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前を向く意思と臆病な内面
志倉先輩の作ってくれた料理を食べ終え、それぞれ片付けを手伝う中、俺は井ノ原先輩と洗い終わった食器を片付けていた。
渡した食器を元の場所に戻しながら井ノ原先輩は爽やかに笑った。
「ホールのバイト体験、どうだった? 楽しかったか?」
「はい、楽しかったです!」
「よかったよかった」
「ホールの仕事って想像してたよりもハードで、気も使うし、疲れました。わからないこともやることも多かったし……それでも、お客さんが美味しそうに料理やケーキを食べてくれて、こっちまで嬉しくなりました」
井ノ原先輩は、俺の言葉に手を止めて今度はニヤリと口角を上げた。
「髙月の作ったケーキだもんな。喜んでもらえたら嬉しいよなぁ」
「ちょ……からかわないでください!」
むっと口を曲げると、先輩はごめんごめん、と人懐っこい笑顔を浮かべながら俺の肩をぽんぽんと叩いた。
「俺もな、調理せずにホールやってるのはお客さんの喜んでるところを見れるからなんだ。調理科が考えたメニューを厨房のやつが作る。それをお客さんが食べてくれる。その瞬間が好きだ。みんなで頑張った一体感かな。途中にみんなで手重ねて、おー!ってしたろ?」
バッと手をあげる井ノ原先輩にうなずく。
「あれも、みんなで力合わせるぞー!って気持ちになるのが好きなんだ。だから俺はしょっちゅうあれをやる」
「あはは……確かに、気合い入りました」
井ノ原先輩は、一息つき真っ直ぐに俺を見た。
「ここでさっき保留にしたお願いを使う」
「今ですか?」
「尾瀬、お前がよければこのまま正式にバイトを始めてほしいなあって思うんだ。それが俺の願い」
「えっ」
何を言われるのかと身構えたけど、そんなお願いだとは思ってなくて、何度か瞬きをしてお願いをのみこむ。
「それ……お願いになってます?」
「うーん、まぁ細かいことはいい。とにかく、俺はお前を気に入った。お前は周りをよく見てる。気を使いすぎてるところはある気がするが……それだけじゃない。他人のために動ける人だ。向いてると思うよ」
「向いてる……」
そんなこと言われたの初めてで、嬉しかった。でも……
「俺に、できますかね……」前に踏み出せない自分が邪魔をした。
「できなくても俺がサポートする。俺以外にも、ここにはいいやつばっかりだから、ひとりで心配しなくても大丈夫だ。何事も経験だ」
先輩は、最初もそう言っていた。何事も経験だって。
俺は、先のことばかり心配して、誰にも頼りたくなくて、そんな自分をを変えたくて、バイト体験をやらせてもらったんだ。
「……そうですね。俺、頑張りたいです。バイト、やらせてください!」
「うん、心は決まったみたいだな。いい返事だ。これからよろしくな!」
「よろしくお願いします!」
差し出された手を握り返したところで、後ろから翔太の声がした。
「すみません、こっち終わりました」
「お、ありがとな。俺らもこれさっさと片付けないと」
手を離し、再び食器をバケツリレー方式で井ノ原先輩に渡していく。最後の食器の固まりを渡し終わったところで、翔太に向かう。
「翔太。あのさ、俺ここのバイト始めることにしたんだ」
「……そっか。頑張れよ」
翔太は少し驚いて動きを止めたあと、微笑んだ。
「井ノ原先輩、由宇のことよろしくお願いします」
翔太は先輩に向き合い、背筋を正して一礼した。まるで親みたいだ。先輩は堂々と胸を張り、親指を立てて笑った。
「うん、任せとけ。名越も尾瀬の様子見にカフェにたっぷり通って、売り上げ貢献よろしく! あ、そのために尾瀬のこと誘ったんじゃないからな?」
「はい、そうさせてもらいます」
「由宇、ここのバイト始めるの!?」
突然、翔太の後ろから玲依が顔を出した。
「わっ! どっから出てきた!」
「やったー! 一緒にバイトできるね!」
俺の手を取り、思いっきりはしゃぐ玲依を「いいから、わかったから」と落ち着かせていると、またどこからともなく現れた七星が俺と玲依の間に割って入った。
「由宇くんがバイト始めたら、さらに俺との時間が減っちゃうじゃん! おにーさん、由宇くんのことたぶらかしたね?」
「ちげーよ」
七星はキッと井ノ原先輩を睨むが、先輩はやれやれと慣れた様子で肩をすくめた。
「由宇くん、俺と結婚してよ。養ってあげるから……そしたら由宇くんのこと閉じ込めて永遠に一緒に暮らすんだぁ♡」
「そんなんお断りだ!」
「由宇は俺と結婚するんだよ!」
「だーかーら……!」
*
「すっかり遅くなっちゃったな」
「そうだな」
全ての作業を終えて、先輩たちとは大学の正門で別れた。ついてこようとする玲依と七星に追われるように逃げ帰り、今は翔太と二人でいつもの帰路を歩いているところだ。空を見上げると、月明りが綺麗だった。
「今日、由宇の父さんは仕事早い日なのか?」
「今日は帰ってるから大丈夫。遅くなるって言ってるし」
「バイト……探してたもんな。いいところ見つかってよかったな」
街頭でぼんやりと照らされた翔太の顔を見上げた。
「うん。いろいろあったけど、楽しかった。井ノ原先輩も志倉先輩も優しいし……不安はあるけど何とかやっていけそう」
ああ、と翔太は優しく笑いながら頷いた。
「先輩たちも、玲依も目標があってすごいなって思ったんだ。翔太も格闘技、強いし。七星も……頭いいみたいだし。俺にはそんな熱心になれることひとつもなくて……それが羨ましいって、初めて思った。バイトを始めたからってすぐに変わらないかもしれないけど、こう、何かを変えてみたくなったんだ」
「そう思うだけで、じゅうぶん変われてる」
「……そうかな?」
首をひねっていると、翔太の大きい手がわしゃわしゃと頭を撫でた。
「大変なことがあったら、俺に言えばいいから。俺は、ずっと由宇の味方だ」
自分をわかってくれる人がいる。それだけで頑張れる。
そう言っていた玲依の言葉と、泣き出しそうなほど嬉しそうな顔が浮かんだ。
味方……そうだ、翔太はずっと俺のこと見ていてくれたんだ。
「うん……ありがとう」
顔をあげると、目の前は家だった。
「って、もう俺ん家の前じゃん! また送ってもらっちまった」
「そんな膝ガクガクさせてたら、ひとりで家までたどり着けなかったかもしれないし」
「うっ! それは……その通りです」
正直足は棒になってて、歩くのがギリギリだった。明日は筋肉痛確定だ。
「いや、これからは立ち仕事だし! 少しは鍛えれると思う! そんで翔太みたいに肉体的にも精神的にも強くなる! ……翔太ほど格闘技できる自信はないけど」
「……頑張れ」
「生暖かい目でフォローすんな! ……じゃ、送ってくれてありがとな。また明日」
「ああ。おやすみ」
翔太に手を振り、家に入って深呼吸をした。
味方がいるって、こんなにも心強いんだ。今までも、支えてくれた人はたくさんいたはずなのに、気づけなかった。いや、自分から突っぱねてたんだ。
最近少しだけ、人と話すのが楽になった気がする。そのままの自分でいれる相手が増えたからなのか……前までは平穏で変わりない生活を望んでたのに、まさかバイトを始めることになるなんて思わなかった。
バカ正直な玲依と関わり始めてから、きっと、何かが変わりはじめている。
*
ドアと、鍵の閉まる音。
それを確認してから翔太は来た道を引き返し、由宇の家から徒歩五分ほどの自分の家へと歩く。
「俺みたいに強く……」
(由宇は、良い方向に変わっていっている。でもそれは俺の力じゃなくて、#髙月__あいつ__#の力だ。俺は、由宇が思っているほど強くない。俺のもとにいたら由宇は幸せになれないのに、俺は由宇の幸せを願っているのに。
由宇を手放したくなくて、縛り付けている……臆病者だ)
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