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厨房にて

 厨房に入ると、真ん中の調理台に力尽きた様子で伏せている人影があった。ただならぬ疲労が見える背中なのに、井ノ原先輩は構わずその人に声をかけた。 「お疲れ~志倉(しくら)!」 「あぁ……!?」  志倉、と呼ばれたコックコートを着た男の人はのっそりと顔を上げ、井ノ原先輩を見るなり顔をしかめて怒鳴り、調理台を叩いた。 「こらあ、(うみ)先輩! なーにが『イケメン効果でバズって?なんとか計画』だよ、説明もほとんどなしに! バンバン注文入ってくるわで死ぬかと思ったわ! こちとら昼時以外ほぼ一人で捌いてるんだよ、過剰労働だ!」  井ノ原先輩は調子を変えずその人に近づき、ばしばしと肩を叩いた。 「それでもメニュー出てくるスピード、いつも通りだったよ。頑張ってくれてありがとな。今日の厨房シフトがお前でよかった。志倉だったから無事に営業できた!」 「ああ~もう、こういうとこ。こういうとこが嫌なんだよ。ペラッペラなセリフなのに本気で言ってるから怒る気なくすんだよ……」  ほぼ一人で……って言ったか!? あの量を一人で!? 厨房に注文を言いに行ったとき、忙しそうな返事だけで顔見えなかったのはこの人だけだったからか……?  その間も二人は仲良さそうにしきりに言葉を交わしている。翔太と七星が後ろから追いついてきた。七星は先輩たちの様子に顔をしかめた。 「調理科って変な人ばかりなの?」 「音石、俺を見ながら言うな。まあ、変わった人が多いなとは思うよ。それにしても二人のやりとりは相変わらずだなあ」 「おい玲依、まさか今日ってあの人だけで厨房やってたのか……!?」 「そうみたいだね。志倉先輩は一年のころからここでバイトしてるらしくて、作るのがすっごく早いんだ。技術は調理科のなかでも五本の指には入るって言われてて、厨房の手伝い入った時にはめちゃくちゃ勉強になるんだよね。尊敬してる先輩だよ」  目を輝かせて語る玲依に、へぇ、と返す。ほんとに料理のことが大好きなんだなと感じる表情だ。  自分の話をされていることに感づいたのか、志倉先輩はこちらに目線を移して、玲依を指差した。 「髙月ぃ! お前、そのカッコ……ホールにいたのかよ。お前はこっちだろ!」 「すみません。今日はどうしても由宇と一緒に働きたくて」 「由宇……?」  あたかも自然に玲依の手が腰にまわり、体が引き寄せられる。その動作にあわせて視線が俺に集まる。 「紹介しますね。俺の、こい……」 「ちがうから!!」  玲依が俺の話や自己紹介をするといつも恋人と言いだすので、食い気味に否定をして玲依を押し返す。 「こ、こんにちは……じゃなくてこんばんは。今日一日ホールのバイト体験させてもらっていました、尾瀬です。挨拶が遅くなってすみません」  一礼すると志倉先輩も軽く頭を下げてくれた。 「ご丁寧にどうも。海先輩に今日は体験の人がいるって話は聞いてたよ。こっちこそ挨拶できなくて悪かったな。オレは調理科三年の志倉。見ての通り厨房担当だ」  口調も荒いし、怒ってるから怖い人なのかと思ったけど、そうでもなさそうだ。慣れない俺を気づかっているのか少しだけ口角を上げる笑い方が、けっこう話しやすそうだ。玲依も尊敬していて、仲もよさそうだし……いや、なんで玲依を基準にしてるんだよ。 「今日は大変だったな、お疲れさん。……って、体験の人は一人って話じゃなかったか? しかもなんだ、髙月含めてめちゃくちゃ顔がいいやつばっかだな。執事喫茶かここは?」  志倉先輩はじろりと井ノ原先輩を睨む。 「とある事情で増えた。しかも志倉の言う通り執事喫茶になってた」 「はぁ……?」 「でも驚け志倉! 今日の売り上げはハンパないぞ! 宣言通り過去最高売り上げだ!」 「とりあえず経緯を説明しろ!」  俺たちは志倉先輩に、こうなった経緯を順に話した。……話の流れで結局、玲依と七星が俺に惚れていることを知られてしまった。翔太は「ご迷惑おかけしてすみません」と謝っていた。翔太だけのせいじゃないのに……

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