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バイト開始!
「これがひと通りの流れだ。やれそうか?」
「な、なんとか……!」
あれから数日後、カフェバイト体験の日。
渡されたウェイター服を着て、まずはお客さんなしで流れを教えてもらった。
メモは取ったけど、覚えることが多くて頭はパンクギリギリだ。
「最初のうちはそんなもんだ。ざっと教えたけど一発では理解できないし、お客さんの前でゆっくり教えてやるから。堅苦しくしなくていい、相手はおんなじ学生だ。とにかく笑顔で接客しとけばなんとかなる!」
井ノ原先輩は俺の背を叩き、晴れやかに笑う。
「先輩の顔見てると安心してきました」
「そうだろ! 今の時間はお客さん少ないし、困ったら俺を頼ればいいから。頑張ろうな!」
人懐っこい笑顔でガッツポーズをキメる井ノ原先輩は、やっぱりモテるんだろうな……と玲依との会話を思い出した。
井ノ原先輩に接客やレジを教えてもらいながら、1時間ほどが経過した。やってるうちに緊張はだいぶ薄まってきた。
「新人くん、これ2番テーブルさん!」
「あっ はい!」
厨房から受け取ったのは玲依の考案したケーキだった。
集中してたから気がつかなかったけど、そういえばケーキの注文が多かったな……昼過ぎでおやつ時だからかもしれないけど。
「ここのケーキって美味しいよね~」
「見た目もかわいくて映えるし」
2番テーブルに運び終え、そんな会話とシャッター音がふと耳に入る。目線を向けると、女子グループが食べているのは玲依のケーキだった。
やっぱり人気なんだな。
幸せそうな笑顔だ……
玲依はこうやってケーキを食べる人を幸せにしてるのか……
「髙月のこと、ちょっと見直したか?」
玲依の笑顔を思い浮かべていたところに名前を言われて心臓が跳ねた。
「! 驚かせないでください!」
「悪い悪い、そう言いたそうな顔してたからさ」
後ろから現れた井ノ原先輩にあっさり見透かされて、口ごもる。
何を言ってもニヤニヤとからかってくる先輩をジト目で見つめた。
「……そういえば先輩は何がきっかけで玲依と知り合ったんですか? 仲良いみたいですし」
「お? ヤキモチ?」
「違います! 気になっただけで!」
「ごめんって! 尾瀬からかうの楽しくてさ!」
先輩はけらけらと笑う。
「きっかけはもちろん、あいつのケーキだな。去年からカフェに採用されるケーキの考案者の名前がぜーんぶ髙月で、しかもどれも美味くて信じられなくて、不正を疑ってあいつのいる講義室に乗りこんで呼び出した。そしたら見たことないぐらい顔のいいやつが出てきて驚いた」
「そりゃ驚きますよね、あの顔は……」
「あの顔で審査員の先生たちに媚び売ってんじゃないかとさらに疑って、何回か実習中の髙月を窓から監視したりした」
先輩はうんうん、と頷いている。
なかなかやばい行動をしている……
「監視してるところを見つかって半ギレされてさ、『疑うなら俺のケーキを食べてから疑ってください!』って言われて、実習で作ったばっかのケーキをどん!って出されたんだ」
「なんか想像できますね」
「そのケーキはメニューに応募する用じゃないのにめちゃくちゃ美味かった。食べたらわかった。あいつは料理に対して超がつくほど一途で正直。不正なんてありえないって。尾瀬にもわかるだろ?」
「まあ……そう、ですね……」
俺が返事を微妙に濁したのを先輩は目を細めて見守っている。また見透かされている。
実習してるところを見たことはないが、玲依のケーキや料理を食べれば真剣に取り組んでいるってわかる。料理の知識もあるし、真面目に勉強しているんだろう。
だから俺も"食べて"って言われると断れない。
「疑ってごめんなって謝って、それから仲良く……というか、よく構うようになったわけ」
「いろいろあったんですね……」
「あいつは笑って『慣れてますから。俺の方こそ、つい怒ってしまってごめんなさい』って言ってた。あの見た目だから疑われたり、憎まれたり、勘違いされることも多いんだろうな……」
井ノ原先輩は眉を寄せた。
そうか……そうだよな……
玲依は俺の前ではいつも笑ってるから考えたこともなかった。
顔が良いとそれだけ他人から向けられる感情は大きくなる。良いものも悪いものも。
慣れてるって、そんなの慣れるわけないだろ……
「すみませーん」
店員を呼ぶ声にハッとし、足を踏み出す。
また玲依のこと考えてモヤモヤしてた。バイト中なんだから集中しないと……!
「ちょっと疲れたろ。いーよ、俺が行くから」
「ありがとうございます……」
ぽん、と背中を叩かれる。
気遣わせてしまったかもしれない……
レジのあたりから店内を見渡し、一息つく。
メニューを自分たちで考えて、厨房で料理を作って、それを提供している。
調理科の人たちってすごいな。同じ大学生なのに、向上心があるというか……井ノ原先輩も玲依も、目指すものがあって一直線で……そういうのっていいな。
ここのバイト、井ノ原先輩や他の先輩も優しいし、思ったよりもカフェの接客は楽しいし、順調だな。体験させてもらえてよかった。このまま続けさせてもらうのもいいかもしれない。
……と気分良く浸れていたのも束の間だった。
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