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【番外】由宇の苦手なもの

 ーー拝啓、部屋にカメムシがでました。    ゲームしてたら突然羽音が聞こえて、天井見たら電気の周りを飛び回ってた。さっきまでいなかっただろ! 瞬間移動としか思えない。絶対瞬間移動だ。  小学校の頃、七星に毎日のように虫を投げられて以降、俺はめちゃくちゃ虫が苦手だ。小さいハエや綺麗な蝶々ならまだいい。でもカメムシは無理!飛び方も音も無理!  そういう訳で、ただいま俺は部屋から出て、ドアの隙間から元気に周回しているカメムシを見張ることしかできない。  宇多→部活。父さん→仕事。家には俺だけ。壁についてるんならまだいけるかもだけど、飛んでるのは無理だ。天井にいるやつに殺虫剤使うと落ちてくるし。  そうなると頼めるのは……  汗ばむ手で握りしめたスマホで電話をかけた。 「もしもし、翔太!? いま暇!? うち来れる!?」 『……虫か?』 「話が早い! カメムシが俺の部屋飛び回ってる! はやく、はやく……まじ無理、たすけて……」 『わかった。行くから、待ってろ』  約五分後、到着した翔太によってカメムシは退治された。いっきに緊張がとけ、大きく息をついた。 「助かった……ありがと……翔太いてくれてよかったぁ」 「どういたしまして。俺が来る間に虫がどっかいかなくてよかったな」  翔太は毎回嫌な顔ひとつせず虫を取ってくれる。今日は家にいたところを呼び出したのに、いつものように微笑んだ。 「そうやって取ってくれるの翔太だけだ。宇多も父さんも頼んだらめんどくさそうにするし。おまけに、片付けしてないからだとか文句も言われる。心がダブルパンチされた感じになるんだよ。嫌いなもんは嫌いなのに……あ、せっかく来てもらったし、ゲームしようぜ!」 「そうだな」 「俺、今別のキャラ練習してんだ。腕試しさせてくれ」  中断していた対戦ゲームを手に取りテレビにつなぐ。自分用に買っておいたスナック菓子をテーブルに持ってきて、座布団を用意した。  コントローラーを受け取った翔太は対戦キャラを選択しながら、話を戻した。 「今日は俺がいたからよかったけど、俺もいなくて宇多も由宇の父さんもいないときだってあるかもしれないだろ。そうなったらどうするんだ」 「……殺虫剤、部屋に置いとく」 「今みたいに天井にいたら使えないんだろ?」 「うっ……その通りだけど、いざとなったら……な、なんとかする。いや、とにかく出ないことを祈る」 「……俺も祈っとくけど、由宇は虫に好かれやすいみたいだからな」 「まっっったく嬉しくない……」 *  そんな祈りも虚しく数日後。  四限終わりでレポートも終わらせて、明日も休み! 思いっきりゲームするぞ、と意気揚々と家に帰ったのに。 「は……!?」  自室に入って正面の壁に、いる。俺はそっと後ずさりして部屋から出て、ドアの隙間から奴を見据えた。  え? ゲジゲジ? だよな、どう見ても。  そんな、ありえないだろ。家に出たことなんてほとんどないじゃん。なのになんで俺の部屋に? は?なんで? 天変地異の前触れか。そっか……  不思議とカメムシやクモの時とは違い、焦りとか恐怖は感じなかった。滅多に遭遇しない虫を相手に、宇宙猫状態だった。人は追い込まれすぎると逆に無になるんだなあ。  俺は極めて冷静に、その時選べる最善手を選んだ。でも、後から考えれば何でそうしたのかわからない。それほど混乱していたんだろう。 「お待たせ♡ あなたの七星くんだよ♡」  少ししてインターホンが鳴った。玄関を開けると、七星が満面の笑みで頰を赤く染めていた。  そう、案の定あの時翔太が危惧した状況だった。翔太も宇多も父さんもいないし呼べもしない日に限ってこんなことになるなんて。  なんとなく、玲依もあれはダメそうな気がして俺は七星に電話をかけた。七星を頼るほど追い込まれていた。七星は何に対しても動じないし、容赦もない。きっと素早く退治してくれるだろう、と。 「はやく、こっち!」  服の上からでも細い七星の腕を掴み、急いで2階へとあがる。 「えへ♡ 由宇くん、急に積極的になっちゃって……そんなに早く俺とピーーーー(自主規制)したいの?」 「ちげーよ!! あれ!取ってくれ!」  奴を刺激しないように、そっと部屋のドアを開け、指をさして七星に伝えると、 「……はぁ?」  さっきまでの猫撫で声が嘘のようなドスの効いた声。七星は電池が切れたみたいにしゃがみこんだ。ゲジゲジと見比べながら、そんな七星の背をポンポンと叩く。 「ゲジゲジが出たんだよ! 取って! 頼む!」 「ええ……」 「ちょ、そんなあからさまに」 「どんだけ俺が期待して来たと思ってんの!」  大きな声で俺の声は遮られた。勢いよくあげた七星の顔は、怒ったような悲しいような、複雑な面持ちで、さらに赤くなった頰を大きく膨らませていた。 「こんなオチだろうって思ったけど! でもやっぱり期待したのに! 『今はお前しか頼れないから訳は聞かずにとにかく来てくれ!』とか好きな人に言われたらウキウキして行くでしょ! なのにゲジゲジって、俺ゲジゲジに負けたの!?」 「それはごめん。ゲジゲジって言ったら来てくれないかと思ったんだよ。それほどテンパってんだって」 「ゲジゲジ取ってって言われても行くけど!? 由宇くんに頼られて嬉しくないわけないじゃん! 由宇くんのばか!」  何に対して怒ってるのか……七星のことはいまいちわからん…… 「話は後でするから、とにかく今は早くあいつをなんとかしてくれ! 俺は地球外生命体と戦いたくない」 「ゲジゲジは歴とした地球内生命体だよ」  七星はスマホを取り出して画面を叩く。 「ムカデの仲間だったはず……ほら、ムカデ綱。へえ~、ムカデって古生代のシルル紀からいるんだって。すごいねぇ」 「へえ~って、ウィキ読み上げなくていいから! 画像見せんな! まじで早く!」 「じゃあ対価をちょうだい」  七星はスマホをポケットにしまいながら立ち上がった。熱を持った目でじっとこちらを見つめてくる。 「……頭撫でる、とか」 「足りません。由宇くんからキスして。もちろん口に」 「それは嫌だ」 「じゃあ取ってあげなーい。由宇くんの部屋でゲジゲジと暮らしてやる」 「やめやめ、やめろ!」  部屋に足を踏み入れる七星を必死で引き止める。こいつなら本当にやりそうだ。 「……だ、抱きしめる……とか!」 「足りない」  七星はツーンとそっぽを向いた。精一杯の妥協だったのに。でもキスは嫌だ。  こうなったら……! 「……夜飯、お前の分も作ってやる!」 「え、ほんと?」  七星の顔が輝く。食いついた。前のバイト体験のときに、美味そうに飯食ってたの見てたからな。 「ほんと! 好きなもの作る!」 「じゃあその3つで、交渉成立ね♡」  部屋に入った七星はベッドの上に立ち、奴を鷲掴んで窓から放り投げた。この長い言い争いに意味はあったのかと思うほど秒で終わった。  どうか下に人がいませんように。もう俺の部屋に入ってきませんように。願いを込めてお祈りしておいた。そして七星には手を洗ってもらった。 「それじゃあ由宇くん♡ ぎゅってして♡」 「わかった……」  めちゃくちゃ恥ずかしかったけど、約束は約束だ。飛びついてきた七星を抱きしめ返す。それで頭を撫でてやると、頭をすりすりと寄せてくる。人じゃなくて、大っきい動物だと思えば……そう、でっかいうさぎ……! 「もうおわり!」 「ええ~……短い。このままベッドで続きしよ……♡」  七星の怪しい笑みにゾッと悪寒が駆け抜ける。  続きってなんの!? 嫌な予感しかしない!! 「だめ。夜飯の材料買いに行くぞ。行く間に何食べたいか決めてくれ」 「むむ……まあ、由宇くんのごはんが食べられるなら今日は我慢してあげる……」  引き剥がし、放り投げていたリュックを背負って階段をおりる。七星は軽い足取りで後を追ってきた。 「えへ、一緒に夜ご飯の買い物なんて新婚さんみたいだね♡」 「んなわけないだろ。で、何が食べたいんだ」  靴を履き、家の鍵を閉めて七星の方を向くと、けっこう真剣に考えている。スーパーへの道を並んで歩きながら、七星の沈黙を待っていると、パン、と手を叩いた。 「今日の気分は……中華!」 「そうきたか……いや、でも言われると食べたくなってきた」 「エビチリ!」 「エビチリは好きだけど作るのはめんどくさそう。麻婆豆腐と青椒肉絲でどうだ?」  エビチリを却下すると七星はしょげたが、麻婆豆腐と青椒肉絲の名前を聞くと、サラサラの金髪を揺らしながら笑顔を綻ばせた。 「うん! それにしよ!」  頷き返すと、満足げに俺の顔を覗きこんだ。 「やっぱり新婚さんみたい♡」 「違うから!」

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