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どれだけ惨めでも、一歩

 驚いて玲依と一緒になって覗き込むと、七星が先輩相手に物怖じひとつもなくいつもの挑発的な笑顔を向けていた。 「なっ、七星……!!」 「音石、あいつあんなケンカ腰で……! 言い争いになったら店が台無しだ。俺が止めて……」  飛び出そうとする玲依の服を掴んで引き戻す。 「お前が行ったら火に油だろ! 井ノ原先輩を呼んできた方が……」  そうしている間にも怒鳴り声は大きくなる。次第に店内もざわつき始めた。 「今はここの店員ですけど? 店の空気悪くなるし不愉快だから陰口とか言うのやめてくれない?」 「はぁ……っ!? 生意気だな!」 「お前みたいに綺麗な顔してる奴はいいよな! 何やってもうまくいかないオレらの惨めな気持ちなんてわからねーだろ!」 「惨め……?」  七星の挑発的な笑みが消えた。 「あんたらの気持ちなんて、わかるわけないでしょ。自分の気持ちは自分にしかわからないよ」  吐き捨てるような、冷めた言葉だった。周りも先輩たちも異様な雰囲気に圧倒される中、七星はそのまま続けた。 「誰だって惨めな嫉妬の一つや二つある。どれだけ欲しくても手に入らないものだってある。顔だけで全部うまくいくんなら、俺がそんな感情知ってるわけないでしょ。本当に欲しいものが目の前にあるのに、他の奴らに取られていくのを黙って指咥えて見てるなんて、俺はできない。遠ざかっていても、進むしかない」 「音石……そんなこと思ってたんだ……」  唖然とする玲依の言葉に頷く。いつも余裕があるように見える七星にも、そんな気持ちがあるんだ。言っているのはおそらく俺のことだから、どう反応したもんか迷うけど…… 「現状を変えたいならどんだけ惨めで悔しくても、相手に、自分の気持ちに、立ち向かわないといけないんだよ。あんたらはどうなの、変わりたいとは思わないの?」 「っ……黙れよ!」 「お前こそぐちぐちとうるせーんだよ!」  七星はいつもの調子を取り戻し、それでも飛んでくる暴言に肩をすくめた。 「……図星なんでしょ。はあ、せっかくの俺のありがたーいお言葉に感謝しないなんてね。陰口と劣等感まみれの人たちに一方的に妬まれて、いくら玲依くんでも同情するよ」 「くそ……っ 馬鹿にしやがって!」  逆上した短髪の先輩が立ち上がり、七星の顔めがけて拳を振るった。 「あーあ、先に手出したのはそっちだからね」  ……が、七星はそれを軽々と避けた。  振りかぶった先輩の腕は駆けつけた翔太に止められ、先輩は顔を歪めた。翔太が力いっぱいに相手の腕を握りしめているのがこの位置からでもわかる。 「いっ……て!」 「お客さん……店内ではお静かに。それとも、外で続きをしますか?」  翔太は怒りを含んだ声で、思いっきり睨んでいる。止めに行くタイミングを完全に逃し、俺と玲依は壁の影からハラハラと成り行きを眺めることしかできなかった。  翔太に続いて「あー、言い忘れてた」と、七星がわざとらしく声をあげ、翔太を指さす。 「この人、柔道も空手も少林寺拳法もぜーんぶ黒帯なんだ。それでもいいならかかってくれば?」 「ひっ……!?」  七星の言葉にもう一人の焦げ茶色の髪の先輩も座ったまま腰を引く。腕を掴まれた先輩は翔太の顔を見て震えだし、抵抗をやめた。 「……どうしてそれを知ってるんだ。お前に言った覚えはないが」 「ふふん、俺はなーんでも知ってるよ」 「悪趣味だな」  七星はいたずらに舌を出して微笑みながら、イスに座る先輩に近づき、顎をくいっと持ち上げる。 「てかさぁ、玲依くんよりも俺のほうがいいと思わない? あいつのこと妬んで時間を浪費するよりも、俺の顔を見てるほうが有意義だよ、ね?」  怪しげな満面の笑みを広げ、ウインクを飛ばされた先輩は、すっかり七星に魅入られていた。 「あっ、は、はい……!」 「ふふ♡ さっきはああ言ったけど、こういうときはこの顔便利なんだよね。でもごめんね、俺には心に決めた人がいるから」  あ、それ俺のことか……と察して寒気がした。七星は先輩から手を離し、上機嫌で翔太の隣に立った。……先輩からハートマークがめいっぱいに飛んでいるのは気のせいだと思いたい。 「……それで、お客さんはどうします? ケンカの続きなら引き受けますが」 「い、いらない! 殴ろうとしてすみませんでした!」  翔太が掴んだ腕を離した途端、短髪の先輩はすんなり謝罪し、イスに座りなおした。 「うんうん、一件落着だね」  楽しそうに何度も頷く七星を一瞥し、翔太はふう、と一息をつく。それとともに、どこからともなく手を叩く音が聞こえ始め、あっという間に店内は拍手で包まれた。翔太は「お騒がせしました」と姿勢正しく礼をし、七星はにこにこと手を振った。  拍手が収まりはじめたころ、井ノ原先輩がおぼんを手に、帰ろうとする先輩たちのテーブルに颯爽と現れた。 「お客様、こちらはサービスでございます」  慣れた手つきでテーブルに並べられたのは、玲依の考案したケーキ2人分。そのケーキは玲依と出会ったときに、俺のことを想って作ったって言っていた、フルーツタルトだった。 「え、頼んでな……」 「オレたちもう帰ります……」  井ノ原先輩は、戸惑う二人に向かって得意げな笑みを浮かべ、こう放った。 「これは俺の奢りだ。髙月に文句があるならこのケーキを食ってから言え。言えるもんならな」 「「は、はい……」」  一連の流れに、ただ見ていただけの俺たちは呆然と固まっていた。 「……あいつらも井ノ原先輩も、すごいな」 「だね……あっという間に収まっちゃった……」

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