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【番外】香水変えろ!

「その香水気に入らない。変えろ」  性懲りも無く七星を拝むために訪れた七星の実験室で、三谷を待っていたのは衝撃的な一言だった。 「と、突然だね?」 「突然? ああ、あんたの前で言ったのは初めてか。いっちばん最初にあんたとすれ違ってから、その匂い嫌いなんだよ。変えろ。あんたが帰った後リ○ッシュしまくるこっちの労力を考えろ」  パソコンの前でコーヒーを啜る七星は三谷を指さす。ズバズバと言われて三谷は肩を落としたのには理由があった。 「けっこう傷つくなあ……これ、僕の推しのコラボ香水なんだよ……気に入ってるんだけど……あっ、メルメイティじゃなくて、別のアニメの推しなんだけど」 「んなのどうでもいい。俺のそばにいたいんだったら変えろっつってんだよ」  三谷は笑顔を広げて七星にずいっと近づく。 「それは、僕を飼ってくれるってこと!? それなら別の推しの香水をつけることにするね」 「懲りないな、こいつ。まあ汗臭いよりいいか」 「今度、持っている香水を持ってくるから、ななたんの好みのものを選んでほしいな」  由宇ではなく自分の方を向くように仕向けたのは七星本人だが、怯みもしないこの態度はどうにも調子が狂う。伊田と同様のものを感じる七星だった…… *  そして後日。  七星の実験室の奥のテーブルには、大量の香水瓶がずらりと並べられた。どの瓶もキャラに合わせた装飾がなされており、中の液体にも色がつけられてキラキラと光っている。しかし、香水というものに興味を持たない七星はそれを目の前にしても、めんどくさそうにソファにあぐらをかいていた。 「推し多すぎだろ」 「最近はコラボ香水が流行っていて……好きな作品のものだと全キャラ集めてしまったりするんだよね。さあ、順番に嗅いでみて。香りをリセットしたいときにはコーヒー豆。持ってきたからこれを嗅いでね」 「手厚すぎてきもい……」  と言いながら、七星は実験をしているかのように、端から順に嗅いでいく。時にはなるほどと頷き、時には顔を顰める。変わっていくその表情を三谷は堪能していた。 「ななたんは香水つけないのかい?」 「べつに。つかめんどくさい」 「香水もいいものだよ。推しの香水をつけると、推しをまとっている気分になれるというか……推しの匂いって興奮するよね……ふふふ」  自分の常識では考えられない変態発言を言ってのける三谷を、それはもうドン引き顔で七星は見つめた。ドン引きされるのにも慣れ、その顔も可愛いなあと思いながら、三谷は話を続ける。 「そう、たとえば尾瀬くんをイメージした香水があったとしたら……と考えてみて。僕の気持ちもわからない?」 「由宇くんを、イメージ……」  七星は由宇の匂いが大好きだ。ほんのり甘くて爽やかな、柔軟剤の香り。抱きつくとそれをめいっぱい感じることができる。  腕を組んで難しい顔で考え込み、顔をあげた。 「悪くないな」 「だよね! じゃあこの中で、尾瀬くんっぽい香水を探して、それに近いものを一緒に買いに行かない? もちろんプレゼントするから!」  これは少しでも七星と一緒に時を過ごしたい三谷の作戦のうちなのだが、七星にとっても悪い話ではなかった。むしろ利用価値の方が大きい。  七星の頭は一瞬にして動いた。好きな匂いかつ、由宇に合う香水を選び、自分と由宇の分を三谷に買わせる。そうして由宇と同じ匂いになる…… 「その作戦、乗った」  ずいずいと迫ってくる三谷を押し返し、七星はニヤリと笑った。 *  そのまた後日。七星と三谷は大型ショッピングモールに到着した。講義の空き時間を利用して訪れた平日の商業施設は適度に人が少なくて歩きやすい。  有名な香水店のあるフロアへ足を進める中、三谷はとにかく浮き足立っていた。隣には2次元から出てきたかのような絶世の美形がいるのだ。三谷はかがんで七星の耳に顔を近づけた。 「デートだね、ななたん……♡」  爽やかな容姿とは裏腹にねっとり絡みつくような声。七星は全力で顔を顰めて振り払った。 「寝ぼけてんのか変態野郎。俺は由宇くん以外とデートしない」 「じゃあ僕だけ思っておくね」 「勝手にすれば?」 「ふふ、ありがとう」  こいつと喋るのだるいな。もう帰りたくなってきた。と、早くも面倒になってきた七星はため息をつく。すると、見知った声に呼び止められた。 「ちょっと待った!!」  三谷は足を止めて振り返る。  顔を赤くして怒鳴っていたのは伊田だった。走って追ってきたのだろう。肩で息をしている。 「おや、伊田くん」  この展開を予想していたかのように、三谷は余裕を浮かべている。数学コースの頭に調理科が適うわけなどなく、伊田はパッションで勝負するしかなかった。そのまま三谷の前に立ち、指をピシリと向けた。 「三谷さん! 音石くんに何か変なことしようと企んでいるんじゃないですか!?音石くんと2人きりで出かけるなんて、僕が許さない!」 「人聞きが悪いな。僕はななたんに香水をプレゼントしようとしてるんだよ」 「こ、香水? なんでまた」 「ひとまず話は後にして、ななたんを追わないと」  三谷と伊田の攻防に全く興味のない七星は振り返りもせず、先に先に進んでいた。 「あっ、まっ、待って音石くん!!」  慌ただしく走って追いつき、怪訝な顔をする七星の隣に並んだ。 *  店に到着し、七星は順番に香水を嗅いでいく。  エスコートする三谷と、それを阻止する伊田。側から見たら何事かという状態だ。そんな中、しばらくして七星はひとつの香水を手に取った。 「これにする」 「うん、とてもいい香りだ。可愛らしくも少しツンデレなところが、ななたんと尾瀬くんにピッタリだと思うよ」  三谷の主観的な意見に、「きもい」と顔に出す。三谷はその香水を2本手に取り、会計に向かった。  しばらくして戻ってきて、七星に紙袋を2つ渡す。きちんとラッピングされていた。  店から出てモール内を歩きながら、七星はおもしろくなさそうに三谷を見上げた。 「……俺の作戦、見抜いてただろ。変態のくせに」  三谷はにっこりと笑った。 「ななたんの作戦うんぬんより、僕は最初からその気だったよ。ななたんと尾瀬くんに同じものをプレゼントする、そうしたら2人は同じ匂いになれるね。ああ……推しカプ尊い……」 「……あんたさぁ、思ってたよりも俺に協力的だよね」 「そりゃそうだよ! 推しカプの応援をすることが最近の僕の生きる糧だから」 「ふーん、オタクってそういうもん? 従者くんとか、なーんか微妙な顔してるからさ。今も」  2人は伊田に視線を移す。伊田はあわあわと首を振ったり、行き場のない手を動かしたりしながら、弁明した。 「あの、音石くん、僕は応援していないわけではなくてね、そこを勘違いしないでほしいんだけど……こう、いろいろと複雑な思いがあって……」 「ほら、いっつもあんな感じ」 「伊田くんは同担拒否強火オタクだからだよ」 「意味不明」 「そう言われても僕もよくわからないんですが……?」  三谷は意味深に笑い、伊田にこっそりと耳打ちをした。 「伊田くん、メルメイティに興味ない?」 「それ、音石くんに似てる子がいるアニメですよね……いやまあちょっとは気になるといいますか……」  あの日、ツインテールにうさ耳をつけメイド服を着た七星は今世紀……いや、伊田が思うに神話の世界から考えても史上最高に可憐で美しかった。伊田はあれから何度かななたんの画像を検索していたりもした。 「ななたん可愛いから、きっとハマると思うよ。今度Blu-ray持ってくるね」 「……女児アニメだからといって偏見は良くないですし。見てみます」 「ふふふ……語る仲間ができそうだな」  オタクは隙あらば沼にはめようとしてくる。  伊田がななたん同担拒否強火オタクと化すのは、また別の話。 *  そして後日。 「由宇、なんかつけてるか?」  隣を歩く由宇の匂いが違うことに、翔太はすぐに気がついた。 「やっぱ匂う? さっき香水貰ったからつけてみたんだ。七星と三谷さんが選んだらしいけど」  由宇の衝撃発言と同時に、翔太は壁に激突した。 「おい!? 大丈夫か!?」 「……大丈夫……」  メンタルは大丈夫ではない。  思いっきりぶつけた額をさすりながら壁をゴツッと叩いた。すごい音がした。由宇は壁にひびが入ったのか、翔太の骨が折れたのか、どっちなのか分からず困惑する。 「あいつら……っ」 「いやあのさ、ほんとに大丈夫か……? 手……」 「手は、大丈夫だ」  手は。  次に会ったら絶対にあいつらを一発殴ると、翔太は固く誓った。 【香水変えろ! 完】

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