと考えてるから」
玲依は俺を見て幸せそうにふふ、と微笑む。
「あっ、でも名前だけは絶対に言ってないから! 由宇のかわいさを知られて、これ以上ライバルを増やすわけにはいかないもん」
「髙月、重いのは面倒って思われるぞ」
「先輩も俺の由宇を取らないでくださいね」
「お前のものになった覚えはねーよ……」
頭を抱えた。
そりゃそうだ……何でもかんでも真っ直ぐな玲依のことだ。俺がいないところでたとえ黙っていたとしても、周りに隠しきれるわけない!
「それで、恋をした髙月があまりにも幸せそうだから、あれには敵わないって諦める女もいるらしい」
「そういえば最近、告白される回数少ないような」
「自慢か? 叩くぞ」
同時におぼんで玲依の頭を叩く音が響いた。
「言う前に叩いてるじゃないですか! 先輩もモテると思うんですけど」
「まあ……それほどでもあるな。お前に言われると嫌味っぽいけどここは素直に受け取っておこう」
先輩は少し照れながらも得意げにしている。
「俺の話はいーんだよ。何にせよ、お前がその相手とうまくいくのかみんな気になってんだ」
パアッと玲依の表情が明るくなる。
「と、いうことは俺と由宇の恋路を応援してくれてるってことですね!」
「そういうやつもいる」
どういうことだよ、ポジティブすぎるだろ……! 俺は平穏に過ごしたいのに……!
「あの、調理科、そんなことになってるんですか……!?」
「なってるよ。でも一向に付き合ってる気配もないからおかしいって言ってるやつもいる。それこそ叶わない恋なんじゃないかって」
噂が広まりすぎてるし、そこそこ当たってるところが怖い。もうどうしようもなくて顔を覆うと、先輩は俺の肩にポン、と手を置いた。
「俺は髙月がハッピー全開で連れてきたからお前がその相手だと思っただけだ。じろじろ見て悪かったな」
最初の視線はそれか……と納得する。察しがいいんだな、井ノ原先輩……
というか調理科はもっと別の話題で盛り上がってくれ!
「髙月が尾瀬のことを周りに言ってないのは本当だ。みんなお前のことは知らないし、噂はあるけど恥ずかしがらなくて大丈夫だ」
「恥ずかしがってるわけじゃないんですが……」
察しがいいというか、なんかちょっとズレてる。
「髙月と付き合ったらそりゃもう注目の的になるだろうが……まあ一時だ。みんなすぐ慣れる」
「付き合う予定はありません!」
玲依は何を思ったのか、顔を赤くしながら俺の両手を握りしめた。
「こ、公認カップルになろうね……由宇……!」
「ちがうわ! なんでそうなるんだよ!!」
「ここでイチャつくな」
井ノ原先輩が再び玲依の頭をおぼんで叩いた。
「俺に厳しくないですか……!?」
「気のせいだ。俺もお前のことを応援してるひとりだよ」
玲依が疑いの目を向けると、先輩は悪気なく俺と玲依に微笑んだ。温かい目で見守られている。微妙な顔をするしかなかった。
そのとき、他のお客さんが井ノ原先輩を呼んだ。
「すまん、話しすぎたな。じゃあ尾瀬、後で空きコマの連絡してくれ。そのあとバイトの日が決まったらこっちから連絡する」
「あ、はい!」
先輩は爽やかに去っていった。そういえば最初はバイトの話をしてたんだ。話題が逸れまくってて忘れてた……
目の前の紅茶とケーキのことも忘れてて、テーブルの角砂糖を少し冷めた紅茶に溶かす。
なんか割と勢いでやるって言ったけどホールのバイトなんてほんとにできるのか? 不安になってきた……
「頑張ってね、由宇。すっごく楽しみにしてる」
とっくに砂糖の溶けきった紅茶を混ぜるのをやめて顔をあげると玲依は満面の笑みを浮かべていた。
「来る気満々だな……」
「もちろん! 日にち決まったら教えてね。何がなんでも絶対に行くから」
「うわ……目がガチ……」
これは言わないと後からめんどくさそうだ……
俺が不安になってるのがわかったのか、わかっていないのか……でも玲依と話していると気が逸れて少し不安が軽くなった……調子に乗りそうだからこれは教えないけど。
頬張ったケーキはやっぱり好みの味で、めちゃくちゃ美味かった。
ともだちにシェアしよう!