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日常との合流

「由宇くん、もう出てきて大丈夫だよ」  七星の声を聞き、階段教室を降りて教卓の前に集まる。まだ腕の手錠を外されないまま、三谷さんはしゃがんでしゅんとしていた。俺と目を合わせ、バツが悪そうに口を開いたが、声を絞る前に七星が飛びついてきた。 「由宇くん♡ どうだった?俺の勇姿♡」 「いや……お前……なんかもうすごいわ……」 「もー照れない照れない♡ 助けたお礼にちゅーしてよ」 「しない!」  一体何を見せられていたんだと脳が混乱している。あんなに話が通じなかった三谷さんをあっという間に丸め込んでしまうなんて、驚きだ。 「お前のその自信、どこから湧いてくるんだよ……」 「由宇くんがいるから」 「え、俺何もしてないけど」  七星は屈託のない笑顔で笑った。 「由宇くんが隣にいるからだよ。由宇くんのことが好きってこの気持ちが、俺にとっては自信なんだ。由宇くんを俺のものにするためなら、どんな奴にだって負けないよ」 「……んなこと言われても……」  いくら七星といえども、真正面からそんなこと言われたら恥ずかしくなってきた。顔が熱くなって、手でパタパタと煽いでいると、 「……ッ! 尾瀬くんとななたんのツーショ&エモ会話……これはスチルにすべき名場面では……? 新しい扉が開きそうだ……」  なんて? と三谷さんに視線を向ける。三谷さんは熱っぽい視線で口を覆い、ニヤけるのを隠しているようだ。七星は「ふーん」と楽しそうな笑みを浮かべた。 「変態さんはこういうのが好きみたいだね。もっとやっとこっか♡」 「え、や、やだやだ! 離れろ……」  攻防虚しく、七星の柔らかい唇が頰に触れた。 「ご褒美ごちそうさま♡」 「もーー!!」 「尊い……」  そう言い残し、三谷さんはばたりと倒れて気を失った。志倉先輩と伊田先輩は憐れんで覗き込んだ。 「キャパオーバーだな……」 「僕も音石くんにチューされたら倒れる自信はある」 「そこ胸張るとこか?」 「兎にも角にも俺の勝ちだね。この俺を出し抜こうなんて一億年早い。全部俺の手のひらの上!」  七星はふんぞり返ってわっはっはと大げさに笑った。  でも、ほんとに七星が来てくれなかったらどうなってたかわからない。メイド服の裾をくいっと引っ張る。助けてもらったんだから、ちゃんと礼は言わないと。 「ありがと、七星」  七星はバッとこっちを向き、目を輝かせてぴょんぴょんとうさ耳とツインテールを揺らす。 「ねぇっ、俺、頑張ったよ! かっこよかった?」 「かっこいいとは違う気がするけど……今日はお前に助けられた。服も代わってくれたし……だからありがと」 「~~~~由宇くん♡」  飛びついてきた七星を受け止めきれなくてそのまま床に押し倒される形になった。  志倉先輩に助けを求めて視線を送るも「頑張れ」と言わんばかりに親指を立ててるんですが!? 七星は真っ赤な顔を近づけてくる。待っ、……  すると、破れそうなほどの勢いでドアが開いた。 「由宇!」「由宇ーーっ!!」 「玲依、翔太!」  勢いよく同時に入ってきた玲依と翔太は講義室内の惨状に体を固めた。 「……由宇が謎のメイドに襲われてる!? 誰か知らないけど由宇から離れて!!……って」  バタバタと七星の腕を引っ張り上げ、その顔を覗き込んだ玲依は目を丸くした。 「音石!?」 「チッ、もうちょっとだったのに」 「な、なにがあってこんな格好に……似合いすぎて俺の女装よりもかわいいかもしれない……俺のアイデンティティが! てか由宇が音石の服着てる……!? って、え、人倒れてるし!ついに殺めた!?」 「うるさっ……人聞き悪いな。気絶させただけ」 「それもやばくない!?」  あちこちに目を向けて騒ぎ出す玲依を余所に、翔太は七星を軽々と人形のように持ち上げ、志倉先輩と伊田先輩のいる方向へ放る。「うわっ!」と声を上げた七星を、二人が受け止めた。  翔太から差し出された手を取り、起き上がる。 「ありがとう、翔太……」  翔太は俺の両肩を掴み、深く息をついた。お、怒っていらっしゃる……! 危なっかしいって、もっと警戒しろって言われる……!  説教を覚悟してぎゅっと目を瞑ったが、翔太の口から溢れたのは安堵だった。 「無事でよかった……」 「う、ん、無事……七星たちが来てくれたから……」 「ごめん、遅くなって」  まただ。七星に捕まったときにも、翔太は俺に謝った。捕まったのは俺の責任なのに。翔太は自分のせいで、みたいに謝る。 「こっちこそごめんな……捕まって、また迷惑かけて……」 「由宇は謝らなくていいんだ。俺がついていればこんなことには……っ」  翔太は眉を寄せ、言葉を詰まらせた。何か心に詰まったものを我慢しているような……切なげな表情。肩を掴む力も強くなっている。 「ちょ、ちょっと!? 俺のこと忘れてない!? 俺だってめちゃくちゃ心配したんだよ!井ノ原先輩に話聞いた時には吐きそうになって……」 「わ、わかったから落ち着けって!」 「うるさいぞ髙月……」  玲依をうざったそうに遠ざける翔太の表情は、いつも見ている、玲依への苛立ちを帯びたものに戻っていた。  一方、七星たちは…… 「あいつ……っ! 思いっきり投げたなぁ!?」 「名越、マジで尾瀬以外興味ねぇんだな……」 「音石くんっ、大丈夫!? わあ……音石くん腕細いね……」 「ベタベタ触んな。はー、くっそムカつくあいつら。由宇くん助けたのは俺なのに!」  少し遅れて、リリィを抱っこした井ノ原も講義室に顔を出した。 「お、もう終わったのか?」  すっかり騒がしくなった講義室を見渡し、全員が無事なことに胸を撫で下ろした。 「お疲れみんな!」 「海先輩も」 「お疲れ様です」 「遅れてすまん。講義室が見えたあたりから、この猫が足もとグルグル回りだして身動きできなくなって。抱っこしたら落ち着いたんだけど……お、すげーカッコしてるな、音石。かわいいぞ」 「おにーさんに言われてもねえ」 「はは、まあそうだろうな。この猫、音石の飼い猫なんだって? 理学部棟なんて行ったことなかったから、道案内してくれて助かったよ」  七星はリリィに井ノ原をこの場所まで道案内するように頼んでいた。賢いリリィは無事に役目を果たした。すっかり井ノ原にも懐きご機嫌なリリィを七星は腕に抱いて労った。 「この倒れてる人が元凶か。作戦、上手くいったんだな。とにかくみんな無事でよかった」  倒れた三谷を見下ろし、由宇を争う玲依と翔太を順番に眺め、井ノ原は「こうでなくちゃ」と、いつもの日常を微笑ましく思った。 「おにーさんさあ、もうちょい遅くてもよかったんだけど。俺と由宇くんの時間だったのに」 「これでも急いだんだけどなー」 「ま、手柄は俺のものになった。由宇くんの好感度をあげる作戦は見事に成功だよ」 「結局そうなるのか……」 「それとね」  呆れる井ノ原の言葉を遮り、七星は無邪気に笑った。 「由宇くんにお礼言われたの、すっごい嬉しかった。頑張ってよかったなぁ……」  井ノ原と志倉はぱちくりと目を見開き、顔を合わせる。そして同時に破顔し、七星の頭をわしゃわしゃと撫でた。 「よくやった! おにーさんが褒めてやるぞ!」 「頭切れててすごかったよ。頑張ったな」 「ちょ、撫で回さないでよ!俺は小動物か!」  ずれた金髪のウィッグとうさ耳を外し、文句を言いつつ、まんざらでもなさそうな七星の姿に、伊田は胸を高鳴らせながら、おそるおそる一歩近づく。 「おおお音石くん、僕も撫でたいな……」 「んー……今回だけね」  光に煌めく頭を差し出され、伊田は震えながらこわごわと撫でた。 「わ……さらさらだ……かわいい、やっぱり君のこと好きだな……」 「あんたに好かれたってどうでもいいし」  ツンと顔を逸らす七星の姿さえも、伊田には可愛らしく思えて、笑みと本音が溢れた。 「こうやって言い続けてたらいつかは僕のこと好きになってくれないかな……」 「んなわけないだろ。言い続けても好きになってくれない人があそこにいるんだから」 「うっ……それでも僕はずっと君のそばにいたいな」 「ふん……まあ、今のところは俺の召使いとしてそばに置いてあげる」

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