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バイト編 エピローグ

 カフェの手伝いから数日後。 『他人に何言われようが、俺は玲依のケーキを楽しみにしてる!』  玲依は由宇から言われたことをあれから何度も思い出しては、にやにやと顔を綻ばせていた。同じクラスの人たちからも引かれるぐらい、浮足立っていた。 「髙月!」  調理科棟に向かう途中、大学構内を歩いていた玲依は自分を呼ぶ声に足を止め、振り返る。  駆け足でこちらに向かって来るのはカフェの手伝いのときに玲依に嫉妬の言葉を向けていた二人の先輩だった。 (あのときの先輩たち……?)  玲依の目の前まで息を切らしながらやってきた二人は勢いよく頭を下げた。 「ごめん、髙月!」 「本当にすまなかった!」 「えっ」  どう反応しようかと迷っていた玲依は、いきなりの謝罪に目を丸くした。 「オレたち、髙月のことなんにも知らないまま一方的に恨んでた」 「恵まれてるんだって勘違いしてて……羨ましかったんだ」  その謝罪は誠実で、先日の棘のある声色とは全くの別物だった。後輩相手に頭を下げたままの先輩二人に、怒りの感情は沸かなかった。 「顔をあげてください」  怒号や軽蔑が飛んでくるだろう、と予測していた二人は優しい声に顔をあげる。玲依は眉を下げてにっこりと笑っていて、その綺麗な表情に息を呑んだ。 「大丈夫です。恨まれるのは慣れてますから……いや、慣れたと思ってたんですけど……俺の大切な人が、“慣れるわけない”って怒って、心配してくれたんです。それに俺のケーキを楽しみにしてるってこと、初めて聞けたし……先輩たちには悪いんですが、それがすっごく嬉しくて……逆に良い思い出になりました。だから、先輩たちも気にしないでください」  さらに幸せそうに顔を綻ばす玲依。目を潤ませる二人には、その背に後光が見えた。 「た、髙月……!」 「顔だけじゃなくて性格もめちゃくちゃ良いやつ……! 神か……!?」 「神……?」  さすがにそこまで言われたことのない玲依は少し戸惑った。 「ゴホン、そういえば、自己紹介がまだだったな。オレは調理科三年の小松」 「僕は伊田」 「よろしくお願いします」  短髪の男は小松、焦げ茶の髪の男は伊田と名乗った。志倉が予想した名前と同じだ、と思いながら差し出された手を握った。伊田、小松と順に握手したが、小松はなかなか手を離してくれなかった。 「……えと、小松先輩?」  小松は真剣な表情で、口を開いた。 「髙月、お前に頼みがある。俺を弟子にしてくれ!」 「で、弟子?」  「頼む!」と必死な様子でさらに玲依の手のひらを握りしめた。  突然すぎて言葉を失う玲依に、すがるように小松は熱く言葉を続ける。 「お前の考えたケーキ、本当に美味くて感動したんだ。ズルやってるやつがあんなに美味いケーキを作れるわけがない。髙月を目標にしたい。これからは心を入れ替える。だから弟子にしてくれ」 「え、ええと……」  いくらケーキ作りが上手かろうが、弟子にしてくれと頼まれたことはなかった。少し言葉を濁しながら、玲依はどう返事をするか迷った。考えながら、少しずつ話す。 「あの、そう思ってもらえて、すっごく嬉しいです。けど、そんな大層なものはできません。自分のケーキには自信がありますけど、俺よりすごい人は星の数ほどいますし……」 「そんなんわかってる、お前と同じぐらい腕がいいやつはクラスにもいるし、先輩や先生に頼んだっていい。けど、オレはお前がいいんだよ」 「小松先輩……」  熱心に見つめられ、その瞳から真剣さがひしひしと伝わってくる。断ったものの、玲依は熱意に押されて揺れていた。ケーキ作りに真剣な気持ちは痛いほどわかる。 「今すぐに決めてもらわなくてもいい。あんなこと言って、すぐに信じてもらえるなんて思ってないからな。しばらくは自分で勉強するよ。でも、オレは髙月に教わることを諦めない」 「はい……! すみません、では考えさせてください」 「お前が謝らなくていいのに。頼んでるのはこっちだぞ。ほんとにいいやつだな」  諦めたくない、という気持ちが自分の由宇への恋心と重なって、さらに断り切れなくなってしまった。でも今すぐに軽い気持ちで弟子をとるのは失礼な気もして、保留とした。 (この保留も、由宇に言ったことを思い出すなぁ……この一件で、俺はまた少し由宇に近づけたのかな。き、嫌いな人にあんなこと言わないよね。やっぱり期待してしまう……)  意識を由宇に向けていると、次は伊田が玲依に質問をした。 「僕は髙月に聞きたいことがあって……あ、あの時カフェにいた金髪の方はいまどこに……?」 「金髪……ああ、音石ですか?」  金髪の方、という何とも丁寧な言葉に違和感を感じつつも、金髪といえばすぐに思い浮かぶのは音石七星しかいない。名前を出すと、伊田はぐいっと食いついてきた。 「音石くんという名前なのか! そう、その音石くんにもう一度会わせてくれ!」 「ええ? 俺に言われても……あいつのことなんてわからな……」 「俺のこと呼んだ?」  突然、七星が玲依の後ろから顔を出した。 「うわっ 神出鬼没!」  噂をすればなんとやら……と驚く玲依を揶揄いつつ、七星は太陽光に反射してキラキラと輝く緑の瞳を先輩たちに向ける。わざとらしく、今気づいたかのように。 「あれ、あのとき愚痴愚痴と僻んでた先輩たちじゃないですか。俺のおかげで改心したみたいですねぇ? えらーい♡」  かわいい仕草でぱちぱちと拍手をする七星に、玲依はげんなりとした。 「嫌味っぽ……もうちょっといい言い方あるだろ」 「玲依くんは俺に助けられたんだから口出ししないの。ついに弟子をとることになったんでしょ?」 「まだ決まったわけじゃ……てか、わりと前から聞いてたんだな……」 「音石」小松はすぐさま七星に頭を下げた。 「あのとき、お前のことは正直ムカついた。お前の言っていたとおり図星だったからな。それで殴りかけちまったし……悪かった。ちゃんと謝りたかったんだ。ごめんな」 「あら、本当に改心してるんだ。わかれば良しです」  微妙な表情で顔をあげた小松は、それでも七星と向き合った。 「上から目線だな……でもお前の言ったこと、沁みた。後輩に頼るなんて情けなくて前までのオレだったら絶対にしなかった。でも、自分が悪いのがわかった。だから髙月にもお前にも頭を下げれる。変われたのはお前のおかげだ」 「わかってんじゃん。弟子くん」  七星は胸を張ってニヤリと笑い、そのまま伊田に視線を移した。 「で、もう一人の人は俺を見つめてどうしたの?」 「あれ、伊田先輩? 探してた音石ですけど……」  会わせてくれ、と言った本人がしばらく無反応ことが気になり、玲依は伊田に視線を向けた。すると、伊田は真っ赤になってぷるぷると小刻みに震えていて、玲依はぎょっとした。 「お、音石くん……!」  伊田はゆっくりと七星に歩み寄り、覚悟を決めた表情で手を差し出した。 「好きだ!僕と付き合っ」 「無理。あの時言ったでしょ、俺は心に決めた人がいるから」 「そ、そんな……」 「うわあ、食い気味に断った……」  まるで予期してたように笑顔で断る七星。  膝をつく伊田を見て、可哀想……と玲依は同情してしまう。 「でも僕は諦めたくない! 光に煌めく金の髪と透けるエメラルドの瞳! 赤い頰と笑顔! 君は僕の天使……!」  地面に座り込みながら半泣きで七星を崇める伊田に、玲依と小松はドン引きしてしまった。  が、自分も由宇に同じようなことを思っているし、言ったこともあるし……と玲依は思い返していた。由宇がドン引きする気持ちもわかってしまったが、同時に諦めきれない伊田の気持ちも理解する。 「伊田はあれ以降、心ここにあらずでポエム言ったり書いたりしてて……正直キモい」 「い、伊田先輩。音石はやばいです、天使の皮を被った悪魔です!」  理解できても、忠告はしておきたい。七星はそれほど危険人物だ。  当の本人は満更でもなさそうに「悪魔じゃなくて小悪魔とでも言ってほしいな」と笑顔で肩をすくめた。 「……すまない、音石くん……僕が間違っていた」  まだ座り込んだまま、急に謝りだした伊田に、一同は首をかしげる。 「そもそも天使と交際をしようと思うことが間違っている……僕は禁忌を犯そうとしていた……君という天使をぼく一人が縛りつけてはならない……でも、僕は君のそばで君を見つめていたいとも思ってしまう……最低だ……」 「うわ、ついに悟ったか……」 「……自分を見ているようで切なくなってきました……」  伊田に感情移入してしまった玲依が胸を切なくしていると、七星は小さく息をつき、 「諦めが悪いなぁ……まあ俺も人のこと言えないけど」  自分もしゃがみ、座り込む伊田に向かって天使とも悪魔とも言える笑みを浮かべた。 「それじゃあ、先輩には助手として俺を手伝うことを許可してあげようかなぁ?」  誘惑するように人差し指を自分の唇に当てて頬を染める七星に伊田はメロメロになっている。 「……っ♡ ぜひ! 音石くんのためならなんでもいたします!」 「いい意気込みだね。ふふ……思わぬところで良い実験体(もの)が手に入った。試したいことがいっぱいあるんだ♡」  その笑顔が澱んだ欲望まみれに見えた玲依は、ヒッと喉を鳴らす。 「ひ、被験体にする気だ……!」 「たまには人助けするもんだね」 「マッドサイエンティスト! 非人道!」 「ふっふっふ。何とでも言えばー?」  腰が砕け気味の伊田を引っ張って立たせてあげながら、七星はさらに、にこにこと笑っていた。 「ああ、人間とは思えないほど、すべすべの手のひら……やっぱり天使様だ……」 「ここまで崇拝されると気持ちがいいね。ほらほら、もっと言ってくれてもいいよ?」 「……伊田が幸せそうだし、いんじゃね?」 「いいのかなあ……?」  一歩踏み出した由宇同様、玲依と七星もまた新たな交友関係を広げたのだった。

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