76 / 142
【番外】七星が風邪をひいたら②
由宇が買い物に行き、部屋には七星と、床に座りスマホを眺める翔太、それにリリィだけとなったことで微妙な空気が流れていた。七星は天井を眺めて、自分の上で丸まったリリィを抱きしめながらぼそりと呟いた。
「由宇くん……早くかえってこないかな……」
「さっき出たばかりだぞ。寝てろ」
「寝たくても寝れない。朝からずっと寝てたし」
「へえ」
「ほんとに由宇くんのこと以外は塩だよね……」
再びしん、と静まりかえったタイミングで、翔太のスマホが振動した。由宇からの電話だった。
「どうした?」
『あのさあ、七星の家に調理道具あるか? 鍋とかおたまとか』
翔太は立ち上がり、コンロや周辺の棚を開けるが、それらしいものは何一つなかった。
「見たところないな」
『あーやっぱり……なんかそんな気ぃしたんだ』
「一応音石に聞いてみる。……おい音石、鍋とかはここにあるのか?」
七星は小さく首を振る。
「ない。料理しないから」
「やっぱりないみたいだ。どうする?」
『わりと家近いし、一回家帰って道具持ってくる。あと、出汁の素とか調味料も』
「わかった。気を付けてな」
翔太が電話を切ると、うっすら内容を聞いていた七星は、ごろんと横向きになり、嬉しそうに翔太のスマホを見た。
「由宇くん……俺のために……やさしい、かわいいなあ……好きだなあ」
七星の言葉に腹を立てながら、翔太はもとの場所に腰を下ろした。
「由宇は昔からそうだ。困ってるやつがいたらなんとかしてやりたいんだ。お前みたいな最低野郎でもな」
「そういえば……小学校のころ、体育の授業中にこけて膝からけっこうな量の血が出たとき、由宇くんは俺より痛そうな顔して、グロい!って言いながらも保健室に連れて行ってくれたんだよなあ……あんときから嫌われてたはずなのにね」
「そういや、由宇が血だらけの誰かを助けてたことあったな。あの時こけたのお前だったか」
「由宇くん以外を記憶から消してるの?」
七星はリリィの毛並みを整えたり逆立てたりしながら翔太ととりとめない話をした。熱のせいでうまく頭が働かない七星の口からは、いつもの憎まれ口や煽りは出なかった。翔太は、七星の様子を見ていてくれ、と頼まれた責任感もあってか、面倒だと思いながらも少ない口数で返事をした。
たまに沈黙が訪れるものの、由宇を待ちながら細々と二人の会話は続いた。
*
ドアの開く音とともに、リリィは目を覚ました。首の鈴を鳴らしながら、軽い足取りでドアのもとへ向かった。
「戻ったぞー。わ、リリィ、出迎えか? ありがとな」
リリィが出迎えてくれるなんて最高だな……と思いながら、由宇はリリィの後に続く翔太に買い物袋を渡す。
「おかえり。これ、冷蔵庫か?」
「うん、そっちの袋は冷蔵庫に入れて。俺は雑炊作るから、りんごでも剥いてやってくれ」
由宇から袋を受け取った翔太はてきぱきと、ゼリーやスポーツドリンクを冷蔵庫に詰めていく。
手を洗っていた由宇の耳には自分を呼ぶ声が聞こえた。自分の足もとを回っているリリィを踏まないように、七星のベッドに向かう。
「なんだ? しんどいのか?」
「由宇くん……かえってきてくれてありがとう……」
「は? そのまま逃げると思ってたのか!? んなわけないだろ」
心外だと口を曲げながら怒る由宇に、七星の喜びはもっと大きくなる。こんなに優しくされるわけがないと心のどこかでは不安だったのに、それがどんどん消えていく。心が満たされていく。
「俺、いいこに待ってたよ。だよね、翔太くん」
翔太は、由宇が家から持ってきた包丁を使い、ゆっくりとした動作でりんごの皮を剥きながら、
「まあ……変なことはしてなかったな」
と、可もなく不可もない返答をした。
満足そうにその答えを聞き、じ……と物欲しそうに七星は由宇を見つめた。
「だから、ほめて、由宇くん……」
「……はぁ、わかったわかった」
ため息をつきながら、由宇は七星の頭を撫でた。七星は子どもみたいに嬉しさを爆発させた。
「えへへ……」
「はい終わり! これから雑炊作るから。あ、そういえば冷えピタ買ってきたから貼っとけ」
袋の中に入れたままだった冷えピタを取り出し、七星のすべすべの額に、べし、と貼ってやる。冷たさにぎゅっと目を閉じ、すぐに緑の瞳を開く。由宇の少しむくれた、でもこちらを心配するような表情に、七星は再びにっこりと笑った。
ギリギリ二人収まるサイズのキッチン。シンクの上でまだ用心深くりんごの皮を剥いている翔太の隣に立ち、由宇は鍋に水を入れて顆粒だしとともに火にかけた。
「りんご剥くの任せたけど……やっぱお前の手つき怖いな……」
「慣れてないだけだ。ゆっくりやれば手は切らない」
調味料と冷凍ごはんを鍋に入れ、煮詰めながら翔太の手元をちらちら見ていると、なんとか皮が剥き終わった。そのりんごは、翔太のおぼつかない手つきで八等分に切られ、紙皿に盛りつけられ、七星のもとに運ばれた。
「ほら、食え」
七星はむくりと体を起こす。渡されたりんごを見て、つい吹き出した。
「なにこれ、ぼっこぼこ! 翔太くん、料理苦手なんだ?」
「……うるさい」
「ふっ、あはは……! まじへったくそ……! 俺と同レベル!」
「文句言うなら俺が食うぞ」
「たべるたべる。いや……ほんっと……ふふ」
そんな会話とデコピンらしき音を片隅に聞きながら、由宇も顔を綻ばせていた。
*
由宇の手作り雑炊を食べ終えた七星は満足げにベッドに戻り、布団をかぶった。
「由宇くん……ついでに翔太くんも、助けてくれてありがとう」
「別に、大したことはしてないし」
「ついでか」
「俺、さみしかったんだ。ひとりで、食べるものもなくて、このまま死んじゃうんじゃないかって不安だった……ほんとに、うれしかったよ……」
七星の声はだんだんと小さくなり、やがて安らかな寝息に変わった。
「やっと寝たか……腹いっぱいになったからか?」
「本当に子どもみたいだな」
あぐらをかいた足の隙間にすっぽり収まるリリィを撫でながら、由宇は正面に座る翔太の方に顔をあげる。
「翔太はこれからどうする?」
「俺は夕方にサークルの会議があるから、大学に戻る。由宇は?」
「特に予定はないけど……」
由宇は、すやすやと眠る七星をちら、と見る。ここに来たとき、七星は大量の汗をかいてうなされていた。
"ひとりはさみしい、くるしい、死んじゃう、たすけて"
由宇の名前とともに、何度もそう繰り返していた。それに比べたら今はずいぶん落ち着いている。
「気になるか?」
「……あんだけうなされてたし、一人暮らしだし、様子は気になる。今日は予定ないから泊まれるには泊まれるけど、さすがにこいつの家はなあ……」
「ひとりで泊まるのは絶対だめだ」
真顔の圧と視線にたじろぎながら、由宇は腕を組んで首をひねる。
「とはいえ、このままひとりにしておくのはなあ……誰か、代わりに七星の面倒見てくれるやついるかな……あ」
同時に、とある人物が思い浮かんだ由宇と翔太は、顔を見合わせた。
「いるな……」
「うん、とりあえず今晩予定あるか聞いてみよう」
由宇はすぐにスマホを手に取り、電話をかけた……
ともだちにシェアしよう!