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目指すもの
調理台の周りににイスを並べ、腰かけた。
少し離れたコンロで調理をする志倉先輩と玲依の背中を見ながら、話しているうちに調理台の上にはいい匂いとともに料理がどんどん並んでいく。結局遠慮があってメニューを決めきれず、適当なまかないを作ってくれることになった。男が六人分の腹を満たす量なので玲依も手伝っているが、それにしても志倉先輩の料理のスピードは驚くほど早い。
「できたやつから食べてていいぞー」
志倉先輩の声に最初に元気に声を上げたのは井ノ原先輩だった。
「いただきまーす!」
「海先輩がいちばんに食うのかよ! ちょっとはこっち手伝えよ」
「こういうのは先輩が先に食べないと食べづらいもんだろ。な?」
そう言いながら、大皿で出てきたポテトサラダと肉野菜炒めを人数分に綺麗に取り分けてくれている。俺と翔太は立ち上がってその皿を受け取り、それぞれの席に置いていく。
「そう、ですね。先輩より先には食べにくいです」
「俺も運動部なので、気になります。井ノ原先輩お先にどうぞ」
「俺はそんなのどうでもいいけど、今回はおにーさんの顔を立ててあげよう」
七星だけは何もせずに座ったまま、箸を構えている。早く食べたいんだろう。
志倉先輩は俺たちの話を聞いて、へえ、と驚いたような声をあげた。
「お前ら立派だな。オレは気づかいとかそういうの苦手だ。髙月は?」
「うーん、俺はその人に合わせますね。気使う方がいい人もいれば、井ノ原先輩や志倉先輩みたいに使われない方がいいって人もいますし」
「へー、器用だな」
「ほらな。俺も先輩には気ぃ使うほうだし、そういうのわかるんだよ」
海先輩がぁ……?と心底疑う志倉先輩の声に、「そうなの」と少し口を尖らせている。それから取り分けた料理に向き合い、手を合わせた。
「ま、髙月の言うとおり、俺には気なんか使わなくていいんだけど。その方がこっちも気楽でいられるし。じゃあ、お先にいただきます! うん、めっちゃ美味い!」
井ノ原先輩も相当腹が減っていたのだろう。いい食べっぷりだ。志倉先輩が「どうも」と照れくさそうに返事をした。
「おにーさん、食い意地張ってるねえ。俺もいただきまーす」
七星は構えていた箸で炒め物をつまみ、口に入れる。すぐにその表情は輝いた。わりと顔に出やすいんだなあ、となんとなく感心してしまう。珍しく無言になり、機嫌よくぱくぱくと頬張っている。
「お前らも冷めないうちに食えよ」
「はい、いただきます」
「いただきます」
まだ湯気の出ている炒め物。頬張った瞬間、豚肉の肉汁が口に広がった。
「うっまぁ……!」
「ほんとだ。美味い」
考える間もなく言葉が出ていた。絶対普通の時に食べても美味いけど、今日はかなり働いたのもあり、格別に美味しく感じる。疲れた体に塩分が染み渡る。
「志倉先輩、これすっごく美味しいです!」
「おう、口にあったようでなにより」
思わず大きめの声で志倉先輩に感想を伝えると、先輩の隣の玲依がぐっと顔をしかめ、何ともいえない微妙な表情でこっちをちらちら見ている。どういう感情なんだ、それは……
「ずるい、志倉先輩ずるい……俺だって手伝ってるのにな……喜んでる由宇はとんでもなくかわいいけど喜んでる理由が俺の作ったものじゃないっていうのが悔しい。それだけ志倉先輩の腕がいいってことなんだけど……それはわかるけど……はぁ……俺の作った料理だけ食べて過ごしてほしい……」
「うわあ……」
その恐ろしい呟き、全部聞こえてるんだけど……
そんな玲依を初めて目の当たりにした志倉先輩は絶句していて、なんだか申し訳なくなった。
「玲依くんの考えてることは気持ち悪いなあ。そんな調子じゃあ、厨房のおにーさんに由宇くんの胃袋持っていかれちゃうかもねぇ。あはは」
「音石の煽りも復活……さっきはお腹減って疲れてたから、お礼言われて照れたりしちゃったんだ?」
玲依は精一杯に煽り返しながら、次に完成したコンソメスープを鍋ごと持ってきてくれた。七星は玲依に目もくれず、
「由宇くんが食べさせてくれたらもっと美味しいだろうなあ、あーんして、由宇くん♡」
「こら、抜け駆け!」
ぐいぐい体を乗り出してくる七星と、すぐさま反応する玲依に翔太の鋭いデコピンがお見舞いされた。やはりデコピンとは思えない、ものすごい音だった。
「昼間のカフェメニューも食べましたが、調理科ってプロみたいなことをやっていて、すごいですね」
夢中で料理を頬張る井ノ原先輩に、翔太は真面目に話しかけた。本当にその通りで、隣でこくこくと頷く。同年代の学生なのに、一般のお店みたいに運営してるし、味も遜色なく美味い。
「だろ。俺が全部やってるわけじゃないけど、やっぱ別の学科のやつに言われると頑張りが認められたみたいで嬉しいな。調理科ってけっこういろんなことやってんのに、あんまり知られる機会もないし、興味も持たれないからさ。でも、まだまだだよ。プロの世界はもっと厳しい。井の中の蛙になってちゃ駄目だ」
「海先輩の言う通りなんだよな。ホテルに併設されたレストランに実習行ったけど、全然違ったし」
「そうなんですか……」
こんなに美味いのに、プロの世界はさらに上なんだ。調理科の人たちはそこを目指そうとしているんだな……同じくらいの年なのに、目指すものがあることが羨ましい。
「そ。オレは調理科内ではすげーとか言われてるけど、こんなんで天狗になってたら、それこそ井の中の蛙」
「俺もカフェ経営すんのが目標だけど、身につけないといけないこともたくさんあるしな。日々経験、勉強」
「はー、やっぱ井ノ原先輩と志倉先輩はかっこいいな」
玲依が浸りながらキラキラした目で二人の先輩を交互に見つめると、先輩たちは同時にムッと不機嫌な表情になった。
「その顔でかっこいいとか言われると、嫌味なんだよ! 嫌味じゃないのはわかってるけど!」
「おめーもレシピが大量に採用されてるぐらいで天狗になるなよ!? 実習行ったらコテンパンにベキベキに折られるからな!」
「はい……気をつけます……でも、かっこいいのはほんとですから! その信念が!」
まかない全てを作り終えた志倉先輩と玲依もイスに座る。そのころには調理台の上には所狭しと料理が並べられ、もうパーティーのような打ち上げのような状態になっていた。井ノ原先輩はお茶なのにテンション上がって乾杯の音頭を取り始めるしで、騒がしくも楽しい夜ごはんをごちそうになった。
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