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香水の男②
両側の二人は困ったように、七星とスマホを見比べる。
「は?」
「どういうことだ?」
「由宇くんが俺の誘いをこんなに丁寧に断ってくるわけない。いつもは『嫌だ』とかスタンプだけとかなのに……これ、誰かがなりすまして送ってきてるに違いない」
判断基準はそこでいいのか。井ノ原と志倉が同情する中、七星は眉をひそめて話を続ける。
「いかにも今この瞬間に由宇くんが打ったように見せかけた文章。誰かが撹乱のためにこのメッセージを打ったんだろうね。つまり、由宇くんは今スマホを触れる状況じゃない。その一緒にいたってやつに捕まってるってこと」
まるで探偵のような推理だが、憶測にすぎない。捕まるなんて大げさな話なのに、七星の真剣な表情がそれに真実味を持たせていく。井ノ原と志倉にもだんだんと心配が胸に広がっていく。
「玲依くんと翔太くんにも似たようなメッセージが送られてるはず。今日これからある由宇くんの予定を潰すために。家に返す気がないなら、家族には"友達の家に泊まる"とでも言っておけばいい」
「でも大学内だぞ。そんな事件めいたこと……」
「俺は前に由宇くんを閉じ込めたことがある。入念に計画立てて、やろうと思えばできるんだよ」
「えっ、こわっ」
二人が引き気味に後ずさるのを一瞥し、七星はえらそうに息を吐く。
「由宇くんが人から好かれやすいのは知ってるでしょ。中でも、由宇くんに執着するのはネジ外れたやつらばっかりなんだよ」
「説得力あるなあ」
「俺を見ながら言うな。とにかく、他に思い出せることはない!?」
二人は再び考え込む。
すると、井ノ原がパンッと手を叩いた。
「あっ、香水! 変わったバニラっぽい匂いがした! 尾瀬は香水つけてないから、その人のだろ!」
「香、水……!」
あの時……長谷川教授の研究室に翔太くんを案内した時……香水の話をした。あのくそ甘ったるい匂い……あいつか。
「おっけー、目星はついた。ありがとね」
七星はひらりと手を振り、その場を後にする。井ノ原がその背中を呼び止めた。
「おい、仮に尾瀬が捕まってるとして、そんな危ないところにひとりで乗り込む気か?」
「俺ならどうとでもなる」
「相手が複数かもしれないだろ。なるべく対抗できる人数を増やした方がいい。名越めっちゃ強いだろ。連絡先聞いときゃよかったな……俺は名越を探すから、志倉は髙月に連絡とってくれ」
「了解」
「放っておいてよ!」
怒号とともに振り返った七星の瞳は潤んでいた。
「助けなんかいらない。俺がひとりで助けて、俺だけ好感度あげるの。玲依くんも翔太くんも呼ばないで」
「んなこと言ってる場合じゃ……」
「そうでもしないと……俺は……!」
(玲依くんに負けるだろ……っ)
「ダメだ、音石くん!」
走り出そうとした七星の手を取ったのは伊田だった。
「従者くん……なに、話聞いてたの? 盗み聞きなんて趣味悪いよ、それともストーカー?」
「盗み聞きしてたのは謝る。ストーカーと言われてもいい。でもひとりで行こうとする君を放っておけない」
「そういうのいらないって言っただろ!」
掴まれた手を振り解こうとしても、伊田は決して離さなかった。
「いらないって言われても、僕は君を助けたい。好きな人が危険な目にあうなんて嫌だ。君だってそうだから、無理してまで尾瀬を助けようとしているんだろ」
「……っ!」
「君は何でもできるから、尾瀬を助けることも容易いだろう。でも、もし何かあったら、尾瀬は自分のせいで音石くんが傷ついたって、ショックを受けると思う」
七星は俯き、小さい声で答えた。
「そんなわけない。俺、嫌われてるから。俺のことなんて由宇くんはどうでも……」
「お前が知ってる尾瀬は、そんなやつじゃねえだろ」
井ノ原の声に顔をあげる。隣で志倉も大きく頷いている。
(……カフェでバイトしてた時、俺が殴られそうになって、由宇くんは心配して怒ってくれた。無理して突っ込んでいくなって言ってくれた。そうだよ、由宇くんは嫌いな相手だとしても、傷ついたり困ったりしてるの、放っておけないんだ)
「うん……由宇くんは、俺のこと心配してくれてた……」
「だろ。ひとりで無鉄砲に突っ込むべきじゃないと俺は思う」
心配されるのは嬉しい。そのときだけでも俺のことを考えてくれる。だけど、庇護欲だけじゃ好きになってもらえない。
「……悔しいけど、あんたらの言う通りだ」
七星は手を振り払うのをやめた。伊田は顔色をパッと明るく七星を見つめた。
俺だって由宇くんを守れるって、証明してやる。
「! じゃあ!」
「冷静じゃなくなってたな、俺らしくない。あんたら、俺に協力してくれるんだね?」
「ぜひ協力させてほしい!」
「おう!」
「やってやる」
「作戦は考えた。全員俺の指示に従って。相手は由宇くんを襲う気で捕まえてる。急ぐよ」
三人は真っ直ぐ七星を見つめ、同時に頷く。
「まず、この中でいちばん力あるの、だれ」
三人は互いに顔を見合わす。
「まあ、オレかな」と志倉が手をあげた。
「じゃあ厨房のおにーさんは俺と来て。俺じゃ力足りない場面があるかもだから」
「了解。ケンカはそんなに強くないけどな」
「ちょ!」
伊田が抗議の声を上げた。七星は鬱陶しそうに睨む。
「僕も音石くんを守れるよ!」
「んな細っちい手足で何が守るだ。あんたはド○キに買い物行ってきて」
「そんなあ……」
「つべこべ言うな。怪我されたら責任取れないだろ」
ぶっきらぼうな言い方だが、七星なりに巻き込んだことを申し訳なく思っているのかもしれない。それが伝わった伊田は大きく頷いた。
「行きます!買い物! ……口は悪いけど僕の心配までしてくれてるんだね。君に出会えて本当に僕はしあわ」
伊田の語りをガン無視し、七星は井ノ原の方を向いた。
「おにーさんには玲依くんと翔太くんを俺の指示するところまで連れてきてほしい。二人とも講義中だから、終わり次第捕まえて。こっちには状況を細かく連絡して」
「任せろ」
「個別に連絡は面倒だな。従者くん、メッセージのグループ作って」
「はい!」
「全員そこに近況を連絡して。それじゃあ、絶対由宇くん助けるよ!」
「ほんじゃ、いっちょ気合い入れるか!」
井ノ原は手を真ん中に伸ばす。
「ほんとこれ好きだな」と志倉が手を重ね、「あれですか」と伊田も重ねる。調理科では恒例となっている気合い入れだ。カフェでバイトをした時に自分もやったことを七星は思い出す。
「お人好しに頼るのも……まあ、悪くないか」
七星が最後に手を重ねる。
井ノ原の掛け声と、後に続くのは四人揃った「おー!」の声。
「策士的な執着ストーカー野郎め。頭脳戦なら、受けて立つ。俺を出し抜こうとしたこと、地獄の底まで後悔させてやる……!」
「顔、おそろし……」
「志倉、その"厨房のおにーさん"って呼び方について、後で詳しく」
「と、とばっちりだ……」
井ノ原が悪魔の笑みにゾッとする中、伊田からの明らかな殺意を感じとった志倉も背筋を凍らせた。
少々歪な形だが、こうして由宇奪還作戦は幕を開けた。
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