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【番外】七星が風邪をひいたら③

 次に七星が目を覚ました時には、カーテンの外は真っ暗になっていた。少し体を起こして部屋を見渡すが、由宇の姿も翔太の姿も見当たらなかった。 (帰っちゃったんだ。言えなかったけど、ほんとは泊まってほしかったな……翔太くんが一緒でも……でも、じゅうぶん嬉しい。熱も少し楽になってきたし、由宇くんのおかげだなあ)  由宇のおかげで寂しさはずいぶんと和らいだ。七星は天井を見つめながら由宇の料理の味や、由宇からもらった幸せに浸っていた。  その時、ひとり暮らしの部屋では考えられない音が聞こえた。シャワーの音だ。七星はびくりと体を震わせる。 (だ、誰かいる!? お風呂、もしかして由宇くん!? 泊まっていってくれるってこと……?)  期待と、風呂上がりの由宇を想像し、謎の緊張が襲った。健康な状態であれば今すぐにでもお風呂場に突撃しているが、まだ体は自由に動かない。ベッドで大人しく待つしかなかった。  布団を被りながらドキドキと待って、待って……ついにお風呂場からその人が顔を出した。 「あ、音石起きたの? シャワー借りたよ」 「は……」 「予備の布団ってあったりする? 布団まで持ってこれなくて」 「はあ!?!?!?」  濡れた髪をタオルで拭きながら、お風呂場から出てきたのはジャージを着た玲依だった。七星は勢いよく飛び上がり、ベッドを覗き込む玲依の腕を掴む。 「なんで玲依くんがいるの!? 由宇くんは!?」 「熱あるのに騒がないの……由宇をお前の家に泊まらせるなんて危ないこと、できないでしょ」  玲依がいる状況をいまだに飲み込めない七星は目をぱちぱちさせて玲依のムカつくほど端正な顔を凝視する。 「でも、この状態の音石をひとりにしておくのは心配だからって、俺が呼ばれたってわけ。今晩は特に予定ないし、明日の講義は昼からだから、余裕もって泊まれるよ」  悪気なくにっこりと笑う玲依に、だんだんと頭が追いついてきた七星は声を荒げた。 「俺の期待、かえしてよ! れいくんのばかぁ!」 「なんの期待? というか、早く治したいなら騒がずに寝なさい」  玲依は七星をなだめてもう一度寝転ばせ、布団をかけた。その動作が、由宇と重なって七星は複雑そうに口を曲げた。 「なんで……こんなやさしいの……俺に恩でも売りたいの?」 「そんなこと思ってない。知り合いが寝込んでたら心配するよ」 「俺はしない。由宇くんとリリィ以外どうでもいい」 「だろうな。俺が風邪ひいた時に激辛物セット持ってくるぐらいだし。で、布団はある?」 「……クローゼットの中。適当に使って。俺もシャワー浴びよ……」  ベッドから降りたことで七星の細い体がバランスを崩した。玲依は咄嗟に手を伸ばしてそれを受け止めた。 「っと……まだふらふらじゃん。ひとりでシャワーできる?」 「……できる! もーなんで玲依くんなの! こういうドキドキイベントは由宇くんとじゃないと意味ないのに!」  腕の中でバタバタ暴れる七星をしっかり立たせてやり、玲依も眉を寄せた。 「俺も由宇がよかったよ! 由宇だったら、シャワーの手伝いとかあれこれしてあげて……いや由宇の裸なんて見たらいろいろとやばいな」 「気持ち悪っ……由宇くんのこと変な目で見ないでくださーい」 「いちばん見てるのはお前だろ!」  七星のシャワーの音が聞こえる中、玲依はてきばきと部屋の真ん中の机を端に移動させ、予備の布団を広げて寝るスペースを確保した。その上に座り、七星のベッドで座ってこちらを見つめるリリィと向き合った。 「せっかく泊まるんだ。今日こそリリィと仲良くなってみせる……!」  リリィは、好きな人とものにしか近づかない、賢い猫だ。リリィは決して玲依には近づかず、むしろ相手にもしていなかった。その状況を打破するため、玲依は真剣に手を広げた。 「リリィ、おいで!」  リリィは玲依を見つめたまま、微動だにしない。しっぽだけががゆらゆらと揺れている。にらめっこから目線を外した玲依は部屋のすみっこに置いてある猫じゃらしを手に取る。 「これならどうだ!」  振られる猫じゃらしには全く興味を示さず、リリィは眠そうに瞳をとろんとさせている。何度振っても振っても無反応。 「だめだ……」 「ウケる。玲依くんは夜でも騒がしいね」  玲依が肩を落とすと、シャワーを終えていつの間にか一連の流れを見ていた七星がくすくすと笑った。 「あ、ごめん騒いで」 「別にいい。だいぶ楽になったし、勝手に喋ってて。相槌ぐらいは返してあげる」 「勝手にって……そんなお前と喋ることないけど……あ」  それでも猫じゃらしを振りながら、玲依は話を続けた。   「由宇が、『七星の家は生活感の欠片もないから、朝飯も作るか買うかの用意しとけ。調理器具も鍋から何まで持って行けよ』って言ってたから朝ごはんは軽めにサンドイッチにしようかなと思って材料持って来たんだ。もし体調戻ってなかったら別のにするし。あ、シャワー浴びたし新しい冷えピタ貼る? 持ってくるね」 「いやめっちゃ喋るじゃん……」  コミュ強の玲依にドン引きしながら七星は再びベッドにもぐった。額には新しい冷えピタが玲依によって貼られた。 「音石でも風邪引くんだな」 「人間誰でも引くんだよ。賢い俺でもね」 「いちいちムカつくな……由宇からは子どもみたいに不安がってるって聞いてたのに、けっこう戻ってきてる?」 「由宇くん、俺の話他にもしてた? 一語一句漏らさず聞かせろ」 「なにその脅し」 * 「玲依くん、玲依くん」  玲依は、べしべしと肩を叩かれる衝撃で目を覚ました。床で寝たことで固まった体を逆側に向けると、七星がベッドの上から覗き込んでいた。カーテンから漏れる朝日が七星の金髪を照らし、キラキラと輝いている。寝起きに天使のような顔が視界いっぱいに広がり、自分の顔を見慣れた玲依でさえも驚いてしまった。 「なに……? いま何時……?」 「5時半」 「は? はっや……」 「お腹すいた。サンドイッチ」 「もうちょっと寝るから……せめてあと1時間後……」  5時半は早すぎる。まったく起きる気にならない玲依は、サンドイッチの要望を聞き流しもう一度布団を被りなおし、目を閉じる。  ……が、 「おーなーか! すいた! サンドイッチ早く!」  朝にしてはそこそこに大きい声を上げながら、さらに玲依の肩を叩く。終いには背中をげしげしと蹴り出した。 「~~っ わがままな幼稚園児か!」  耐えかねてガバリと体を起こす。七星はしてやったりと、にんまり笑った。 「やっぱ悪魔だ……」  数十分後。綺麗に切り揃えられたたまごサンドとハムサンド、ホットミルクが七星の前のテーブルに置かれた。 「はい、どーぞ。お姫さま」 「やったあ」  目を輝かせた七星はサンドイッチを頬張った。相当お腹がすいていたのか、無言でパクパクと平らげていく。 「それだけサンドイッチ食べれるなら、だいぶ良くなったんじゃない?」  自分の分も机に運んだ玲依は、七星の向かいに腰を下ろす。 「そうだね。由宇くんの手作り雑炊のおかげかなあ」 「は……!?」  玲依が手に持ったサンドイッチからたまごがぼろぼろと零れ落ちた。 「由宇に雑炊作ってもらったの!? 何それ聞いてない!」 「いいでしょ、羨ましいでしょ」 「どちゃくそ羨ましいですが!? もう残ってないの!?」 「俺がぜーんぶいただいちゃった♡」 「はあ~~!?」  玲依が騒ぎ立てる間にも、七星はサンドイッチを綺麗に食べ終えた。満足そうにホットミルクも飲み干した。 「それじゃあ、俺はそろそろ出るね。音石は大学どうするの?」  昼も近づいてきた頃。荷物をまとめた玲依は大きめのリュックを背負いながら、ベッドに横になっている七星の方を向く。七星はゴソゴソと布団から顔を覗かせた。 「だいぶ調子はいいけど、一応今日は休む。由宇くんがレトルトのおかゆも買ってきてくれたし。しばらくは生きれそう」 「これを機に生活習慣を見直した方がいいよ」 「余計なお世話」 「はあ、せっかく心配してやったのに。じゃあ、お大事に。リリィもまたね」  リリィに手を振ると、リリィは玲依の足もとまで近づき、「にゃあん」と鳴いた。 「え、初めて反応があった……もしかして看病のお礼?」 「んにゃ」 「そっかあ。ちょっとは認めてくれたってことかな」  しゃがんでリリィを撫でようと伸ばした手は、するりと華麗に避けられた。 「触るのはダメなんだ……」 「……きてくれてありがと、玲依くん」 「ん?」  布団の中から聞こえてきたかすかな声に、玲依は顔をあげる。覗かせていた綺麗な顔はもう布団に隠れて見えなかった。 「……」 「ごめん、もう一回言って?」  丸まって何も喋らない布団に近づき、ちょんちょんとつついていると、突然七星はガバリと体を起こした。 「わっ」 「ありがと! って言ってんの! さっさと行け!」 「え、ごめん、もう一回」 「聞こえてるだろ!!」  顔を真っ赤にした七星は「ふん!」と鼻を鳴らして寝転がり、頭まで布団を被り直して玲依に背中を向けた。 「音石がお礼言うとか貴重だし、もう一回聞いておこうかと」 「ばーかばーか」 「感謝はしてくれてるんだね。素直じゃないけど。じゃあね」  騒がしい人物も去り、七星の部屋にはいつもの静寂が訪れた。ベッドに上がってきたリリィを抱きしめ、七星はぼうっと天井を見つめた。 (こうやってリリィを抱きしめて、寂しくてつらくて死んじゃうかと思って寝てたのが嘘みたいだ。なんか、あっという間に治っちゃった) 「由宇くんも玲依くんも……ほんっとお人好しなんだから。翔太くんは全然だったけどね」  ーーその後、由宇のスマホには七星からメッセージが届いた。快復の報告と愛の言葉、それから玲依がリリィに全く懐かれなくて落ち込んでいる一連の隠し撮り動画が送られてきたのだった。 【七星が風邪をひいたら 完】

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