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溢した言葉

 "今日、母さんが由宇の分も弁当作ってくれた。あとで渡すな"  とメッセージを打ち、早めに家を出た。2個分入ってすっかり重くなった弁当袋を、翔太はグッと握りしめる。  2限の講義は由宇と同じだが、一緒には行かない。  由宇は大学生になってから、翔太に頼らず自立する!と宣言し、朝も頑張って起きるようになった。翔太としては残念だったが、そろそろ気持ちの自制が出来なくなっているので、少しずつ距離を取るようにした。  講義選択も多少ずらした。由宇と離れるための訓練だと言い聞かせた。  こうして、離れている時間は前より多くなり、由宇が1人になる時間が増えた。結果、由宇は2回も攫われてしまった。思い出しただけで、苛立つ。 (由宇には気持ちを言わないって決めたのに、揺らぎそうになる。俺はどうしたいんだ。言いたいのに言いたくない。そういう関係になりたいのに、なれない。我慢しないといけないのに、取られたくない。少しのことで決壊しそうになる。これからどうやって由宇に接していけば……)  真反対の気持ちがせめぎ合う。ぐしゃっと髪をかき乱したところで、後ろから明るい声がした。 「あっ、名越先輩!」 「お……(てつ)」  大学の門をくぐった翔太に追いついてきたのは、高校の時の空手部の一つ下の後輩の南川徹(みなみかわ てつ)だ。快活で体を鍛えるのが好きな徹は、部内で1番強くストイックな翔太に憧れ、よく懐いていた。 「お久しぶりです! 同じ大学でも、なかなか会えないすね!広いですし!」 「……そうだな」 「あの、なんか落ち込んでます?」 「別にそんなことは……」  徹はグイッと翔太の腕を引っ張る。 「俺、今はボクシングサークルに入ってるんす。ちょっとやっていきません? 別の方法で体鍛えると気晴らしになりますし!」 「気晴らしか……」  いかにも脳筋な提案だが、今の翔太にはそれがありがたく感じた。 「乗った」 「よっしゃ、じゃあ行きましょう!」 「待て、由宇にメッセージ送っとく」 「やっぱ尾瀬先輩の名前出てきた……変わってないすね……」 *  ボクシングサークルの部室からは、パンチの音が廊下まで聞こえていた。 「……せんぱい! 名越先輩!」  張り上げた徹の声が耳に届く。サンドバッグに打ち付けるパンチを止めた翔太は、まったく息を乱していなかった。 「そろそろ2限に行く準備しましょう」 「もうそんな時間か」  時計を見上げると、10時を指していた。 「いいな、ボクシング。思いっきり打つとスッキリする。ありがとな」 「それはよかった……けど、気迫がすごくて怖かった……ほんとに初めてですか? 俺より上手いんすけど……さすが名越先輩」  借りたグローブを外し、タオルで汗を拭う。入り口近くのロッカーの前で先に着替え始めていた徹の横に並ぶ。汗の滲みたTシャツを脱ぐと、鍛えられた腹筋が覗いた。 「着替えも貸してくれて助かった」 「予備で置いてるんすよ。いつ誰が体験来てもいいように」 「なるほど」 「後で洗濯機回すんで、そこ置いといてください!」  指をさされた場所にあった洗濯カゴにTシャツとグローブを入れ、着替えを済ましたところで、徹が切り出した。 「で、尾瀬先輩のことで悩んでるんすよね」 「……そんなことは」 「いや、分かりやすすぎ! 先輩が悩んだ顔するのなんて尾瀬先輩以外にないですもん。まあ……内容までは知りませんが」  後輩にまで気づかれるとは……と、翔太はため息をつく。これじゃ何のために隠しているのか分からない。 「そんなにか?」 「はい。この際だから言いいますが、尾瀬先輩の前でしか、名越先輩のガチの笑顔を見たことないです。バレバレです」 「……」 「自覚なし……」  呆れ顔でため息をついた徹は、じとりと翔太を見つめた。 「その悩み、尾瀬先輩に言わないんですか?」 「……言うつもりはない」 「言わないから悩んでるんですよね」 「あいつを傷つけたくないんだ」 「尾瀬先輩が傷つくかどうかは分からないじゃないですか」  それはそうだ。由宇なら笑って受け止めてくれるかもしれない。でもそれは俺の都合のいい妄想で、嫌われてもう隣にいられなくなるかもしれない。そうなったら……  翔太は爪の痕がつきそうなほど、グッと拳を握りしめた。 「傷つけるに決まってる。俺の気持ちを全部言ったら……今までそんな事を思いながら接してたって聞いたら……由宇がどんな反応するか……」 「そんな意地張らなくても……」  にゃーん…… 「ん、ねこの鳴き声? ここ室内なのに?」 「この猫の声……」  翔太の耳には、猫の鳴き声ともうひとつ、走って遠ざかっていく足音が聞こえた。 「……由宇……?」 「え? 尾瀬先輩?」  徹の疑問に返事もせず、翔太は血相を変えて荷物を鷲掴み、部室を飛び出した。 「すまん、徹! お礼はまた今度に!」 「は、はい……?」  徹は、バァン!と大きな音を立てて閉まったドアを苦笑いで見つめた。 (今ので気配でも感じ取ったのか……? 名越先輩、尾瀬先輩のことになるとほんと取り乱すよなあ。幼なじみ強ぇー)

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