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恋愛から推しへ
三谷はおもむろに立ち上がり、自分のデスクへと向かう。鍵のかかった引き出しを開け、小箱を取り出した。
「……その5円がこれ」
指輪を入れるような上等な小箱の中に、それこそ指輪のように刺さっていたのは5円玉だった。
由宇と玲依は鳥肌とともに引き攣った声を上げた。
「はぁぁ!?」
「こわ!ストーカーじゃん! 気持ちはわかるけど!!」
「わかるな!!」
「別れ際、君は僕の目を見て微笑みかけてくれた。小さなきっかけだけど、それが決め手だった。たとえ営業スマイルだったとしても、僕の胸を撃ち抜く可愛らしい笑顔には変わりない。それから僕はずっと尾瀬くんのことを考えて考えて……気づいた時には征服欲で満たされていて、君を飼うことしか考えられなくなっていた」
ゾワゾワとした悪寒が由宇の背中をなぞる。全員の気持ちを代弁するように、七星はド直球を投げた。
「マジで変態じゃん。きもーい」
「ななたんに貶されるなら光栄だ」
「救いようがねぇな」
眉間に皺を寄せながら押し黙っていた翔太は三谷を睨みつけて、口を開く。相当な憤怒がこめられた低い声だった。
「……スーパーでのバイトが終わった後、由宇をつけていたのはあなたですね」
「そうだ」
隠しもせずハッキリと頷く三谷に、由宇と玲依が声を揃える。
「え!? 俺つけられてたのか!?」
「え!? 変なおじさんにじゃないの!?」
玲依は以前由宇から、必ず由宇のレジに来るおじさんのことと、バイト終わりに翔太が迎えにきていたことを聞いていた。そのふたつを結びつけて、変なおじさんにストーカーをされていたのだと思っていたが、真実は違っていた。
「髙月がどういう経緯で聞いたのかは知らないが……あの頃、細身で背の高い男が影からずっとこっちを見ていた。由宇がバイトを辞めてからはめっきりいなくなったけどな」
「もう一度尾瀬くんと話したくて機を伺ってたんだけど、名越くんは格闘技の有段者だと耳にしたから近づこうにも近づけなかった。レジで話せる時間には限りがあるからね」
由宇はパクパクと口を開閉させる。まさか自分がつけられているとは夢にも思っていなかったが、同時に腑に落ちた。だからあの頃、いくら断っても必ず翔太が迎えに来てくれていたのかと。
「3次元なんてどうでもよかったのに、君と出会って俺の考えは変わった。あんなに大量にアニメのグミを買っても引かなくて、しかも他人のために笑って祈ってくれる、こんなに可愛い子が現実にいるという救いを貰った」
複雑な表情を浮かべて話を聞く由宇の様子を伺いながら、三谷は話を続ける。
「尾瀬くんのこと、本当に好きなんだ。このケダモノたちから守りたかった……でも、こんなにも怖がらせていたなんて……いつのまにか僕は道を間違えてしまったんだね。酷いことをしてごめん……」
三谷は深く頭を下げた。
それでも翔太の怒りは収まらない。怒りのまま拳を握り、ゆらりと立ち上がる。それに気づいた由宇は翔太の腰にしがみついた。
「柔道の大会近いって言ってたろ! 殴ったのがバレたら出れなくなる!」
「由宇……」
「俺のために怒ってくれるのは嬉しい、けどそれで翔太が大会出れなくなるのは嫌だ!」
心配そうに眉を寄せる由宇が瞳に映る。どうにか理性を取り戻し、翔太は再び座った。
玲依は翔太を横目で見る。
「殴るのは、自分のためにしかならないよ」
「……善人ヅラするな。お前も似たようなもんだろ」
「そーですけどね!? 三谷さんの話、わかるなって思って聞いてたけどね!」
「デコピンなら暴力に入らないな」
「喧嘩すんなって!」
由宇はデコピンの構えをしている翔太の腕を止める。あっという間に火がつく導火線を消し止めたと思いきや、七星が横槍を入れてくる。
「俺は勝手に殴ればいいと思うけど? ま、誰かさんと違って俺は拳ひとつ使わずあいつを止めたけどねぇ?」
「じゃあお前から殴らせてもらおうか」
「だから、今喧嘩すんな!」
どこか羨ましそうに口喧嘩を見守っていた三谷から、クスリと笑いが溢れた。四人の視線が一気に集まる。
「一発ぐらい我慢しようかと思ったけれど」
「キレた翔太が殴ると一発じゃ済みません」
「それは怖いな」
「あの……三谷さん」
由宇は頭を下げた。
ちゃんとケジメをつけるために、伝えないといけない。
「……俺は、三谷さんの気持ちには応えられません。ごめんなさい」
「うん、わかってる。ちゃんと言ってくれてありがとう」
由宇は顔をあげる。もう三谷の表情から、じとりとした情欲は感じられない。
「今気づいたよ。僕は羨ましかったんだ、君たちのことが。そうやって愛情でも嫌味でも苛立ちでも、なんでも言い合える関係が欲しかった。尾瀬くんなら、そうなってくれるって、僕を受け入れてくれるって思ったけど、僕にその資格はないみたいだ。恋愛として尾瀬くんのことは諦めるよ。だから今後は……」
そして三谷はすっきりとした顔で笑った。
「推しとして、尾瀬くんとななたんに貢ぐことにするね!」
「へ?」
まさかの発言に空気がピシリと固まる。
「み、貢ぐとは……」
「僕は推しに貢ぐことが生きがいなんだ。まさか僕に3次元の推しができるとは、人生何があるかわからないね。あとたまにで我慢するから、可愛い格好をして写真を撮らせてくれないかな!? ななたんとのツーショを!」
まくしたてる熱量に、その場の全員がドン引きしながら思い思いに反応していく。
「なんでそうなるんですか!?」
「全然反省してないよ、この人!!」
「チッ……」
「ふむ、由宇くんとの接触機会が増えるなら好都合……俺は変態さんに賛成♡」
「ななたん好きだ……♡ 今度はななたんの分も作っておくからね!」
「ということは、このメイド服って……」
由宇と玲依は七星の着ているメイド服をまじまじと見つめる。
「うん、尾瀬くんにどうしても僕の作ったメイド服を着てもらいたくて作ったんだよ。ペットに服を着せたくなる飼い主の気持ちがわかったなあ」
「まさかの手作り!?」
「クオリティ高っ!?」
玲依は隣にいる七星のスカートを持ちあげて目を凝らした。何重にも重なるフリルとレース、縫い目も綺麗に整えられていて、作りも凝っている。安い売り物よりも遥かに良いものだと素人目から見てもわかる。
「めくんな。俺のパンツ見たいの?」
「あ、ごめん。音石のパンツに興味はミリもないけど、これ売り物みたいだなあ……」
「想像で作ったけどサイズも合っててよかった。ななたんと尾瀬くんの体格は似ているしね。でもやはり正確なサイズが知りたいから今度隅から隅まで測らせてほしいな……?」
「お断りします!!」
じろじろと体を見られ、由宇は肩を震わせながら全力で断ったのに、三谷はもうすでに吹っ切れており、にっこりと笑った。
「ふふ、可愛い。これからもよろしくね、尾瀬くん」
「やっぱり殴っておくか」
「由宇のかわいい格好、いっぱい見たいなあ……今度こそ見せてね、由宇!」
「きも、変態目線で俺の由宇くん見んな」
まだまだ続いていきそうな会話に、由宇は頭を抱えて重いため息をついた。またしても変な関係性が増えてしまった……と気が遠くなっていくのを感じる中、重要なことを思い出した。
「……ってか、とりあえず俺の服と荷物返してください!」
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