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【番外】星を映す眼鏡

 実験室でキリがいいところまでレポートを進めた七星はリリィを抱き、すっかり人気のなくなった理学部1号館を出ようとしていた。綺麗な金髪は、薄暗い蛍光灯の反射でもきらきらと光る。  外に出たところで、暗い中に人影が見えた。 「音石七星ぇ!」 「夜なんだからボリューム下げてよ」  七星を待ち構えていたのは目黒だった。七星もリリィも興味なさそうに目黒の横を通り過ぎる。が、目黒はその隣を同じ歩幅で歩いた。門を出ても、まだ隣をついてくる。 「ついてこないでよ」 「僕の家もこっちだからな」 「嘘つけ。帰り道で会ったことないだろ。なんでわざわざ俺を送ろうと……」 「長谷川教授から、君が危険な目にあったと聞いた」  危険な目……なんのことかと頭を回転させた七星は、先日の由宇奪還作戦が思い当たった。由宇が攫われたことが分かり、冷静さを失っていた七星は単身で乗り込もうとしていたが、調理科の先輩たちに協力してもらい、危ない橋を渡らずに済んだのだった。 「危険な目にあったのは俺じゃなくて由宇くんだけど。ま、俺が華麗に助け出したから心配御無用」 「君はそうやって……今回はよかったものの、そんな綺麗な顔をしているんだからもっと君自身が危機感を持つべきだ。危険を顧みず行動して襲われでもしたらうんたらかんたら……」 「説教なっが~……めんどくさ……」  七星はほとんど聞いていなかったが、ひと通り言いたいことを言った目黒は、歩きながら七星の横顔をチラリと見る。 「……君には怖いものがないのか?」 「あるよ」  七星は夜空を見上げて、星をその目に映した。 「好きな人と離れ離れになること。それ以外にない」  儚げに光る星のような姿に、目黒は思わず息を呑む。しかし、見惚れているわけにはいかないと自分を律して言葉を出した。 「ああ……尾瀬と会ったときに10年間とかなんとか言っていたな」 「離れ離れになってから由宇くんのこと好きだって気づいた。10年間、会える希望すらないのに由宇くんに縋り続けて……あの時の張り裂けそうな気持ちなんか思い出したくもない」 「そう、か……君にもいろいろと思うことがあるんだな……」 「うん、だからね」  七星は目黒にちょこちょこと近づき、人差し指で目黒の胸をトン、と押した。そして悪魔の笑みを見せた。 「メガネくんも、自分の気持ちに早く気づかないとダメだよ?」 「なっ……」  目黒は顔を真っ赤に染めて、叫んだ。 「好きじゃないからな!?」 「やれやれ、言ってるようなもんでしょ。認めた方が楽になれるよ?」 「ぜっっったい認めん!!」 「近所メーワクだから静かに叫んでよ」  足を止めた七星は、目の前の二階建てアパートを指さした。 「ここ、俺のアパート」 「そうか。じゃあ僕はここで」 「ついでだし上がってかない?」 「……っ、え」  来た道を引き返そうとした目黒は七星に腕を掴まれ、暗闇の中でもわかるぐらい動揺していた。 *  それから約2時間ほどの時が過ぎ、七星の部屋のテーブルには2人分の料理が並べられていく。  白米、インスタントの味噌汁、オムレツ、肉野菜炒めにサラダといった具合だ。運びながら目黒は控えめに叫んだ。 「君……仮にも僕は客人だというのに、材料を買いにパシらせたあげく飯を作らせるとはどういう神経をしている!!」 「いやー、お腹減ったし」  部屋に入るなり夜ごはんを作って欲しいと上目遣いにせがまれた目黒は案の定断りきれず、近くのスーパーへ走り材料を揃えた。  その間、七星はリリィと一緒に悠々と風呂に入っていたのだった。 「手伝いもせず風呂まで済ませて……調理道具も無いと言うから100円ショップであらかた揃えてしまったじゃないか」 「もしかして、あんなことやこんなこと、期待した?」 「そりゃああんな顔で誘われたら……って何を言わせるんだ!」  文句を言いながらも、座って待つ七星の前にコップに入れたお茶を揃え、目黒も正面に座った。  いただきます、と2人で手を揃える。  七星は箸をとり、肉野菜炒めを口に入れた。もぐもぐと咀嚼する様子を、目黒はじいっと見つめ、七星の感想を待つ。 「うん、そこそこ美味しい」 「せっかく作ったのに何だその評価は」 「玲依くんの腕には劣るね」 「誰だその男は!」  こいつからの褒めを期待した自分が馬鹿だったと、目黒も料理に手をつけた。いつも通りの自分の料理の味だ。可もなく不可もないのは自分が一番分かっている。 「メガネくんがそこそこ料理できるなんて意外だなあ」 「ふん。悪かったな、そこそこで」 「そこそこだけど、美味しいよ」  真意が分からず、目黒は手を止めて、七星の緑の瞳を見つめた。七星はそのまま食べ続けながら、話し出す。 「料理なんて面倒で、腹が満たされるならなんでもいいけど、インスタントでも出来合いでもなくて、普通の、そこそこの家庭料理……そういうのが食べたくなる時だってあるから」  褒められているのかは分からなかったが、心から言った確かな言葉に感じた。それを聞けたことが目黒にとっては嬉しいことだった。 「音石七星……」 「ま、由宇くんの料理が食べたかったってのが本音だけど」 「っ君は本当に悪魔だな!!!!」  悪魔に情を持つことが馬鹿らしかった。七星が時折小悪魔的に見せる憂いに流されたのは何度目か。目黒は再び呆れ怒りながら、深くため息をついた。 「君がここまで生活力がないとはな。完璧な人間などいないのだな」 「あはは、俺に口論挑むなんて無謀だね。あ、そうだ」  何かを思い立った七星は箸を置き、目黒に手を差し出す。 「メガネくん、スマホ貸して」 「は……?」  訝しみながらも目黒はポケットからスマホを取り出して七星の手の上に置く。金色の悪魔は何かを企んでいるような笑みを浮かべた。嫌な予感がする、と思ったころには手遅れだった。  七星はまず、受け取ったスマホの画面を目黒に向けて顔認証でロックを解除したのち、ひょいひょいと自分のスマホと同時に操作した。ほどなくしてエアドロが飛んだ音がした。 「はい、ありがとーね。これお礼」  戻ってきたスマホの画面を見て、目黒は一瞬で頰を紅潮させた。  そこには先日のうさ耳メイド服姿で可愛くポーズをキメた七星の写真が表示されていた。しかもご丁寧にロック画面に設定されている。 「なっ、は、破廉恥だぞ!!」 「おじさんの反応かよ」 「こん、こんなもの人に見られたら僕が変態だと思われるだろ!」  真っ赤な顔で眉を吊り上げながら、なにやらしきりに操作しているスマホを覗き込んだ七星はニヤニヤと笑った。 「そう言いつつ写真複製してるー、クラウドにも送ってるー」 「見るな!!」 「他の写真もあげよっか?」 「……あるのか」 「あっはっは! めちゃくちゃ素直じゃないねえ!」 *  2人は喋りながら夜ごはんを食べ終え、目黒に片付けを押しつけ、なんだかんだ楽しく時は過ぎていった。時計はそろそろ終電が近い。  目黒は帰り支度を終えた。七星は一応見送ってやろう、と玄関までついていき、靴を履く背中を見下ろしながら腕を組んで壁にもたれかかる。 「泊まらせてあげてもいいけどね」 「いちいち上から目線だな、君は。そもそも仮にも下心がある男に軽々しく家に泊まれなどと言うんじゃない。尾瀬以外とそういう関係になりたくないのなら発言には気をつけ……」  言葉の途中で目黒は動きを止めた。自分の発言を反芻して、じわじわと焦りが顔に出始める。そして勢いよく振り返った。 「好きじゃないからな!?」 「下心がある、まで言っておいてよくそのセリフ言えるね」  やれやれと肩をすくめた七星の顔がまた綺麗で、目黒の顔はまた赤くなる。顔を正面に戻し、何度も深呼吸をして、立ち上がる。 「今日買った調理道具は置いておく。また同じような機会があるかもしれないからな」 「お、また作ってくれる気?」  目黒は背筋を伸ばして、まだ赤い顔のまま口角を上げた。 「そこそこ、だがな」 「そこそこがいい時もあるからね」  眉を下げ、揶揄うような、喜んでいるような、そんな表情で七星もまた笑い返した。 【星を映す眼鏡 完】

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