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先輩のお願いごと
「よし、これで閉めは終わり! みんな、たくさん働いてくれてありがとな! 本当に助かった!」
レジ閉めや他の片付け作業も終わり、井ノ原先輩は俺たちに向かってぺこりと礼をした。そして顔をあげ、笑顔を輝かせた。
「腹減ったろ? 働いてくれたお礼になんでもカフェの好きなメニュー食べていいぞ! 俺の奢りだ!」
「やった! ありがとうございます!」
「わーい、おにーさん太っ腹ぁ♡」
めちゃくちゃ腹は減ったし、疲れもMAXだ。盛り上がる玲依と七星の気持ちもわかるが、そのまま甘える気持ちにはなれなくて、首を振った。
「そんな、悪いです。先輩は俺たちの面倒まで見て大変だったはずなのに、奢ってもらうなんて……」
「俺も由宇に賛成です。元はといえば俺たちが来たせいでこんなに忙しくなってしまったんですし、お礼をするのはこちらの方です」
翔太と俺が遠慮しても、先輩は腰に手を当て胸をどん、と叩いた。
「付き合わせたのは俺だし、その分売り上げもすごかった。むしろ感謝してんだ。これぐらい甘えろ」
「そうそう、せっかく奢ってくれるんだよ? 俺ステーキがいいなあ」
玲依は「お前は甘えすぎ」と七星を睨みながらも、心配するみたいにこっちの様子を伺っている。
「メニューにステーキはねえよ。妥協してハンバーグってとこだな。まあ、ほんとに遠慮はいらないぞ? 先輩にかっこいいとこ持っていかせろ」
「いや、でも……」
そう言われても、人に甘えることが性に合わない。いくら優しい先輩だからといって……
見かねてか、井ノ原先輩は腕を組み少し考えた後、また笑顔に戻り、人差し指を立てた。
「ならさ、俺のお願いをひとつ聞いてくれないか?」
「えっ」
「甘えにくいんならさ、それを交換条件にしたらマシになるかなと思ってさ。もちろん俺の願いも嫌だったら断ってくれていいから」
そんな提案をされるとは思わなかった。どうしようかと目線を彷徨わせていると、翔太が一歩俺の前に出た。
「その願い、変なことに使わないでしょうか」
「寝取ったらおにーさんのこと始末するからね」
「寝っ……!?」
「それお前が言うか! でも、ほんとにやばいお願いだったらいくら井ノ原先輩でも許せませんよ」
翔太に続いて玲依と七星も次々と先輩を睨み始め、キリキリとした険悪な雰囲気が立ち込める。先輩はため息をつきながらも諫めるように軽い口調で続ける。
「圧がすげえなあ……んなことしねぇよ。お前らが想像しているようなことじゃないからそこは安心してくれ」
首を振る井ノ原先輩に、玲依はほっと胸を撫でおろしている。玲依は……な。
俺は翔太の背中から顔を出し、井ノ原先輩に問いかけた。
「それで、お願いとは……?」
「ここぞっていうときに使う。とりあえず飯を食ってからだ!」
「ええ……?」
「勿体ぶらないでください、俺だって気になります! あっ、そういうミステリアスな感じを演出してギャップ萌えを狙うつもりですか!?」
玲依は俺よりも井ノ原先輩の返事に食いついた。玲依がこんな感じだから逆に冷静になる……
「だーかーら、髙月はいい加減俺を疑うのやめろよ。で、尾瀬。どうする?」
全員の視線が集まる。俺の答えを待ち、固唾をのんで見守ってる。いたたまれない空気だ。
人に合わせてばっかりで、自分で決めるのは得意じゃないんだよ……し、仕方ない……
「……じゃあ、お言葉に甘えます。先輩のお願い、気になりますし」
ここまで言われてしまうと、断るほうが失礼な気もする。しぶしぶ頷くと、井ノ原先輩は明るい笑みを浮かべ、俺の手を取って歩き出した。
「よーし、そうと決まったら厨房に行くぞ!」
「わっ、ちょ……先輩!」
「あーっ! ずるいですよ井ノ原先輩!! じゃあ逆の手は俺が!」
「歩きにくいからやめろ!」
それでも絡ませてくる玲依の手を払いのけながら、厨房へ続く奥の通路へと進んだ。
*
勢いのまま足早に厨房に向かう三人の背中を、翔太は重い足取りで追う。その隣で七星はその曇った表情を見上げた。
「おにーさんってさぁ、ずるいことするよね」
「……」
「無言は肯定と捉えまーす。ああ言ったらさあ、断ろうにも断われないじゃん。しかも無自覚なのがタチ悪い」
「……何か起こる前に俺が止める」
「ハイハイ、ボディーガード様はブレないね。あんたはそのまま、自分の気持ちは隠して幼なじみのまま、黙って由宇くんの幸せを見守っておけばいいよ」
揶揄うように笑っていた七星から、笑顔が音もなく消えた。前を歩く玲依と井ノ原、翔太を、緑の瞳が冷ややかに見つめる。
「俺は誰が相手だろうと、望みがなくても、嫌われていても、由宇くんを諦めたりしない」
誰もいなくなり、必要最低限の照明で照らされた広いカフェスペース。強い意志を持った七星の声が静かに響いて消えていった。
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