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【番外】由宇の誕生日②
約束の16時ほぼぴったりに、大学の正門前で宇多くんと落ち合った。
宇多くんは音石がいることに最初は驚いていたが、由宇が風邪を引いたとき、一度会っていたらしい。しかも、音石が由宇の友達だと偽って家に入ったという事実が判明した。
「やっぱり”友達”じゃなかったんだ……」
「騙してごめんねぇ。不審者扱いされるわけにはいかなかったんだ♡」
「宇多くん、マジでこいつは不審者だから、気をつけて」
調理室に入った宇多くんは控えめに歓喜の声をあげた。
「すごい、高校の家庭科室とは全然違う……!」
目を輝かせながら、たくさんの大きな調理台や棚の大量の食器を眺めている。純粋……かわいい……!
「じゃあさっそく作ろうか。まずは着替えと手洗いを……なんだ、音石」
買い出しに行くために一度脱いだ調理服に手をかけたとき、こちらに向かって両手を伸ばす音石がいた。
「俺も一緒に作りたいから服貸して」
「は!?」
「教えるのが二人になっても玲依くんなら大丈夫でしょ? 俺も作ってみたい」
「お前……レトルト食品食べて過ごしてるから、全く料理できないんだよな?」
音石はにこりと笑って「うん」と軽快に頷いた。ふぅーと息をつく。
「”卵持ってきて”で、うずらの卵持ってくるようなやつに一から教えてたら宇多くんに教える暇なくなる! 却下!」
「……料理なんてめんどうだと思ってたけど、弟くんのやる気を見て俺も少しは頑張ろうと思ったのに……玲依くんひどい……! ぐすん!」
「うう……!」
どう見ても嘘泣き! 裏がありそうだけど、料理をやる意欲があるのは確か……! 不規則極まりなくてどうにも気になっていた音石の食生活改善のチャンスでは……!?
「……やるからには、しっかり教えるからな」
「わぁ、ちょろい! じゃなくて、よろしくお願いします♡」
「ちょろいって聞こえてるからな!」
音石用に予備の調理服を用意していると、一般的な無地のエプロンを着て待ってくれている宇多くんが申し訳なさそうに口を開いた。
「あの……玲依さん」
「どしたの、宇多くん。音石と一緒はやだ?」
「悲しいなぁ……俺は弟くんと仲良くしたいのに……」
由宇に近づく口実だろうが……! と睨んでいると、宇多くんは首を振る。
「そうじゃなくて……俺、家庭科の成績2なんだ」
「え」
「でもその評価は裁縫分野のほうで……裁縫は人並みにはできるからで……つまり、俺の料理の成績は1にも満たないゼロなんだ……」
宇多くんは恥ずかしいのか、そっと目をそらした。
料理、成績ゼロ……とは。初めて聞いた単語にかける言葉が出なかった。そういえば前に全然料理できないとは聞いたけど、まさかそこまでとは……
音石はわかるわかる、と相づちをうっている。
……やっぱり音石は放っておけばよかった。
「……とにかく、まずはやってみよう! 俺が教えるから順番にやれば、料理ゼロ(?)でもなんとか……」
ーーならなかった。
目の前に並べられたお皿には、グラタンになる予定だった、ホワイトソースのダマの塊。エビフライになる予定だった、黒焦げの物体。ガッチガチのハンバーグ。
唯一無事だったのは表面が少し焦げたローストビーフ。表面に焼き目をつけてアルミホイルに包んで置いておくだけだったから一命をとりとめた。
「いやー、頑張った頑張った! 形にはなってるもんね」
「音石!! お前はマジで余計なことしすぎ!!」
ふんぞり返る音石の頭をはたく。
二人ともそれぞれに突っ走って、片方を見ている間にもう片方がやらかして……という感じで一人じゃ面倒が見きれなかった。その結果が目の前のものだ。音石がいなければ……と何度思ったことか。
「ごめんなさい、玲依さんに教えてもらっても無理だった……」
宇多くんは肩を落とし、しょんぼりとしている。
「いや、宇多くんに怒ってるわけじゃなくて……こちらこそ音石が邪魔してごめんね。宇多くんにつきっきりで教えられなかったし」
「えー、俺のせい?」
「今は黙ってろ!」
「つきっきりでも、きっと無理だったよ。俺料理ヘタだし」
「……」
音石と顔を合わせ、宇多くんに目線を戻す。さらに落ち込んでいる肩をぽん、と叩くと顔があがった。安心させたくて、にこりと微笑んでみせる。
「俺は双子でね、妹がいるんだけど……その双子の妹もぜんっぜん料理できないんだ。顔は似てるんだけど、得意なことは似てなくて。妹は味付けがとにかく苦手で、調味料は軽量しないし、砂糖と塩、おまけにみりんと酢も間違えるしで……」
ぽかんとしていた宇多くんがくすりと笑う。
「俺が言うのもなんだけど、ひどいね」
「でしょ? で、実は俺も小学校の頃とかはひどいもんだったよ。あちこち焦がしたりして一品作るのも精一杯でさ、妹と一緒に料理をしては親に怒られてた」
「意外……最初から上手いんだと思ってた。どうやって料理上手になったの?」
「家族が美味しいって言ってくれたから。家族に喜んでほしかったから……なんだ」
ちょっとだけ恥ずかしかったけど、それを隠すためにもう一度笑った。
目をぱちくりとさせる宇多くんに続けて話す。
「初めて妹と作った料理……玉子焼きなんだけど、親が美味しいって褒めてくれたんだ。それがすごく嬉しかった。キッチン汚したのは怒られたけどね。それ以来、頑張っていろんなものを作っては家族に食べてもらって、だんだんとできるようになったんだ。誰でも最初は初心者なんだよ」
「そうなんだ……」
「へぇ、そんなことがあったんだ。じゃあ弟くんも俺も全然大丈夫だね。まだまだ発展途上だ」
「俺のセリフをとるな」
にこにこと宇多くんの顔を覗き込む音石を押しのける。
「そういうわけで、まだまだこれから上手くなるよ。宇多くんだって、家族に……由宇に喜んでほしかったから、俺に相談してくれたんだよね?」
宇多くんは頬を赤くし、小さく口を開いた。
「……母さんがいない分、由宇には世話になってるし、誕生日ぐらいは由宇の好物ばっかりの晩ごはん作ってやりたいなって。でも、やっぱり恥ずかしい気持ちもあって言えなくて……気づいたら1週間前になってた。ギリギリにお願いしちゃってごめんなさい」
「宇多くん……!! めっちゃいい子……!!」
「よしよし、由宇くん想いだねぇ」
音石と一緒になってつい力を入れてぐしゃぐしゃと頭を撫でると宇多くんは少し不満そうに口を尖らせた。
「さっきから玲依さんも七星さんも、俺のこと子ども扱いしすぎ。4つしか変わらないのに」
「ご、ごめんごめん。ついかわいくて」
「ねー、由宇くんの弟は俺の弟だし」
もう一度音石の頭をはたいておいた。
「とりあえず、今日のとこは遅くなっちゃうし解散にして、また明日から仕切りなおそう!」
調理室の壁かけ時計は18時半が近づいている。窓の外も赤みが消えかかる頃だ。遅くなるって事前に言ってるみたいだけど、さすがに由宇が心配してしまうだろう。
「え……ほんとに教えてくれるの? 迷惑じゃない?」
「全然だよ。あと1週間もある! 毎日一品ずつ練習して、作れるようになろう!」
「1週間で、俺でもできるようになる?」
それでも不安そうな宇多くんの手を握り、強く頷く。
「大切な人に美味しいものを作ってあげたいって気持ち。それがあれば絶対大丈夫! 俺が保証する!」
「……! うん。よろしくお願いします!」
宇多くんの瞳がきらめいた。大きい目、やっぱり由宇に似てるなぁ……
隣で音石は満面の笑みで挙手をした。
「俺も付き合うよ」
「マジで音石は邪魔しないで。料理作れるようになりたいんだったら、宇多くんの特訓が終わってから教えるから。この1週間は大人しくしてて」
「あ、教えてはくれるんだ……まぁ、俺も由宇くんの誕生日は楽しくしてあげたいし。邪魔はやめる。ここには来るけど」
「来るのかよ!」
解散だって話したばかりなのに、つい音石と言い争いをしてしまった。すると、宇多くんが「あの」と小さく声をだした。
「この失敗した料理、どうしよう……」
「俺に任せて」
目の前の料理を復活させるため、調理道具を再び並べた。
ダマになったホワイトソースはミキサーにかけて裏ごしして、もう一度伸ばして復活。エビは衣を取って、小さく刻む。ハンバーグもほぐして、エビと余った野菜と一緒にチャーハンに。ローストビーフはそのまま切って……
どんどん変わっていく材料を宇多くんは目を輝かせて見つめている。音石も興味があるのか一緒に覗き込んでいる。
「余った食材はここの冷蔵庫に置かせてもらって……俺の名前を書いておいたら取られないから。明日からまた使おう。はい、これで終わり。この料理はみんなで分けて家で食べよう」
「あの、俺が持って帰ったら由宇にバレるから、二人で分けて」
「あ、そっか。じゃあ味見だけでもしようよ。お腹すいたでしょ?」
それぞれを少しだけ皿に取り差し出すと、宇多くんはこくりと頷き、順番に口に運んだ。
「美味しい! すごい、玲依さん」
「へへ、一番の褒め言葉だよ。ありがとう!」
残りの料理を二つに分け、使い捨てのパックに詰める。片方を、こちらの様子を興味深く窺っていた音石に差し出す。綺麗な瞳を猫みたいに見開き、俺とパックを交互に見た。
「こっちは音石の分」
「え」
「持って帰って食べて。ちゃんとした食事をしろ」
「強制……ま、まぁ食べるけど。俺なんて放っておけばいいのに、ほんとお人好しなんだから」
嫌味を言いながらも、そっとパックを受け取った音石は、ふん、と目を逸らした。なんかちょっと照れているような……
それはどうでもいいや。俺はもう一度宇多くんに視線を向けた。
「というわけで宇多くん。失敗しても俺がなんとかするから、安心して挑戦してね」
「ありがとう、玲依さん。俺、頑張れそう。明日からよろしくお願いします!」
こうして、宇多くんとの1週間の猛特訓が始まった。
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