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【番外】翔太の誕生日②

 冬は日暮れが早い。時刻はまだ18時なのにあたりは真っ暗で、冷たい静けさに包まれていた。部活終わりの宇多と合流し、三人は翔太の家に向かった。  玄関に入ると、すでに美味しそうな匂いで満ちていた。 「ただいま」 「あら、おかえり!」 「「お邪魔しまーす」」  翔太に続いてリビングダイニングへ入ると、翔太の母親である香織がキッチンから顔を出し、尾瀬兄弟を迎え入れた。 「わあ、久しぶりね二人とも」 「香織さんも元気そうでよかった。今日はごちそうになります」  兄弟が揃えて礼をすると、香織はふんわりと微笑んだ。 「こちらこそ急だったのに来てくれてありがとう。もう少しで完成するから座って待ってて」 「あ、俺手伝います!」 「本当? 助かるわぁ。翔太には手伝いさせられないから」  荷物を部屋の隅に置き、由宇は香織を追いかけてバタバタとキッチンに立った。 「由宇と香織さんって仲いいよね」 「波長が合ってるんじゃないか?」  翔太と宇多は由宇と同じところに荷物を置き、二人分増やされたダイニングのイスに座った。  宇多はちらりと由宇のリュックに目を移し、翔太へと目線を向けた。 「由宇からプレゼントもらった?」 「……そういえば、まだだな」 「由宇のことだからタイミング逃した~とかだと思うけど」 「だろうな」  今気づいた様子の翔太と、渡しそびれている由宇を頭に浮かべ、宇多はため息をついた。 「今年もすっごい悩んでたよ」 「うん、目に浮かぶ」 「はあ……やっぱり楽しんでるよね? 俺は毎年付き合わされてるんだけど」  じと……と目を細めて睨んでくる宇多がどうにも小動物っぽくて、翔太は笑ってしまう。 「悪いな」 「別にいいけどね。……由宇、プレゼントあげるのはどんな人かを店員に聞かれたとき『俺よりずっとしっかりしてて、強くてかっこよくて頼りになる、自慢の幼なじみです』……って言ってたよ。よかったね」  その言葉に少し頬を紅潮させた翔太は、愛しさを噛みしめるようにつぶやいた。 「ああ。由宇の気持ちに応えられるように、来年も自慢の幼なじみでいないとな」 「……そんなに悠長でいいの?」  宇多の鋭い視線と痛い言葉。チリチリとした雰囲気に翔太が黙ったとき、由宇の明るい声とともにテーブルに料理が運ばれてきた。 「じゃん! 香織さん特製のビッグサイズハンバーグ! これひっくり返すの改めてすごいよなあ」  翔太家で一番大きな皿いっぱいの迫力あるハンバーグ。直径20㎝はありそうだ。由宇はそれをどんと真ん中に置いた。 「あと運ぶだけだから。お前らも手伝えよ。あ、でも翔太は主役だし座ってろ」 「いや、俺も運ぶよ。行くぞ宇多」 「はーい」 (ずっと由宇のこと見てきたくせに……翔太くんはそれでいいの? 誰かに取られても) * 「ごちそうさまでした!」 「ごちそうさまでした」  尾瀬兄弟は揃って手を合わせた。仲の良い二人の様子に、翔太と香織、少し遅れて帰ってきた翔太の父親である#啓志__けいじ__#も揃って微笑んだ。 「由宇くんと宇多くんはすっごく美味しそうに食べてくれるから嬉しい。ほんとに作りがいがあるわ」 「香織さんのご飯が美味しいからですよ!」 「うんうん、これを待ってたのよ」  宇多も由宇の意見に賛同し頷く。その様子を見て啓志は隣に座る翔太を見やった。 「二人が来ると賑やかになるな。翔太も由宇くんみたいに愛想を持てば……」 「は? 誰に似たと思ってんだよ。父さんこそ母さんに『飯が美味い』の一言も言えないくせに」 「……」 「啓志くんはシャイだから心の中で思ってくれてるのよねー?」 「まあ……そうだな」 「それじゃあ、私はテーブルを片付けるから。由宇くんと宇多くんが来てくれるんだったらと思って、ケーキを買ってきたのよ!」 「ケーキ!」  由宇の顔がパッと輝いた。 「翔太も啓志くんも毎年、ケーキは別にいらないって言うから冷たくて。誰の誕生日であれ、誕生日にはケーキを食べたいのにねぇ?」 「ですよね! 俺も昔から宇多の誕生日はケーキやごちそう食べれて嬉しかったですし」  わいわいと盛り上がる由宇と香織は、話しながらテーブルの上の食器をまとめ、キッチンに運び出した。他の三人は置いてけぼりになってしまった。 「俺の誕生日だったよな?」 「そのはずだけど」 「前から思ってたが、香織と由宇くんは気の合うところが多いな。……俺はケーキまでもう少し飲むか」  グラスに少し残ったビールを飲み干した啓志は、酒を足すためにキッチンへ向かっていった。  いろいろな事が繋がった宇多は、ぽん、と手を叩く。 「好きなタイプまで似てるってことか……」 「宇多」  皆まで言うな、とばかりに翔太は宇多の言葉を遮った。翔太にもその自覚はあるらしい。 「はいはい。じゃあ俺は少しだけ手を貸すよ。誕生日なんだから、ちょっとは翔太くんが良い思いしてもいいでしょ」 「十分してるけどな」 「欲があるんだかないんだか……でもこのままじゃ、俺が納得いかないから」  宇多が立ち上がったところに、ちょうど由宇がキッチンから出てきた。 「宇多ー、机拭き頼んだ」  ぽん、と濡れた布巾をテーブルに置いてキッチンに戻ろうとする由宇を宇多が呼び止め、近づいて翔太に聞こえないようこそりと耳打ちをした。 「どうせ翔太くんに渡しそびれてるんでしょ?」 「あっ!」  由宇は肩をギクリと固め、翔太に怪しまれないよう声を潜めた。 「なんで知ってんだよ!」 「翔太くんが待ってたから」 「う……タイミング逃したんだよ……」 「ちょっと怒ってたし」 「げ! 遅くなりすぎた!? やべぇ、どうしよ」  チラッと翔太の方を見ると、当の本人は置かれた濡れ布巾でテーブルを拭いていた。  ぐだぐだ言い訳をする由宇に腹を立てながら、宇多は由宇の背中を叩いた。 「片付けは俺が手伝う。いいからはよ行け」 「うん。ありがと、宇多!」  由宇は急いで自分のリュックを掴み、翔太の隣に立つ。そして、反対の手でテーブルを拭いている翔太の腕を掴んだ。 「翔太、こっち来て」 「?」  翔太の家族の前でも宇多の前でもプレゼントを渡すのが恥ずかしかった由宇は、リビングを出て、二階にある翔太の部屋まで本人を引っ張った。  部屋の電気をつけてゴソゴソとリュックをあさり、それを翔太の目の前に突き出した。 「これ、誕生日プレゼント。お、遅くなってごめん」  照れを隠しながら渡されたのは重厚な紺色に金色のリボンがかかった綺麗な長方形の箱。受け取った翔太は揶揄いを含めて笑った。 「やっと渡してくれたな」 「タイミングがなかっただけで、ほんとは朝イチで渡そうと思ってたんだよ! ほんとに!」  顔を真っ赤にして焦りながら、タイミングを逃した、という予想通りの反応が返ってきて、さらに翔太は笑みを深くした。 「うん、わかってる。ありがとな」 「あれ、怒ってない」 「? 怒ってるって?」 (宇多……話盛ったな……!? 後で文句言ってやる!) 「いや、怒ってないんならよかった。とにかく、今年のはいいのが買えたって自信があるんだ。さ、早く開けてくれ」  仕切り直して由宇は催促した。封を開けるまで勿体ぶられる時間も焦ったく感じる。翔太の反応も気になって、ソワソワと落ち着かない。  箱の中には、すっきりとしたデザインの紺色の万年筆が入っていた。 「これ、万年筆か……」 「そう!」  目を瞬かせた翔太の反応に、由宇は得意げに頷き、 「翔太、字ぃ綺麗だから! よく知らないけど万年って言うぐらいだし長持ちするんだろ。今使わなくてもいつか使うかもしれないし……うん、そんな感じで選んだ。インクもカートリッジ式らしいし、その方が手入れとか少なくてすむかなって」 「曖昧だな」 「でもめっちゃいいだろ。デザインもかっこいいし」  自信満々だったのに曖昧な説明を加える由宇に顔を綻ばせながら、翔太は万年筆を箱から取り出した。シャーペンよりも少し重みがある。  由宇の方を見ると、『それで字を書いてみたい!』と分かりやすく顔に書いてあった。 「とりあえず書いてみるか」 「うん!」  さりげなく由宇をイスに座らせて、翔太は近くにあった適当なプリントを裏返して机に置いた。手元を覗き込む由宇は好奇心を隠しきれておらず、貰った本人よりもわくわくと字が書かれるのを待った。  するすると翔太の手によって書かれたのは"尾瀬由宇"の四文字。翔太は感心して万年筆を見つめた。 「すごいな。さらさらしてて書きやすい。万年筆ってこんな感じなのか」 「いや、なんで俺の名前なんだよ」 「なんとなく」 「なんとなく? まあいいけど。でも、やっぱ字めっちゃ綺麗だな。俺もちょっと書かせて!」  万年筆を受け取って、お返しにと、自分の名前の下に"名越翔太"の文字を綴る。慣れてないからか、少し掠れて歪だ。 「なかなか難しいな……全然上手く書けない。翔太はなんでこんな綺麗なんだ?」 「俺に合ってるのかも」 「ならいいや。よかった」  はい、と万年筆を手渡す。受け取った翔太は万年筆を明かりに透かしながら見つめ、真っすぐと由宇の瞳を見つめた。 「ありがとな、由宇。大事にする」  翔太のとびきりの柔らかな笑顔に、由宇は少し照れながらも毎年の文句を言ってやった。 「あのなあ、ほんとに毎年悩んでるんだぞ。来年こそは、欲しいもの決めておいてほしいけど!」 「どうかな」 「決める気ないだろ!」  むむ……と口を曲げる由宇に翔太は微笑み返した。  その時、リビングから香織のよく澄んだ声が部屋に届いた。 「二人ともー! ケーキ切るから降りておいで!」 「あっ、はーい!」  翔太よりも早く返事をした由宇は、「やった、ケーキだ」と子どもみたいに上機嫌でイスから立ち上がった。 「行こ、翔太!」 「ああ」  自分の誕生日なのかと思うほど嬉しそうに部屋を出ていく由宇の後を追いながら、翔太もつられて笑う。  部屋のドアを閉めながら、翔太は机の上に置かれた紺色の万年筆を愛おしそうに見つめた。 (俺の欲しいものは、来年も、それからもずっと、お前とこういう風に過ごせたら……それだけだよ、由宇) 【翔太の誕生日編 完】

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