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自分だけにできること
先輩たちは玲依のケーキを食べ終え、申し訳なさそうに、でも満足そうにして席を立った。玲依のことをわかってくれてよかった。これも井ノ原先輩と翔太と七星のおかげだ。しかし、穏便に収まったからよかったものの、一歩間違えたら大ごとになっていたかもしれない。七星にはちゃんと言っておかないと。
わざわざ店の外まで先輩たちを見送りしていった七星を追った。玲依に聞かれると気にするかもしれないから、ちょうどいい。外はもう日が落ちていて、少しだけ茜色の残った空が綺麗だ。
「七星!」
「わ、由宇くん♡」
扉から出て少し先、先輩たちに手を振り終えた七星がパッと振り向く。動きに合わせて金髪が夕焼けを反射させた。
「お前なあ、軽々しく人を挑発するなって! 殴られるところだったんだぞ。翔太がいたから何とかなったけど……!」
「今度は俺のこと見ててくれたんだ。まあ、翔太くんが止めるってわかってたしね。そもそも、あんなよわよわなパンチ当たらな……い」
だからって……と続けようとしたが、近づいてくる七星がぴたりと静止して目を見開いたので、不思議に思い話を止める。
「……え、もしかして由宇くん、俺のこと心配してくれてる?」
「心配ぐらいするわ! 危ないだろ!」
七星の頬はみるみるうちに赤くなっていく。夕焼けも合わさっていつもより赤く見えた。
「ほんとにほんとに?」
「ほんとだって。いくらお前でも、殴られるところなんて見たくねーよ」
跳ねるように近寄ってくる七星を押し返す。
「俺の勇姿がかっこよすぎて俺のこと好きになっちゃった? えへへ♡」
「そういう話じゃない! ……けど正直、俺もあの先輩たちの態度にモヤモヤしてたから、七星が止めにいってくれてスッキリした。俺はあそこにいける勇気なかったから……ありがとな」
「由宇くん……♡」
「でも、俺がお礼を言ったからといって調子に乗らないこと! これからは無理に突っ込んでいかないこと! わかったか?」
七星はにっこりと口角を上げ、上機嫌で手を挙げた。
「はーい♡ 由宇くんの言うことはちゃんと聞きます♡」
妙に聞き分けのいい七星をじとりと見つめると、七星はかわいらしい仕草で人差し指を頬に当てながら、
「ね、由宇くん、嬉しいからチューしてもいい?」
「なんでだよ。無理。ほら、中戻るぞ」
「ちぇ……つれない……」
最近七星にはこんなことを言われ続けてるので、わりと流せるようになってきた。
背を向けてカフェのドアに手をかけたところで、ぐっと腕を引っ張られて足がふらつく。気を取られた瞬間、頬に柔らかいものが触れた。
「!!」
それが七星の唇だと理解する頃には頬からは離れていて、目の前の欲情した瞳と目が合う。
「もう、ダメだよ。由宇くんてば隙だらけなんだもん……」
「な、お、おまえなあ……っ!! 俺の言うこと聞くってさっき言ったばかりだろ!?」
「それはそれ、これはこれ。俺だって茶化してばっかりじゃないんだよ」
何かを企むような、どす黒い満面の笑みを浮かべた。
「由宇くんのこと、本気なんだから……忘れないでね♡」
「だから無理だって!」
「そんなこと言っても離してあげなーい」
七星を振り払いながら店の中に戻ると、翔太がものすごい形相で七星を睨みつけていた……
(ふふ、由宇くんにお礼を言われて、心配もされて……! 俺が由宇くんにできることは、まだわかんないけど……今日は少し由宇くんに近づけたかなぁ……!)
*
玲依は客が少なくなった頃を見計らい、井ノ原の元へ駆け寄った。
「先輩、さっきはありがとうございました。すみません、奢ってもらって……」
「ああ、気にすんな! あいつら、すげー美味そうに食って帰っていったよ。お前のケーキ食べたら、みんなちゃんとわかってくれる」
井ノ原は、玲依のレシピの不正を疑っていた過去の自分に言い聞かせる様に深く頷いた。
「俺も最初はあいつらと同じようなこと、思ってたからな。ああいう奴らを見るといっぺん食べてみろ!って押し付けたくなるんだ。お前は真面目に頑張ってるのに、あの時は疑って本当に悪かった」
「いや、あの時は俺も気が立ってましたから、だいぶ失礼なこと言っちゃったし……お互い様です。それもあってこうして先輩と仲良くなれたわけですし」
それもそうだな、と井ノ原は返す。
玲依が綺麗な顔を綻ばせると、自然と井ノ原も笑顔になった。
「そういやあいつらには、俺の時みたいにキレなかったよな、なんでだ?」
「うーん……井ノ原先輩みたいに直接『不正じゃないのか、これ!』って言ってきたり、実習してるところをわかりやすく見張ってくるとか、普通はないんですよ」
「あ? 馬鹿にしてんのか?」
ムッと顔をしかめる井ノ原に、玲依は首を振り、ぽつぽつと思いを口にする。
「違います。大抵の人はさっきの先輩たちみたいに、俺がいないところで文句言ってるんです。わざわざ誤解を解くことを諦めるぐらい日常茶飯事なんです。なので先輩には、ここぞとばかりに八つ当たりみたいなことを言ってしまって」
「なるほどなあ……」
「さっきも、また言われてるな、程度にしか思わなかった。……でも」
顔をあげた玲依の表情は、吹っ切れたように明るかった。
「……由宇がそのことで怒ってくれた。俺のケーキを楽しみにしてるって、励ましてくれたんです。普段からそう思ってくれているのかもしれないけど、あんな状況になったからこそ出た言葉だと思うんです。由宇は自分の気持ちを正直に言うのが苦手みたいで……あ、そのツンデレなところがめちゃくちゃかわいいんですけどね」
後半の捲し立てるような早口に井ノ原はハイハイ、呆れながらも相槌をうつ。満面の笑みで玲依は続けた。
「由宇が俺のことを見ていてくれた。すっごく嬉しくて、幸せで、今ならなんでもできそうです」
「……やっぱり変わったな、髙月。前まで料理のこと以外はなんとなく楽しくなさそうだったけど……よかったな。尾瀬と出会えて」
「はい!」
「それに、音石と名越もなかなかやるよなあ。すぐに止めに入ろうかと思ったけど、収まりそうだったから任せちまった。あの二人もお前に十分影響与えてるんだろ?」
「俺もまさか二人が止めてくれるなんて驚きました。後でお礼言わなきゃなあ。名越くんは強いし、力だけじゃなくて物怖じしない精神力がある。音石は何考えているのかわからなかったけど、あんなこと言うなんて思わなかったですし……絶対二人には負けないって誓いましたけど、俺にはないものを持ってるなあって、悔しくなります」
伏し目がちになり呟く玲依の背をパシ、と叩いてやる。
「お前にも、二人に負けないものはあるだろ。お前にしかできないことがある。それを忘れなければきっと大丈夫だ」
「負けないもの……」
玲依は急に自信なさげになり「うーん、料理の腕とか……?」と視線を彷徨わせる。答えを求めて井ノ原に視線を向けるが、井ノ原は揶揄うように笑った。
「俺が言ったら意味ねーだろ。そういうのは自分で気づかないとな」
「ええっ!」
(互いに互いの性格や立場を羨ましがってるのに、全く引く気はない……これは尾瀬も大変だな。相談ぐらいなら俺が引き受けてやらないと)
「よーし、ラストスパートだ。終わったら飯おごってやるよ!」
「わあ、ありがとうございます! って、はぐらかしましたね!?」
騒ぐ玲依を笑い飛ばしながら、井ノ原は厨房から出てきた美味しそうな料理を手に取ってテーブルのほうへと向かった。
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