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理学部棟編 エピローグ②
そしてまた次の日。
由宇は七星を図書館に呼び出した。さすがに単身で七星の城(実験室)に飛び込むのは危険だ。図書館なら人目もあるし、襲われたりしないだろう。
ひと足先に到着した七星からは2階のグループワークスペースにいる、と連絡があった。その場に着くと探すまでもなく、端の机に座っている目立つ金髪の姿を見つけた。
こちらに気づいた七星はご機嫌に手を振った。周りの視線が一気に由宇に集まる。しかしここまできて引き返せない。覚悟を決めて七星の座る机まで進んだ。
「由宇くんっ、俺を呼び出すなんてどうしたの? これはもしかしなくても愛の告白……♡」
「ちがう! ……えっと、呼んだのは」
エメラルドのような瞳を見つめ、由宇は口を開いた。
「数学、教えてほしくて」
「え」
七星は数秒固まったあと、机を叩きつけて立ち上がった。
「どういう風の吹き回し!?」
「お前、頭いいんだしわかるだろ。数学の課題、提出期限明日なんだけどほんとにわかんなくて……三谷さんに教えてもらう予定だったのは無しになったし」
由宇の言い訳めいた経緯を聞いても、七星は目を細めた。好きな人に頼られたら飛びつくものだが、由宇がそんなことをするなんて到底信じられない。
「……由宇くんが俺のこと頼るなんて、誰かに唆された? 騙されてない?」
「ちげーわ。……けど、長谷川教授や目黒、それから三谷さんともお前のことで話して、お前のことちゃんと知らないとって思ったんだよ。俺なりに」
居心地悪く逸らしていた目線を七星に戻すと、複雑そうに口を窄めて「はぁ……」とため息をつきながら座り直している。
てっきり目の色変えて喜ぶだろうと予想していた由宇は拍子抜けした。やっぱり七星の言動はよくわからない。
「それは嬉しいけど……助けてもらったから、他の人に言われたから、っていう義務感は要らない。由宇くんの意思で俺のこと知りたいと思ってほしい」
七星の不満と残念を混ぜた表情に、由宇は唾を飲み込んだ。
(……本当だ、これは義務感と申し訳なさなんだ。そんな気持ちで頼ろうなんて、人の気持ちを甘く見過ぎだ。七星は真剣なのに、向き合えてないのは俺だ)
「……お前の言う通りだな……ごめん」
「わかったなら良し。これからも由宇くんは今まで通りでいいってこと。俺から必死こいて逃げてみなよ。絶対捕まえるから。俺に落とされるのをお楽しみに♡」
「うげ……でもまあ、今回のことはほんとに感謝してんだよ。必死で頭下げてくれたって聞いたし」
ギクリと肩を揺らした七星は、珍しく由宇から目線を外した。心なしか顔が赤い。
「別に必死じゃ……教授の説得なんて余裕だったけど!」
「……井ノ原先輩と志倉先輩からは泣きそうにしてたって聞いた」
「泣いてない!」
真っ赤になって声を張り上げる七星の姿が珍しくて、由宇はつい吹き出して笑ってしまう。
「ははっ! 七星の照れるポイントわかんねー!」
「むう……由宇くんに揶揄われるなんて……」
恥ずかしいような嬉しいような。それでも確かに距離が近づいている手応えを感じた。玲依に張り合って嫉妬するんじゃなく、自分らしく由宇に歩み寄れば……きっと。
膨らませていた頬は笑顔に変わっていく。
「じゃ、やろっか。課題見せて」
由宇は頷きながら七星の横に座り、リュックを下ろしてファイルを取り出したところで「あっ」と動きを止めた。
「お前のことだし、お礼とか、ご褒美とかそういうのあるよな」
「なしでいい」
「ま、マジで……? お前こそどういう風の吹き回しだよ」
由宇はあんぐりと口を開けながら、恐々と七星を見つめる。七星は憑き物が取れたようにすっきりとした顔で微笑んだ。
「ふふ、たまには見返りなんかなくたって……ただ一緒に時間を過ごすだけっていうのも悪くないよね。で、どこがわかんないの?」
「全部……だけど、ここまでは三谷さんに教えてもらって、ここからは昨日の夜に自分でやってみた」
頼りきりになるのも悪いし、それに七星のことはまだ得意ではない。少しでも勉強の時間が短縮されるならと思い、昨日の夜に唸りながら解いた計算式を見せて由宇は得意げになる。が、プリントを受け取った七星は眉を寄せた。
「由宇くんがやったとこ、全部違う」
「えっ」
「最初に公式入れるとこから違う。最初が違うから、後の計算も全部無駄になってる。ほんとに苦手なんだね、基礎からできてないよ」
「急に辛辣だな!? 頑張ったのに!」
「さっき笑われたから仕返し。まあ安心してよ。理解するまでみーっちり、手取り足取り教えてあげるから、覚悟してね♡」
やっぱり頼まなきゃよかったかも……
そっと重ねられる手のひらと意地悪な笑みに、由宇はまたもや気が遠くなっていくのだった。
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