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【番外】それぞれのバレンタイン①

 バレンタイン当日。甘くてほろ苦い雰囲気賑わう大学構内。そんな中、髙月玲依は焦っていた。 「髙月先輩! これ、受け取ってください!」 「ありがとう。でもごめん。俺、好きな人がいるから……」 「知っています。気持ちだけでも受け取ってほしくて……!」 「うん、用意してくれてありがとう」  先ほどからこの調子で、一歩進んでは女子からチョコを渡され、また一歩進んでは……の繰り返しで全く歩みを進められない状態。『髙月玲依には好きな人がいる』という噂が出回りこれでも少なくなった方だった。今まではもらうだけだった今年は玲依にも達成する目的がある。玲依は焦っていた。 (由宇のところに今日中に辿り着ける……!?)  2限に由宇が受ける講義室へ向かっていたのに、開始時刻はとっくに過ぎていた。  たくさんの渡されたチョコが入った大きい袋と、由宇のために作ったチョコレートケーキが入った袋を握りしめる。  由宇以外に心を寄せる気なんてないんだから、適当に流したておけばいいのだが、玲依はそうしない。一生懸命に作られたお菓子という存在を無視することはできない。それに、恋する気持ちを知ってしまった以上、たとえ相手が自分の顔目当てだとしても、適当にするのは失礼だと思っていた。 「玲依くん、奇遇だねぇ」 「音石! ……もすごい量だな」  振り向くと、七星が負けず劣らず大量のチョコが入った袋を持っていた。 「みんなの王子様は大変だね。由宇くんのとこに行けなくて困ってんだ」  七星は全てを見透かして、ふふ、と愉快そうに笑う。 「音石だってそうだろ!?」 「俺のは告白って感じじゃないしね」  そう言っているうちに、七星は数人の男女に取り囲まれた。 「音石くんの顔ファンです!これっ、貢ぎ物です!」 「応援してます!」 「音石くんっ、受け取ってくれ!」 「どうもありがとーね♡」  七星からのお礼の笑顔に、頬を染め、数人は満足そうに去っていった。一瞬のうちに七星の袋にはお菓子が増えた。 「ま、アイドル事務所に送るチョコに似てるかな? 中には本命もあるけど、俺はあんたほどご丁寧に断ってないから」 「バレンタインにもいろいろあるんだ……」 「これでしばらく暮らせるなあ」 「チョコ以外も食べないと体調崩すよ」 「余計なお世話。んじゃ、お先に」  玲依より少し前に進んだ七星はくるりと振り返り、両手でハートマークを作って、にやりと笑った。 「チョコと一緒に由宇くんもいただいちゃお♡」 「!? おい待っ……」  そしてまた玲依は女の子に呼び止められる。由宇のもとに向かって遠ざかっていく七星の後ろ姿を、焦りとともに眺めることしかできなかった。 *  時間は少し前に遡り、由宇の家。2限に間に合うよう準備をしていると、インターホンが鳴った。 「翔太! どした?」 「はよ、由宇」  玄関を開けると翔太が迎えに来ていた。  大学になってからは由宇が自力で起きれるようになりたいから、という理由で別々に通っているが、それでも翔太はこうしてたまに迎えに来ることがある。  翔太は手に持った紙袋を由宇に手渡した。 「これ母さんが由宇と宇多にって」 「まじで!」  翔太の母・香織のお手製フォンダンショコラだった。イベントごとが好きな香織は毎年、尾瀬兄弟にもチョコをくれる。 「香織さんのお菓子美味いんだよな。冷蔵庫に入れとく!ありがと!」 「どういたしまして」 「もうちょい準備かかるから、中入って! 外寒いし」 「そうする。お邪魔します」  2限の講義前。  由宇と翔太は講義室の定位置に座り、いつものように講義が始まるのを待っていた。  それでも今日はバレンタイン。同じ講義を受けている顔見知りの女子から男子に向けて、個包装の安価なチョコ菓子が配られたりもしていて、講義室内はチョコが飛び交っていた。  男子たちはなんだか浮足立ち、女子たちはそれぞれのグループ内の友チョコ交換で盛り上がっている。  その中から抜け出した、玲依の双子の妹である芽依は由宇の隣に座った。 「はい、尾瀬くんと名越くんにもどうぞ! 主に玲依がお世話になってるからね!」  渡されたのはかわいい水玉の袋に入った手作りのブラウニーだった。 「どうも」 「ありがとう芽依。あれ、芽依って料理苦手じゃなかったか?」 「毎年バレンタインだけは玲依に手伝ってもらってるんだ。玲依に毒見させてるから味はバッチリだよ!」  自信満々に親指を立てる芽依。由宇は、玲依の毎年の苦労に同情した。 「……そういや玲依は? あいつ人一倍張り切りそうだけど」 「尾瀬くんて、なんだかんだ玲依のこと考えてるよね……」  いつのまにか玲依に胃袋を掴まれている由宇は、バレンタインも張り切ったチョコを自分宛に作ってるんだろうと、無自覚に貰えることを前提としていた。 「玲依は今ごろ女の子たちに捕まってると思うよ」 「ああ……あいつ、すげーモテるもんな。小中高もすごかったのか?」 「それはもう、ね。下駄箱も机の上もびっしりだし、呼び出しもあるし、チョコ渡してほしいって私に頼まれたり。すごかったよ。でも玲依が食べ物捨てたくないからって毎年家族総出で食べてる」 「あいつらしいな」  そんな玲依が頭に浮かび、由宇は自然と笑みがこぼれていた。 「尾瀬くんはどうなの? そこそこ貰ってたんじゃないの?」 「そんなにだよ。ほとんど義理っぽかったし。ああでも、差出人不明の高級チョコが下駄箱に入ってたり、すんごい花束がロッカーに入ってたりしたことあったな」 「え……」  急に青ざめた芽依は、ガタンと立ち上がり、由宇の隣でスマホを操作している翔太の腕を掴んで由宇と距離を取った。芽依は小声ながらに叫んだ。 「ちょ、ちょっと名越くん!?」 「なんだ」 「それ絶対やばい人からでしょ! 大丈夫だったの!?」 「……シメた」 「わー、最強……」  確実に粘着質のやばい人からの愛の贈り物。何も気づいてない由宇に危機感を持ったが、由宇には最強のボディーガードがいた。芽依はほっと胸を撫でおろし、心の中で翔太に感謝を送った。 (尾瀬くんが今まで無事でいられてるの、名越くんのおかげだな……)  ちらりと由宇を見ると、前の席の男二人組からコンビニで購入したであろうチョコ菓子を貰っていた。この一瞬の間に。 「ほら由宇、オレらからのチョコだぞー」 「ありがたく受け取れ」 「いや、普通のコンビニチョコじゃん! でもこれ好きなやつだ。ありがと」 「どういたしまして……」 「いっぱい食えよ……」  素直に喜ぶ由宇はよしよしと頭を撫でられている。 「え、ちょっと目を離した隙にああなるの……!?」 「この日は特によく見張っとかないとな」  翔太は由宇の隣の席に戻り、前の席のやつらの背中を鋭く睨んだ。 *  講義が終了し、荷物をまとめていると、出口のほうがざわついている。  まあバレンタインだしな、告白とかそんな感じのイベントだろう……と由宇が他人事に思っていると、 「由宇ー! かわいい子がお前のこと待ってるぞー!」  まさかの自分の指名に、由宇は勢いよく顔を上げておおげさに反応してしまった。 「俺!?」 「おう、金髪のかわいい子!」  金髪……  すべてを察した由宇と翔太は、これから起こることが確定した面倒なイベントに頭を抱えた。 「由宇くん♡」  案の定、扉を出た先には七星が待ち構えていた。  その美麗な容姿に見合うだけのチョコを引っさげて。ついに持ちきれなくなったらしく、どこからか借りてきた台車に大量のチョコが入ったダンボールが積み上げられていた。講義室から出る人がみんな、七星の顔にもチョコの量にも驚いて去っていく。 「出待ちやめろ! すげー目立つだろ!」 「だって、絶対由宇くんに会いたかったんだもん!」  思いっきり睨みをきかせる翔太にも怯まず、七星は潤ませた瞳で上目遣いに由宇を見つめ、手を差し出した。 「チョコ、ちょうだい♡」 「え……ないけど」 「え?」  七星も由宇も真顔で数秒固まった。そして七星が引きつった声をあげた。 「ないの!?」 「ねーよ」 「なんで!?」 「なんでもなにも……そもそもバレンタインに何かをあげるっていう意識がないし」  七星はとんでもないショックを受けた。今まで大量のチョコをもらってきた。だから当然、由宇からももらえるものだと必然的に思ってしまっていた、それが誤算だった。  悲しくて寂しくて、思い上がってた自分が馬鹿みたいで、七星の目にはだんだんと涙がこみ上げてきた。 「うう……やだあ……由宇くんからチョコもらえるの、楽しみにしてたのに……」 「期待しすぎだ」  翔太からの辛辣なひとことが傷ついた七星をさらに貫いた。本当に図星だった。  下げた視線の先に、台車に積まれたチョコがあった。 「そうだ。このチョコ全部溶かして、由宇くんに塗りたくって、ぶっかけて……」  恐ろしい思考が漏れ聞こえ、由宇に寒気が走る。 「それを全部舐めたら由宇くんがチョコになる……?」  七星の思考はショックで暴走していた。  顔を上げ、舐めとるような目つきで由宇を見つめる。 「チョコがもらえないんだったら、由宇くんをチョコにして食べればいいんだ。そうしよう!」 「何言ってんだ!?」 「さ、由宇くん……一緒にいこ……♡」  七星が由宇に抱きつこうとした瞬間、「ビシッッ!」と鈍い音が廊下に響いた。翔太の素早いデコピンが七星の額に繰り出された。 「っだあ!!!!」 「いい加減にしろ、音石。諦めろ」  由宇は、早すぎて見えなかったデコピンに引き気味に驚きつつ、額を両手で押さえて動きを止めた七星に安堵した。 「行こう、由宇」 「うん」  翔太の背中を追いながら、チラッと七星を振り返ると、しゃがみこんで縋るように涙を滲ませていた。その姿がものすごく気の毒になり…… 「七星、お前も来い」  と、手招きした。  七星は大きな目をさらに広げる。「うん」と小さく返事をして涙をぬぐい、由宇の言葉に従った。  廊下を進み、校舎を出て、構内を歩き、由宇はどこかへ向かっている。そのあとを翔太と七星がついていく。七星の転がす台車はコンクリートの地面を転がされ、そこそこ大きな音を立てていた。通行人は何事かとちらちらと横目で見ている。  少し歩き、由宇が足を止めたのは食堂と購買が一緒になった校舎だった。 「待ってろ」  そう言われた七星がこくんと頷くと、由宇は購買に向かった。  数分後、戻ってきた由宇の手には小さなナイロン袋があった。 「はい。バレンタイン」  それを七星の手のひらにのせた。七星は由宇とナイロン袋を見比べて、袋を覗き込む。市販のおにぎりとサンドイッチが入っていた。 「これ、くれるの?」 「それだけチョコもらってたら菓子はいいだろ。それに、お前そればっかり食べそうだし。ちゃんと飯食べろ」  しょんぼりしていた七星の表情は見違えるほど明るくなった。  俺のために買ってきてくれた。俺のことを考えてくれた。それだけで今の七星には十分だった。にっこりとご機嫌に笑って由宇に飛びついた。 「わっ……!」 「えへへ、今日はこれで我慢してあげる!」  翔太に邪魔される前に素早く由宇から離れ、 「ばいばーい!」  元気よく、台車を押して去っていった。  翔太は七星のすばしっこさに腹を立てながら、由宇を見やる。 「……あれでよかったのか?」 「何かあげるまでたぶんあの調子だろうしな。これで今日のところは大人しくしてるだろ」  由宇と翔太には疲労感だけが残された。

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