124 / 142
独白
出会った時から、俺の世界の中心は由宇だった。
幼稚園のころから俺は無愛想で、周りから避けられていた。なのに由宇はそんなこと気にせずに、俺の持っていたおもちゃが気になるって理由で笑顔で話しかけてくれた。たったそれだけのきっかけだったが、隅でひとり遊んでいた俺を、みんなの輪の中に引っ張ってくれた。由宇が隣にいれば、自然と笑えた。おかげで他の人とも遊べるようになった。今となっては由宇がいれば他人なんてどうでもいいが。
由宇の笑顔を守るためならなんだってする、と決意したのは小学校1年のときだった。
『おかあさん、"いえで"したんだって……』
『いえで……?』
寒い冬、月曜日の朝だった。
毎日一緒に小学校に通っていて、その日もいつも通り、由宇の家に迎えに行った。家から出てきた由宇からは笑顔が消えていた。
『きのう、朝起きたら、おかあさんいなかったんだ。おとうさんに聞いたら、いえでだって……さがしにいこうとしたらおこられて……』
家のすぐ前で立ち止まり、由宇はうつむいて震えていた。
『いないのは、たぶん今だけだよな。はやくかえってきてほしいな……』
顔をあげた由宇はぎこちなく笑っていた。寒くて顔が赤いのかと思ったけど、きっと泣くのを我慢していたんだ。小さい俺は、なんて声をかければいいかわからなかった。どうにかして励ましたかった。オロオロと、手を繋ごうかと迷っていると由宇の家のドアが開く。由宇がビクリと肩を震わせた。
由宇の父さんだ。スーツを着て、宇多と手を繋いでいた。宇多を保育園に連れていくところだろう。その顔は普段よりも疲れているように思えた。
『ああ、翔太くん。おはよう』
『お、おはようございます……』
俺には笑顔を見せ、由宇の背中には叱るように声をかけた。
『由宇、早く行かないと遅刻するぞ』
『……うん』
由宇の声は震えていた。そして振り返らず、歩き出した。
寂しそうな背中。追わないと。側にいないと。
『翔太くん』
走ろうとしたとき、由宇の父さんに呼び止められた。
『ごめんな。由宇をよろしく』
申し訳なさそうに、無理して笑っている顔が、さっきの由宇に似ていた。俺は強く頷いた。
小さな背中に走って追いつく。
由宇は、静かに泣いていた。大粒の涙が頰を伝っていた。
『おれ、ずっとゆうのそばにいるから』
『……ほんと? しょうたはどこも行かない?』
『うん、だから泣かないで』
手を握ると、由宇はさらに涙を溢れさせた。
俺がこの子を守るんだ。
漠然とした由宇への思いは、そのとき決意に変わった。
俺は由宇の笑顔が好きだ。由宇にはいつも笑顔でいてほしい。この子を守るためならなんだってする。
ーー結局、由宇の母親が帰ってくることはなかった。
帰ってくると信じて何年も待っていたのに、いつからか由宇は母親の話をしなくなった。
離婚した、と誰に言われるでもなくわかってしまった。
出て行った時にはまだ家出だったのかもしれない。
でも由宇が成長したのに、離婚したと説明もせずそのままにしてしまった由宇の父さんに怒りを覚えた。何も言わずに出て行った由宇の母親にも。ハッキリ言われたら吹っ切れたかもしれないのに。
そうして由宇はだんだんと他人の心に不信感を抱くようになった。人に合わせて喋って、面倒事にならないように気を使い、うまく躱していた。
そうなっても俺の前では昔と変わらず笑ってくれた。嬉しかったんだ。俺にだけは心を開いてくれている。
自分は由宇にとって特別な存在だという優越感。
それに浸って、苦しんでる由宇を救おうとしなかった。分かっていたのに、自分の気持ちを優先させた。
この気持ちが恋心だと自覚したのは、中学2年の時だった。
互いの部活終わりに下駄箱で待ち合わせしていると、知らない女子が由宇を呼んだ。"話したいことがある"と、赤い顔で。内容はだいたい感づく。2人は校舎裏へ向かい、俺は由宇が戻ってくるのを待った。どうしようもない不安と焦り、胸のざわつきを感じた。
少しして由宇は1人で戻ってきた。居心地が悪そうな顔をしていた。
『……告白?』
『まあ……』
『付き合うのか?』
『知らない子だし、そんな気分になれなかった。だからあの子には悪いけど、断った』
『そう……か』
『相手のことよく知らないのに、なんで好きだって思うんだろうな。知っていって、嫌だって思うかもしれないのに。一目惚れだって言ってたけど……俺にはよくわかんねぇわ。帰ろうぜ』
安心した。よかった、由宇が誰のものにもならなくて。そんな自分勝手なことを思うと同時に気づいた。
この気持ちが、恋なんだ。
優しくて無邪気で屈託のない、あの笑顔が愛しくてたまらない。由宇の無邪気な笑顔を守りたい。最初はそれだけだった。いつのまにかそれは、
"ずっと隣にいてほしい、誰にも渡したくない"
醜い感情へと姿を変えていた。
隠さなければ。
こんな醜いもの、知られては駄目だ。由宇は俺を信じてくれているのに、バレたら由宇を傷つける。幼なじみでも親友でもいられなくなる。嫌だ。それならば、ずっと心に仕舞っていよう。言わなければいい。欲を我慢すればいい。
これから先、きっと由宇は普通に恋をして結婚する。由宇が選んだ人なら心を殺して、親友として幼なじみとして、応援するって決めた。
……気に入らないやつや怪しいやつを片っ端から遠ざけたのは、由宇を守るためであり、私利私欲のためではない。
しかし、由宇は誰とも付き合おうとしなかった。親が離婚したことで傷つき、他人と深く関わるのが嫌になっている。分かっていても、どこか安心感はあった。
由宇には幸せになってほしいが、恋をする気がないなら、俺にとっては好都合だった。由宇のいちばんが誰もいないなら、由宇の隣にいてもいいだろう。ずっとひとりでいるなら、俺が由宇をもらおう。それで、俺が由宇を幸せにする。
そうやって、"由宇を守る"という、自分の役目をこなして慢心していた。
なのに髙月が現れてから、全てが変わっていった。
ともだちにシェアしよう!