109 / 142

兎は奪い返す

 にこにこと部屋に入ってきたのは七星だった。金髪の綺麗な髪をきらめかせて、いつもの余裕ぶった調子で。俺と三谷さんは同時に声を上げた。七星は俺を見るなり飛びついて抱きしめてきた。 「わあ、メイドさんしてるの?由宇くん♡ 俺にご奉仕してくれるのかなあ?」 「しない!」 「猫耳にしっぽまで。かんわいい♡」  どうしてこの状況を見て、調子を崩さないんだ。   俺の上に乗っかっていた七星は立ち上がり、手を差し出した。 「転ばせちゃってごめんね」  反射的にその手を取り立ち上がる。 「ああ、いや……って、よくここがわかったな!?」 「由宇くんのことならなんでもわかっちゃうから。……送られてきたメッセージが、由宇くん本人からのものじゃないってことぐらい、簡単にね」  七星はスマホの画面を鋭い視線とともに俺の後ろへ向ける。振り返ると、三谷さんは怒りに染まっていた。 「音石七星……っ!」  別人のような、どす黒い声が響く。 「由宇くんは俺にあんな丁寧なメッセージ送ってきませーん。悪手だったね、変態さん? 未読無視しといた方がまだマシだったよ」  ねぇ?と七星は揶揄うように俺に笑いかけてくる。悪かったな……! メッセージ返すの面倒がって……! 「俺を欺けると思ったみたいだけど、そう簡単にはいかないよ?」 「っ……! それでも、僕だとはわからないはずだし、この研究室には鍵をかけていた……!」 「鍵? そんなもので守れると思ってるなんて、安直だね。これ、なーんだ」  七星の白衣のポケットから、たくさんの鍵の束が出てきた。 「理学部全棟のマスターキーのセット♡ それから、これも外さないとね」  俺を繋ぎ止めている首輪がいとも簡単に外れた。 「え、なんで!?」 「魔法♡」  首輪をポイっと床に放った七星は、にこりと笑った。手には細い針金のようなものが握られている。ピッキング……あ、さっき俺に抱きついてきた時か……!? 「……君、本当に邪魔だな……尾瀬くんは僕のものだ……!」  ドスの効いた声に、荒々しい口調。恐ろしい執着心を向けられていることに、全身が強張る。 「ふん、由宇くんに首輪つけていいのは俺だけなの。しかも脱がせて由宇くんの体見て、こんなかわいいカッコさせて、一人で楽しんでたんだ? 間男はさっさと引っ込め」  チッ、と三谷さんの舌打ちが響く。七星は全く怯んでいなかった。 「か弱い野うさぎが、無策単身でのこのこと飛び込んでくるなんて、馬鹿なんだね。君ごとここに閉じ込める。大好きな尾瀬くんが僕に堕とされるところ、目の前で見せつけてやる」 「俺が無策で来ると思ってんだ? あんたの方が馬鹿だろ、この変態陰キャ」  挑発のあと、七星は声を落とした。 「3秒後に隙を作る。走るよ」 「うん」と小声で返した。  1、2、3……  七星は近くの机を両手で掴んで倒した。三谷さんが怯んだうちに、俺も手近のホワイトボードを引き寄せて通路を塞ぐ。  力強く手を引かれ、そのまま部屋を飛び出した。  俺と七星が部屋を出たところで、間髪なく扉が閉まり、ずるずると物を動かす音がした。走りながら振り返る。 「志倉先輩!?」  ドアの前には大きな棚が置かれてバリケードが出来上がっていた。それを終えた志倉先輩が後を追って走ってくると、すぐに横に並んだ。 「内開きだからあんま意味ねーかもだけど」 「それでも多少は時間稼ぎになるでしょ」 「どうして志倉先輩までここに!?」 「ま、説明は後だ。とにかく無事でよかった。今は頑張って走るぞ」  七星は無策じゃないって言ってた。経緯はわからないけどまさか志倉先輩と来てくれているとは。でも走ると言われても、こっちはヒールだ。二人よりもどんどんペースが落ちる。手を引く七星が気付いて振り返った。 「由宇くん、大丈夫?」 「やばい、この靴全然走れない」 「ああ、ヒールだもんね。俺の力だと由宇くん持ち上げて走るのは厳しいな……ムカつくけど、こういうときのためのおにーさんだ」 「尾瀬ならギリいけるな」  志倉先輩が背を向けてしゃがんだ。おんぶをしてくれる、ということだ。躊躇いもあったが今はとにかく逃げることが最優先だ。「お邪魔します!」と志倉先輩の背に体を預けた。 「えらいかわいい格好なのに、姫抱きじゃなくて悪いな。さすがに階段は怖いからな」 「恥ずかしいので姫抱きは勘弁してほしいです……」  言葉とともに、先輩は階段をするすると降りていく。 「ちょっと、俺がいるのに由宇くん口説くのやめてくれますー?」 「悪い悪い。で、これからどうすんだ音石」 「正直、立地が悪い。この建物、南側は窓でしょ? 出入り口は南側にしかないから、この建物から出たところを確実に見られる。逃げた方向まで丸分かりで隠れても逆に追い込まれることになるだろうね」 「マジかよ」 「は、夢中で外に出たけど、こんな格好いつ誰に見られてもおかしくないじゃん! どうしよ、社会的に死ぬ!」  今は講義中だから人がいなくてよかったけど、いつ見られるかわからない。こんなん見られたら大学なんて来れねぇ! あああ、と志倉先輩に抱きつく腕にも力が入る。 「その姿だと由宇くんってバレないよ。ウィッグだってあるし、どこのメイド喫茶から連れ出したの?って感じ」 「それ、社会的に死ぬのオレの方じゃねぇ?」 「あ、すみません……志倉先輩が一番迷惑ですよね……」 「冗談だって、気にすんな」 「かわいいから俺はそのままでもいいと思うけど。まあ、玲依くんと翔太くんにはその姿見せたくないしね。なんとかしよう。メイド猫ちゃんは俺だけの特権ってことで♡」

ともだちにシェアしよう!