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囚われの猫
「んん……」
あれ、俺寝てたのか……?
目が覚めると、見覚えのない天井。そしてふわふわのベッドの上だった。かけてある布団まで上等そうな羽毛布団。
どこだっけ、ここ……と、記憶をたどる。
(確か、三谷さんの研究室に行って、話して、勉強してたら眠くなって……三谷さんがやばいことを言ってて……!?)
ガバッと起き上がると、頭が物理的に重かった。視界の端に、長い髪が垂れ下がっている。俺の髪長くなって……いや、ウィッグ!?
それと同時に着ている服に違和感を感じた。嫌な予感に、おそるおそる布団の中を覗く。黒いワンピースに白いフリルのエプロン、黒のニーハイ……これメイド服!?
「んえ!?」
慌ててベッドから降りると、示し合わせたみたいに目の前に全身鏡があった。
「!? え、は、なにこれ!?」
そこに映ったのは、自分とは思えない姿。黒髪ハーフアップツインテールの膝丈メイド服。黒の猫耳としっぽまでついている。おまけに、首元には鈴のついた首輪。首輪から伸びた鎖が開いた扉の方に伸びている。靴は黒のリボンがついたヒールしか用意されていない。これ履くしかねえじゃん。
俺の服、どこ……!?
部屋を見渡しても、俺の服はない。部屋の半分くらい埋まるでっかいベッドと鏡だけ。ほんとにどこだよ、ここ。
訳の分からない現状に、ただ呆然と立ちつくしていると、扉の方からシャッター音が聞こえた。反射的にそちらを向くと、三谷さんが温和な笑顔でスマホを構えていた。その笑顔が、ものすごく怖い。
「最高の眺めだよ、尾瀬くん。とてもよく似合ってる。君は本当に可愛いね」
「三谷さん……どういうことですか、この格好! めちゃくちゃ恥ずかしいんですが!」
「ふふ、真っ赤。可愛い」
またパシャ、とシャッターが切られる。
「撮らないでください!俺の服返して!」
「君のためにいいベッドを買ったんだ。気持ちよさそうに眠っていたね。寝心地はよかったかな?」
「それはもうふわふわで……じゃなくて! 俺のためって!?」
「今日からここで君を飼うから」
「は」
かう、飼う!? 意味わかんねえし話通じてねえ。
「じょ、冗談ですよね?」
「ふふ。困ってる顔も可愛い」
話通じてねえ!
「僕ね、可愛い子にこうやって可愛い服を着せて、身体の隅から隅まで可愛がってあげたかったんだよね。尾瀬くんは本当に理想通りなんだ」
三谷さんは俺についている鎖を持ち上げ、微笑みながら少しずつ近づいてくる。後ずさりしても、この部屋はあまり広くない。すぐに壁に背がついた。
「日が経たないうちに捕らえられてよかった。長谷川教授の研究室の時がチャンスだと思ったのに、あの黒猫ちゃんにうまく邪魔されたからね」
「っ……リリィのことですか」
「あの時、黒猫は君のことを守っていた。おそらく、僕が君に触れたら引っ掻いて噛み付いてきただろう。だから手を出せなかった。飼い主の音石七星に似て賢いってのは本当だったんだね」
全部、知ってるんだ。リリィのことも七星のことも。リリィは三谷さんのことを嫌っていたんじゃない。危険だから、近づかなかったんだ。
最初から、誘導して誘い込まれていたんだ。三谷さんがやばい人だって早く気づいていれば……
どうにかして、ここから出ないと。
「それじゃあ何して遊ぶ? 尾瀬くんの好きなゲームを用意したよ。僕もよくやるし、対戦でもしようか」
「あの、とにかく俺の服返してください。飼われる気なんてないです。それに、これから講義だってあるし……」
あれ、スマホもないし、窓もないから時間がわからない。今何時だ!?
「今は17時。もう講義は終わっちゃうね」
焦った俺の考えを見透かしたように、目の前に迫った三谷さんは笑って答えた。
「尾瀬くんのスマホから、『今日は休む』って名越翔太にメッセージ送っておいたから。怪しまれることはないよ。それに尾瀬くんは真面目だから、この講義は一度も休んでないし、一回ぐらい大丈夫だよね?」
なんでそんなことまで知っているんだ……!?
こっちが顔を引き攣らせていても、三谷さんは笑顔のまま話を続ける。
「髙月玲依と音石七星には『用があるから今日は会えない』家族には『友達の家に泊まる』ってメッセージを送っておいたから……少なく見積もっても丸一日助けは来ない。一日あれば君を堕とすことなんて容易い。快楽漬けにして、必ず僕の元に帰ってくるよう調教してあげる」
「……っ!?」
「尾瀬くんは一生僕と暮らすんだよ。僕専属のメイド猫ちゃんとして……ね」
首輪の鈴をちりん、と鳴らされる。メイド猫ってなんだそれ。意味わかんねえ。恐ろしすぎて言葉が出てこない。
詰まった喉を開いて、どうにか声を絞り出した。
「いや、です!」
「ふふ、まあ最初はそうだよね。だから緊張を解すためにゲームする?って提案したんだけど……先にベッドでにゃんにゃんする方がいいかな?」
「っ!」
「気持ちよくしてあげるから、こっちへおいで、猫ちゃん」
三谷さんはベッドに腰掛け、俺の首輪に繋がった鎖をぐっと引っ張るが、足を踏ん張って抗った。
「嫌って言ってるじゃないですか! てか、玲依が……あいつらは絶対俺のこと探すはず!」
「へえ、随分と信じてるんだね?」
「信じて……」
「君、人間不信ってほどでもないけど、人を信じるのとか頼るの苦手なんだよね?」
他人のこと、信じれなかったのに。頼りたくなかったのに。何故か心の底では、あいつらは俺がピンチの時、絶対に俺を見つけるんだろうって思っていた。
「君が思う面倒な感情……あの三人の恋心から、守ってあげるよ。僕と一緒にいるだけ、君は何も考えなくていいんだ。それってとっても楽なことじゃない?」
「楽……」
そうだ。俺は楽な方を向いて生きてきた。人の感情と向き合いたくなくて、深く関わらないようにうわべだけ取り繕って……
でも、猫を被らずに玲依と話すようになって……なんだかんだ楽しいって思ってた。あいつは俺がどれだけ突き放しても、絶対離れたり諦めたりしない。だから、少しは信じてもいいかもって思えることができてる。
俺は変わりたい。バイト始めたのも、翔太が俺のことずっと見ていてくれてるって気づいたのも、七星のこと知らないとって思ったのも、全部……俺が変われている証拠だ。
「すみません、やっぱり嫌です。玲依や七星のことが好きかはまだわからないけど、あいつらのところに戻りたい。あいつらの気持ちを蔑ろにしたまま、三谷さんに飼われるのは嫌です」
「ふうん……」
それでも三谷さんはにこにこと探るように目線をしっかり合わせてくる。ここで逸らしたら負けだ。
「ごめんね。そう言われても逃がしてあげる気は毛頭ないんだよね」
さらに首輪を引っ張られる。こっちだって諦めない。絶対ここから逃げ出してやる。
俺は三谷さんの手のひらをベシンとはたき、肩を力強く押した。鎖を握られていた手が離れた隙に、ベッドのある小部屋から出る。そこは元いた研究室だ。鎖の位置は……テレビの横の壁に取り付けられている。ペンチでもないと外せそうにない。この首輪の鍵を見つけないと。
手近な棚を開けようとすると、小部屋のドアから三谷さんが顔を出した。妙に興奮して息を荒げている。
「ふふ……鬼ごっこだね。こうやってじりじりと追い詰めていく背徳感、たまらない……」
こわいこわいこわい!!どこに興奮してんだこの人!!早く逃げないと!!
「さ、ベッドに戻ろうね」
「ひぃ、やだっ……!」
急いでドアのほうに向かう。鎖の距離はそこまでだ。手を伸ばすとギリギリ、ドアノブに届く。まるでホラー映画のように、じとりじとり、三谷さんの気配が近づいてくる。俺は必死にドアノブにしがみついた。三谷さんが呆れて嫌になるまで抵抗して時間稼ぎしてやる!
そのとき、扉の向こうでガチャガチャと小さく音が鳴った。鍵を開けているような音が……
不思議に思い、その音を聞いていると、ぐるんとノブが回り開いたドアに弾かれて尻餅をついた。
「はーい、お邪魔しまーす」
「ななせ!?」「は!?」
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