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不明瞭なもの

 教授の研究室に戻り、部屋の真ん中の大きいテーブルにつく。教授と目黒がテキパキとお菓子とお茶を目の前に並べてくれる。ななちゃんが膝の上から離れないので何をすることもできず、テーブルの上はあっという間に準備が整えられた。 「さ、どうぞ」 「すご!美味しそう! ほんとにいただいていいんですか?」  教授の趣味なのか、並んだお菓子は見るからに高級そうな饅頭やどらやき、煎餅などの和菓子と、いい香りの緑茶だった。教授は柔らかく微笑む。 「もちろん。お礼なんだから、食べてくれないと悲しいよ」 「あはは……じゃあ、いただきます」  目の前の白い饅頭をひとつ頬張った。表面はしっとりしていて、あんこも上品な甘さ。普通にスーパーで買えるようなものとは大違いだ。 「! めっちゃ美味いです!」 「それはよかった。私のお気に入りの和菓子屋なんだ」 「君はすごく美味しそうに食べるな……!」 「それよく言われるんだ。自分ではわかんないけど」  なるほど、と目黒と教授は納得しながら、饅頭を口に入れた。 「うむ、やはりいつ食べても美味しいな。しかし若い子には洋菓子の方がよかったかな」 「いえ!和菓子も洋菓子も大好きです! 最近は知り合いの作るケーキばっかり食べてたし、久しぶりに餡子食べました」  玲依がこのこと知ったらとんでもなく嫉妬しそうだな。顔赤くしながら『和菓子に浮気しないで!』とか言いそうだ。や、でも玲依なら和菓子も作れるのかな。今度聞いてみるか……って、だめだだめだ。また玲依のこと考えてる…… 「そんなにもケーキを食べているのか?」 「知り合いが調理科で、よく作ったもんくれるんだ。そいつの作るケーキ、いくら食べても飽きないくらいすげえ美味いんだよなあ。あ、学内カフェのケーキ、ほとんどそいつの考えたレシピで作ってるので、教授と目黒にも食べてもらいたいな。俺も最近そこでバイト始めたし」  教授がへえ、と頷く。 「そうなのか。それならぜひお邪魔させていただきたいな」 「ぜひ!」 「……尾瀬はよっぽど好きなんだな」  好き!?  感心している目黒の言葉に、口に含んだお茶を吹き出しそうになり、慌てて飲み込む。 「っ 好きとは言ってないけど!? 別に俺は玲依のことなんて……! 「れい? いや、僕が言ったのはケーキのことだが」 「あ……ケーキ、そうケーキ!な!」  はっず……早とちりして勝手に熱くなっていた頬をパタパタと手で仰ぐ。  教授は俺の心境がわかったのか、にこにこと微笑んでいる。さらに恥ずかしくて、誤魔化すために膝の上のななちゃんを撫でた。それを目黒はじっと見つめてきた。 「本当によく懐いているな……僕には全くの無関心なのに」 「そうなのか?」 「目黒くんはよく頑張っているよ。自分で卑下してはもったいない。最初から嫌われる人もいるが、目黒くんは嫌われるタイプではない。信頼関係を築くことで、きっと仲良くなれるよ」 「そう、ですか……! やはり長谷川教授は偉大だ……僕、頑張ります!」  目黒は、微笑む長谷川教授に熱い眼差しを注ぐ。その後、俺とななちゃんを見比べ、重いため息をついた。 「しかしそうは言っても君は音石七星にも懐かれているし、やはり君のことを羨ましく思ってしまうな」 「……懐かれてるとは違うような……あのさ、ちょっと気になるんだけど、目黒と七星はどんな感じで出会ったんだ?」  目黒は目を伏せ、重々しく振り返り始めた。 「あれは……半年ほど前のことだ。僕はいつも通り、長谷川教授に質問をしようとこの研究室に訪れた。そこにいたのは、黒猫を抱いた、この世でいちばん美しいと言っても過言ではない顔を持つ音石七星だった」 「確かに髪とか目とか、見た目だけは綺麗だからな……」 「そうだね。音石くんは驚くほど美形だよね。シロちゃんがあれだけ懐くなんて見たことないから」  シロちゃんって、メンクイって七星が言ってた白ヘビか。教授はシロちゃんで美形を見分けているのか……? 「一目で心臓が今までにないほど鳴った。これが一目惚れかと思った。だが……」 『見たことない人だ。どうもこんにちは。長谷川教授の研究室っていっぱい人が来るねぇ』 『声……も綺麗だが、男……!? 君!名前は』 『俺は音石七星。正真正銘、男だよ』 『男でも……』 『あらら、惚れちゃった? でもごめんね。俺には心に決めた人がいるから、諦めて?』 「そう言って笑った。あいつは悪魔だ。人を弄んで楽しんでいる。なのに、僕よりも成績がいいから尚更腹が立つ」 「あー……」 「でも、君の前では音石七星の雰囲気がまるで違う。本気で君を好きなことが伝わってくる」  すげえ複雑だ……どう反応すべきか……  と、目を逸らしながらやり過ごしていると、目黒から質問された。 「君と音石七星はどうなんだ?」 「うーん、小四のときに同じクラスで隣の席だった。あいつ昔から面倒な性格してて、俺がどれだけ嫌がっても、捕まえた虫を容赦なく投げてきてさ……子どもっぽい嫌がらせばっかりされてたから、気づいたら七星のこと嫌いになってた。で、小四の終わりに七星が転校してそれっきりだったけど、最近同じ大学だったのがわかって……今に至る」  大まかに過程を話すと、目黒は同情して顔をしかめた。 「災難だったな……」 「うん……すっげえ振り回されてるよ。あ、でもななちゃんと会えたし、ここの研究室に来れたのはよかったって思います!」  ななちゃんは自分のことか!と耳をピクリと動かして見つめてくるので、撫で返してやる。教授はにこりと微笑んだ。 「それはよかった。音石くん、ちょっと不器用で不安定なところがあるからね。昔は曲がった形でないと想いをぶつけられなかったんだろう」 「そういうもんですかね……七星は態度がコロコロ変わるから、ほんとによくわからなくて」  他人の気持ちなんてわかるわけがないんだけど。お茶をすすった目黒は深く頷く。 「人間の気持ちは数式でどうこうなるものじゃないからな。僕にもよくわからない。音石七星のことは憎たらしく思うのに、放っておけないというか、何か危なっかしいものを感じる。あいつを前にすると冷静でいられない」 「……」  それはやっぱり恋なのでは……? 「音石七星は合理的で利己主義だ。自分の損得で動く。いつも一歩引いて冷めたように事を対処しているように思っていたが、最近どうも感情的になってるのは君が影響していたんだな」 「よく見てるんだな、七星のこと」 「顔は、な。目の保養は必要だしな」  顔を見てる自覚はあるのか…… 「なるほど。尾瀬くんに久しぶりに会ったぶん、抑えがきかないのかもしれないね。自分の感情に振り回されて、音石くん自身もよくわからなくなってるのかな?」  目黒も教授も七星のこと、よく見てる。 「俺、七星のことなんにも知らないな……」  避けて拒否るのが精一杯で、七星のこと全く見てなかった。知ろうともしなかった。 「私は動物を観察して日々過ごしているからね。人間観察もついしてしまうんだ。それだけ。目黒くんはずっと音石くんを見ているからだしね……尾瀬くんが落ち込む必要はない。君が音石くんのことを知りたいなら、これから知っていけばいい」 「これから……でも俺、七星と付き合う気なんて……」 「音石七星が負け戦をしているなんて、天地がひっくり返りそうだな。……あ、僕はそろそろ講義の準備に行かなければ。教授、ご馳走様でした」 「いえいえ」  腕時計を確認した目黒はメガネをかけ直し、立ち上がる。テキパキと自分の周りと俺と教授の茶菓子のゴミも片付けてドアの前でペコリと礼をした。 「尾瀬、君と話せてよかった。また会おう」 「うん、俺も楽しかった。またな」 「音石七星がどうにもならなくなったときはよろしく頼むよ。あいつは君の言うことしか素直に聞かないようだから」 「あー……うん、そこそこに……」  言い淀んでしまったが、目黒はフッと笑い「失礼します」ともう一度礼をして研究室を後にした。 「ははは、若いね。青春だ」 「す、すみません。さっきから個人的な話ばっかりで……」 「他者が他者を思いやる。素敵なことじゃないか。これはすなわち恋バナというやつだろう? 年柄にもなくウキウキしてしまうね。また私にも話を聞かせてくれ」 「……教授、おもしろがってます?」 「嫌だな、そんなことはないよ」  その声は浮き足立っていた。絶対おもしろがられてる。でも教授は物腰柔らかくて話しやすいし親身になってくれる。  ……人を頼るのは苦手だけど、また相談できたらいいな。ななちゃんとも会えるし。

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