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兎の登り坂

 七星は志倉に目で合図を送る。志倉は頷き、使い物にならなくなった伊田を床に転がして、三谷を羽交い締めにした。 (こいつ、さっきまで余裕ぶってたくせに、音石のメイド姿を見た途端に動揺して大人しくなった……? それに、"ななたん"ってなんだ? 音石は何かわかってるみたいだけど……)  抵抗さえもしない三谷に近づき、七星は素早く両手に手錠をかけた。 「っ、な……」 「おにーさん、そいつ下まで連れてって」 「おう」  志倉は、三谷を羽交い締めにしたまま階段を降り、教卓前の広いスペースまで連れて行く。七星もその後をついていくが、その道中で床に転がっている伊田を蔑みの目で見下した。 「従者くん、どさくさに紛れて俺のパンツ見たでしょ」  伊田の目線からはスカートの中……フリルの間に見え隠れする黒のボクサーパンツがよく見えた。七星はヒールでつんつんと伊田の腹をつついた。 「わーーっ、見、いまも見えてるから! あっ、踏んでくれてありがとうございます!」 「俺に踏んでもらえるなんて光栄に思いなよ?」  そんな景色に、志倉はドン引きしていた。 「うわあ……あれ大丈夫なやつ……?」 「いいな……」 「え?」  志倉は耳を疑った。それは三谷から聞こえたような気がしたからだ。 「……いいな、とは?」 「そのまんまの意味だよ、厨房のおにーさん」  伊田をつつくのに満足した七星は、カツカツとヒールを鳴らして三谷の前に立った。間近で七星の姿を見た三谷の顔は真っ赤に染まっていく。 「っ……な、ななたん……」 「そいつもう抵抗できないだろうし離していいよ。それで、『ななたん メイド』で検索してみて」  志倉は指示に従い、三谷を離した。そして"ななたん"という未だに分からない言葉に首を捻りつつ、ポケットから取り出したスマホに打ち込む。すると、由宇と同じく驚いて目を見開いた。  その画面には、金髪ツインテール、緑目でメイド姿うさ耳のキャラクターが映っていた。 「今のお前にそっくりじゃねえか!」 「そう。ちょっとそれ貸して」  七星はななたんの画像が表示された志倉のスマホを受け取り、三谷の眼前に突きつけた。 「この子、あんたの推しキャラってやつでしょ」 「……っ、な、どうしてそう言える……っ」  三谷はすぐに顔を青くし、明らかに狼狽えた。  七星はニタリと笑いながら、三谷の瞳を覗き込み精神的に追い詰めていく。 「俺は大好きな由宇くんを攫ったあんたを懲らしめるために策を練った。そのうちのひとつに、"逆に俺に惚れさせる"ってのがあったんだよ。だからそれっぽい物を買ってきてもらってたんだけど……それがなんと偶然、あんたの推しにそっくりだったってわけ!」  七星は伊田に、ド○キで適当に可愛くなりそうなセット買っといて、と難しい注文をしていた。「音石くんは何をどうしても可愛くなるに決まっている!」と、逆に困り果てた伊田は、目に留まった『今人気のアニメ特集』のコーナーにあった、ななたんのイラストを参考にして商品を購入していたのだった。 「由宇くんがメイド姿だったのは、あんたの趣味でしょ? 隠したってもう無駄だよ。あんたはメイドとケモ耳、そしてこの"ななたん"が出てる女児アニメ好きのオタクくんだってこと」 「……っ!」  三谷は足もとをふらつかせ、後ずさる。段差につまずき尻もちをついた。先ほどの品行方正だった姿は何処へやら。七星は三谷のカッコ悪い姿を嘲笑い、見下ろした。 「そんな……誰にも、言っていないのに……」 「あはは、ただの予想だったのになあ。答えを教えてくれてありがとう」 (さっきオレらがこいつに言われたセリフ、そのまま返したな……頭いい奴らはカマかけるのが趣味なのか……?)  志倉が不憫に思う中、三谷はさらに顔色を悪くして手錠のかかった手で顔を覆った。 「……ああ、これで尾瀬くんは僕のものだと思ったのに……ななたんの方が何枚も上手だったってことか……」 「俺と並ぼうとする前提から間違ってるんだよ」 「君たち、尾瀬くんの腹いせに僕がオタクだって言いふらすんだろう。もう終わりだ……」 「んなことしても俺にとって何の得にもならない、時間の無駄。てか勝手に話まとめるな。俺の話はまだ終わってない」  七星は三谷の顎を掴んで持ち上げる。 「由宇くんのこと、諦めろ。俺はそれが目的なんだよ。ほら、諦めるって誓え」  目の前にはとても3次元とは思えない綺麗すぎる顔と瞳。しかも推しそっくりというトリプルパンチを喰らった三谷は目をぐるぐるさせ息を乱しながら必死に言葉を絞り出した。 「あ、あ……じゃ、じゃあ……ななたんが僕のメイドになってくれる……?」 「は? おこがましいと思わないの?」  床に転がったまま七星をガン見している伊田は「そうだ!おこがましいぞ!」と野次を飛ばす。 「もう一押ししとくか」  七星は志倉のスマホを勝手に操作し、とある画像を見つけた。そして咳払いをしながらスマホを机に置き、胸の前でハートを作り、声を張り上げた。 「『あたしの自慢のメイドコーデ、見逃さないでね!ご主人様♡』」 「ゔっ……!!!!」  それはななたんの定番の決めゼリフだった。まさに2次元から召喚されたように煌めく姿。三谷は心臓を押さえて倒れ込んだ。追い討ちのごとく、七星は三谷の腹に乗っかり打って変わって極悪人のような笑顔を向けた。しかしそれさえも三谷の目には美しく可憐に映った。 「飼われるのはあんただよ、変態さん? 俺を侮辱したこと、後悔しながら地べたを這いつくばれ♡」 「あ……あぁ……」  脱力した三谷は顔を真っ赤に染めながら、手錠の繋がった両腕を差し出した。 「完全敗北です。僕をななたんの下僕にしてください」 「分かればよろしい」  七星は得意げに威張って鼻を鳴らす。  これにて、三谷を懲らしめるための七星の作戦は大成功で幕を閉じた。

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