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【番外】翔太の嫌いなものは……
由宇と翔太は大学の食堂で昼食をとっていた。
由宇は自分の定食のサラダにひとつだけ乗っているブロッコリーを箸でつまみ、翔太のサラダにそっと置いた。
「……お願いします」
申し訳なさはあるが、どれだけ日が経とうがブロッコリーは食べれるようになる予感はしない。慣れっこの翔太はふぅ、と息をつき増えたブロッコリーを頬張った。
「これだけは克服できないな」
「小さい頃より食べれるものは増えたけどな。翔太は昔から好き嫌いとかないよなあ」
「ないな。食べ物ならなんでもいける。昆虫食でもいけそうだ」
「げぇっ!ムリムリ! 見た目がえぐいもん!」
そうした他愛ない会話が続く。気心知れた仲である2人は沈黙になっても気まずさがない。むしろそれが心地よい。
味噌汁を飲みながら、由宇はふと考え込む。
(翔太ってなんでも食えるし、頭もいいし、スポーツも得意だし足も早くて気遣いできるし、顔もかっこいいし……)
「欠点なくない……!?」
「いきなりどうした?」
「お前、完璧すぎて怖ぇよ! なんか嫌いなものとか苦手なものとか、なかったっけ?」
大きな目で覗き込まれ、心臓をドキドキさせながら、翔太は表情を変えず少し考える。
「すぐに出てこないな」
「だよなぁ……やっぱすげぇな翔太」
由宇はすぐに屈託ない笑顔を浮かべる。自分とは違って、由宇は表情がコロコロと変わり、いつまでだって見ていられる。猫をかわいいと思う人の気持ちはこういうことなのか、と考えながらつられて翔太も顔を綻ばせた。
「ありがとな。素直に受け取るよ」
「おう! あ、でも口数少ないところは欠点かも……いやそれも静かでクールでいいのか……?」
*
一方、同時刻、食堂内。
「由宇……今日もブロッコリーを名越くんに食べてもらってる……」
玲依は由宇たちがいるテーブルから離れた死角に座り、双眼鏡を覗き込んで由宇を観察していた。人の合間を縫い、由宇だけがよく見えるベストポジションだ。
「ほんと引くわー、玲依のストーカー癖」
「バレたら嫌われそうね」
玲依と同じテーブルに座るのは、双子の妹である芽依とその友達の白宮花乃。2人ともドン引きしながら、やれやれと食事をしている。玲依はそんな暴言も気にせず一心不乱に双眼鏡を覗いていた。
「由宇のブロッコリー嫌いを俺の料理で克服させてあげたい……」
「眺めるのは自己責任だし止めないけど、けっこうな確率で私を巻き込むのやめてくれない?」
玲依はようやく双眼鏡を外し、握った拳で机を軽く叩く。
「俺ひとりでいたら女の子に囲まれてそれどころじゃなくなるの、知ってるだろ……! 対価として昼奢ってるんだから付き合ってよ」
「はいはい、ありがとうございまーす。それにしても、知り合う前ならまだしも今さらこんなコソコソ見なくてもいいじゃん?」
「そりゃ目の前の由宇を見つめるのも最高だよ。由宇、すぐ照れるしツンデレでかわいいんだよね」
それは髙月くんに見られているからでは……
と、思いながら花乃は美麗な双子の喋る姿を目に焼き付ける。
「でもさ、こう……なんて言えばいいかな、対俺じゃなくて、対他人の由宇って貴重じゃん。それはそれ、これはこれってやつ」
「対名越くんだけどね」
「ゔっ、そう、そうなんだよ……嫉妬心と由宇を見つめたい気持ちがせめぎ合ってるんだよ。いいなあ、俺も毎日由宇とご飯食べたいな……朝昼晩全部……いずれ同棲、そして結婚……」
ぶつぶつと呟きながら、再び双眼鏡を覗く。声もなく引いた芽依と花乃の姿は玲依の目に入っていなかった。
「この発言を聞けば寄る女の子も減るだろうけど。いや、減ってこれなのか……双子がこんなに気持ち悪い思想を持ってるのキツい……」
「それでもやっぱり髙月くんは顔がいいから……残念なイケメンってこういうことね」
「聞こえてるよ!?」
食事を終えてスマホを眺めている由宇を観察しながら、玲依は真面目なトーンで呟く。
「好きな子の一挙一動を見ていたいって想いは普通だろ」
「普通かな?」
「髙月くんの気持ち、わからないこともないのよね」
「え?」
首を捻る芽依の顔を、花乃は食い入るように見つめている。花乃は超がつくメンクイだ。その中でも芽依の顔がいちばん好きらしい。見られた反動でにこっと笑って見せると、花乃は頭を抱えた。
「ううっ、かわいいっ……!」
「ふふん! そりゃ私だからね!」
「はあ、俺も由宇といい雰囲気になりたいよ」
「いい雰囲気? 私と花乃はいつもこんな感じだけど。普通に友達だよ」
「そ、そうね……友達……」
ショックを受けて震えぎみな声に、玲依は同情した。
「頑張れ、花乃ちゃん……」
「まあ、まだまだこれからよ」
ゴホンと咳払いをし、話題を逸らすように花乃は双眼鏡を覗く玲依に問いかける。
「ねえ、髙月くんなら友達もたくさんいるでしょう? 人払いしたいなら、どうして芽依や私がいい訳? 私は芽依と一緒にいれるからいいんだけど」
「あー、こういう事情を知ってる友達とか仲の良い先輩に頼んでも、巻き込まれたくないってだいたい断られるから。芽依と花乃ちゃんだとその心配はないし」
「どういうこと?」
「そりゃあ……」
理由を話しかけたところで、玲依の背後にフッと影が落ちる。そこに立つ人物に、芽依と花乃は思わず「あっ」と声を上げた。背後からの殺気。玲依は身を固め、きごちなく後ろを振り返る……
「おい髙月ぃ……」
「な、名越くん……瞬間移動ですか……?」
さっきまで由宇は翔太と話していたはずだ。向こうにいたはずなのに。翔太に悟られないために、会話を聞くことは諦めて距離を取って、わざわざ双眼鏡を購入したのに。
そんな玲依の計画はあっという間に気づかれてしまった。片手に持った双眼鏡はすぐに取られた。翔太はその場で双眼鏡を覗く。その間、玲依の冷や汗が流れ落ちる。
「へえ、よく見えるな」
「それはもうバッチリ……アハハ……」
「できた位置取りだ……なっ」
バチィン!
……と、いつものデコピンとは思えない凄まじい音が響く。
「いぃっ……たぁっ……!!」
「コソコソ見るな。気づかれないとでも思ったか?」
「くぅ……! 次は負けないから!」
悔しそうに額を覆う玲依を、翔太は冷たい視線で睨みつけて去って行った。
「相変わらず強いねえ、名越くんは」
「なるほど。髙月くんと一緒にいるとボディーガードに目をつけられるのね」
*
「おう、おかえり。トイレ混んでた?」
由宇は戻ってきた翔太の気配に顔を上げる。先ほどまでの全てを凍て付かせるような怒りは全く感じさせない、ほんのりとした笑顔がそこにあった。
「ちょっとな。そろそろ講義室行くか」
「だな。あーあ、次の講義も苦手なやつだ。眠くなるんだよなあ」
「寝かけたら起こしてやるから」
「うん、頼むわ」
(……由宇には言えないけど……俺の嫌いなものは由宇に近づく人間なんだよな)
翔太の視界の端には、今もまだデコピンの痛みに耐える玲依の姿が映った。
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