100 / 142
乱入者
「音石七星ぇ!」
「うるさっ……どいつもこいつもタイミング悪いなあ」
すごい勢いで部屋に入ってきたのは、黒縁メガネの頑固そうな男。その男は七星を見るなり近づいて思いきり指をさした。
「僕がななちゃんを見つけて長谷川教授に報告したかったのに、また君の手柄になってしまったじゃないか!」
「あーもー……どうもこうも、俺じゃないよ。見つけたのはリリィと、俺の恋人の由宇くん♡」
見せつけるように抱きついてくる七星を押しのける。
「恋人じゃねーって! あ、すみません、絶対違うので気にしないでくださ……」
「……こい、びと」
み、見るからにめちゃくちゃショックを受けている!!
「えと七星、この人は?」
「理学部二年のメガネくん」
「いやメガネが名前じゃないだろ」
こっそり七星に話しかけたのに、七星はいたって普通のトーンで話す。メガネの男はずれたメガネと背筋を正した。
「すまない、取り乱した。僕は理学部生物コース二年、名前は目黒雅也 。メガネが名前ではない」
差し出された手を握り返す。
「だよな。俺は文学部二年の尾瀬由宇。何度でも言うけど、七星の恋人じゃないから」
「そうか、それは安心した」
大いに不満そうな七星が、間に割って入ってきた。
「勝手に安心すんな、てか由宇くんに触るな! 由宇くんもひどいよ! 10年間離れ離れだった愛する二人が運命的に再会!そこから再び愛を育んで……ぐらい言ってくれないと♡」
「んなわけないだろ!?」
目黒は俺と七星を見比べながら、訝しげに首を捻る。
「なにか……君たちの間で大きな齟齬があるのだが……結論、音石七星の片想いということであっているか?」
「そう、そういうこと!」
物分かりいい人で助かった……!
あらぬ誤解を生まずに済んだ。ひと安心すると、七星は不機嫌そうに舌打ちをした。
「チッ……うまく丸め込んで、『俺と由宇くんが付き合ってる』って、大っぴらに噂を広めてもらおうと思ったのに……」
「音石七星、君は本当に性格が悪い。その性格でなければ……」
「なければ、好きになってたって? それもう俺のこと好きでしょ」
「好きじゃない!!」
目黒は顔を真っ赤にして声を張り上げた。これは……わかりやすいな……
「まあ、どっちでもいいけど。俺は由宇くんしか興味ないから」
「そういうところが性格の悪さを表している」
「ハイハイ、素直になればいいのに。俺のこといっつも見てるし、絡んでくるし。そういうことでしょ? メガネくん、見るからにムッツリそうだもん」
「断じてない! 僕が好きなのは君の顔だ!」
言い切った目黒は「しまった!」と口を塞いだ。
「ほらね」
「すごくわかりやすい……」
目黒はまだ頬が赤い中、ゴホンと咳払いをした。
「そんなことよりも音石七星、僕は君に聞きたいことがある。数日前、君にベタベタと触っていた茶色の髪の男は誰だ?」
「もしかしてそれずっと気にしてたの? あはは、俺のこと好きすぎでしょ。あの人はただの従者だって」
「それ以外の情報がほしいんだ!」
七星、教える気ないな。目黒が気の毒になってきた。
「それ伊田先輩のことだろ。七星、ちゃんと教えてやれよ」
「むー……由宇くんに言われたら……仕方ないなあ」
「音石七星を一瞬でたしなめるとは……」
「好きな人に言われたら仕方ないってなっちゃうんだよねえ。名前は伊田……下の名前知らないや。調理科の三年生。俺の顔に一目惚れして、告白もされたけど断って、代わりに実験のお手伝いしてもらってるってわけ。以上」
「ふむ……」
「満足した?」
顎に手を当てて熟考した目黒は大きく頷く。
「つまり、あの男とは特別な関係ではないということだな。安心した」
「俺は由宇くん一筋だからね」
そこドヤ顔で答えられても反応に困るな……
「恋愛面は本当に一途なんだな」
「そ。メガネくんの恋が叶う可能性は1ミリもないから、ごめんね♡」
また引っ付いてくる七星を振り払う。
「七星……お前基本的に煽り口調なのやめろって。カフェのときにも言ったろ。目黒が悪いやつには見えないけど、逆上してくるやつもいるんだから気をつけないと……」
七星の目がきらきらと輝きだす。嬉しそうにしていたななちゃんと似たガラス玉のような瞳。
「由宇くんっ……!好きぃ!♡」
「君はすごいな。音石七星を心配しつつ僕にもフォローを入れるなんて……」
「や、そんな大したことないって……」
妙に真剣にまじまじと見つめられて、はは、と愛想笑いを返すと七星が思いっきり目黒を睨みつけた。
「由宇くんと会話するぐらいなら仕方なく許してやるけど、手ぇ出したら許さないから。メガネくんは黙って俺の顔眺めとけばいいんだよ」
「言ったそばから!」
「だから……っ君のそういうところが嫌いなんだ!」
*
後日。講義が終わってすぐ、スマホが振動した。長谷川教授からの電話だった。ななちゃんの一件のあと、七星づてに教授の連絡先を聞いていた。研究室に来たいときは、あらかじめ連絡をくれたら準備しておくから、とのことだったのだが……
電話に出ると、教授の焦りの声がいちばんに飛んできた。
「あっ、もしもし、尾瀬くんかい!? ななちゃんが暴れて大変なんだ!」
「暴れてる!?」
「このあと予定が空いてたら、すぐに来てほしい! 空いてなければ、近いうちにでも……でないと、ななちゃんが……っ!」
教授のこの焦りよう……ななちゃん、大丈夫か!? 何があったんだ!?
「わかりました! ちょうど次空きコマなんで、すぐに行きます!」
「尾瀬くん! 来てくれてありがとう!」
「いえ全然です。それで、ななちゃんは……!?」
「こっちだ」と、前と同じように案内され、飼育部屋のななちゃんのケージの方へ真っ直ぐ向かう。ななちゃんは、必死の形相でケージを噛みちぎろうとしていた。
「こんな感じで……おそらく尾瀬くんに会いたくて、脱出しようとしていると思うんだ」
「ええ!?」
「声をかけてみてくれ」
頷き、しゃがんでななちゃんの目線に合わせる。
「ななちゃん、こんにちは。遊びに来たぞ」
すると、ななちゃんは噛むのをやめてこちらをじっと見つめた。そしてその場でぴょんぴょん跳ねた。嬉しいのかな?
「ね、尾瀬くんを見たら噛むのをやめた。やっぱり君に会いたかったんだ」
「ななちゃん……!」
一回会っただけなのに、こんなに懐いてくれるなんて……めちゃくちゃかわいい!
「教授、ななちゃんを抱っこしてもいいですか?」
「ぜひそうしてやってくれ」
ケージを開けると、ななちゃんは飛び出してきて、俺の膝の上に乗っかった。抱っこするとふわふわであったかい……!
「よしよし、お前かわいいなあ」
「ななちゃん、尾瀬くんに会いたいのはわかったが、ケージを噛み切らないでくれ。危ないからね」
「そうだぞ。ケージから出たら危ないもんがいっぱいある。俺また来るから、待っててくれ」
ななちゃんは鼻をヒクヒクと動かし、俺の首もとあたりにすりすりしてくれた。教授がにっこりと微笑む。
「それはうさぎが好きな人に行う行動だ。ななちゃんもわかってくれたみたいだね」
「ななちゃん……」
よしよしと撫でていると、扉が音を立てて開いた。なんかデジャヴだと思っていると、扉から顔を出したのはやはり、目黒だった。
「長谷川教授! 本日もお手伝いに参りました……あ、君は」
「目黒」
「二人は知り合いかね?」
「この前もここで会いまして」
教授に返事をする間に、目黒は俺の隣に立った。
「はい、ななちゃんが脱走したその日です」
「そうかそうか。かわいらしい動物たちが人を繋げる縁になってくれて嬉しいよ。そうだ尾瀬くん、ちょうどお茶菓子を買っているから、食べていくといい。目黒くんも一緒に」
ほんとにいいのかな、と悩んでいると、目黒が名乗りをあげた。
「ぜひ! 尾瀬、僕は君と話したかったんだ。さあ行こうじゃないか」
「え、ちょっ……待って、ななちゃんを戻さないと」
目黒に引っ張られてバランスを崩しそうになったが、なんとか耐えた。抱いたままのななちゃんをケージに戻そうとしたが、パーカーのフードに軽く噛み付いていて離れない。離そうと引っ張っても、胴体がみよんと伸びるだけだ。
「ななちゃん!?」
「懐きすぎではないか!?」
「ははは、もう少し尾瀬くんに甘えたいんだね、ななちゃん」
こっちが引っ張るのをやめると、ななちゃんはパーカーに噛み付くのをやめて、また腕の中で大人しくなった。
「ななちゃんも一緒に行こう。あ、人間の食べ物を食べないようには注意してくれ」
「わかりました。行こ、ななちゃん」
ともだちにシェアしよう!