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歪んでいく

 俺は聞いてしまった。翔太の話を。  今日は自分にしては早く準備ができて、余裕を持って家を出た。翔太からは香織さんのお弁当があることと、ボクシングサークルに寄るから講義に行くのはギリギリになるかも、とメッセージが来ていた。  大学に着き講義室に向かっていると、校舎内にリリィがいた。リリィなら大丈夫だろうけど誰かに踏まれたり捕まったりしないか心配になる。七星のところに連れて行ってやろうと抱っこして移動していた。が、リリィは俺の腕から突然飛び出して、走って廊下を突き進んだ。  やっと捕まえたら、そこはボクシングサークルの部室の近くだった。じゃあ翔太と一緒に行こうかな、ボクシングする翔太も気になるし……と、ドアを開けようとしたら、話が聞こえてきた。 「その悩み、尾瀬先輩に言わないんですか?」  悩み……? 思わず耳を立てた。  聞き覚えがある声。俺のこと知ってるってことは……翔太の後輩の、南川か? 「……言うつもりはない」 「言わないから悩んでるんですよね」 「あいつを傷つけたくないんだ」 「尾瀬先輩が傷つくかどうかは分からないじゃないですか」 「傷つけるに決まってる。俺の気持ちを全部言ったら……今までそんな事を思いながら接してたって聞いたら……由宇がどんな反応するか……」  心臓が急に重量を増した気がした。 「……っ」  俺に言いたくない悩みって何だよ。翔太の気持ちって、何。心の中では俺に何か思ってるってこと?  俺がワガママ言ったり、迷惑かけてばっかりだから……? 翔太は優しいから文句言ったりしないし……ずっと何かを我慢してたのか……? 「にゃーん……?」 「!」  俺の顔を見上げて、リリィが鳴いた。不安そうにしてたから、心配してくれたんだろう。でも、絶対向こうに聞こえた。話聞いてたの、バレる。逃げないと。  俺はリリィを抱いたまま全速力で逃げ出した。聞いてたって知られたくない。バレてないなら、やり過ごして、翔太と普通に話すんだ。で、迷惑かけないように、少しずつ距離取って、嫌だって思われないように言葉に気をつけて…… 「ーー由宇っ……!」  建物を出たところで、後ろから呼ばれた。翔太の声だ。足が速すぎる。あっという間に追いついてきた翔太に肩を掴まれた。今はまだ話したくない、心の整理ができてない! 「来てたんなら声かけてくれればよかったのに……」  やばい、翔太の顔見れない。振り向けない。 「……なあ、聞いてた……?」  不安そうな声だった。  だよな、そうくるよな。なんて言えば、なんて誤魔化せば。どうしよう。普通に、ってどうやればいいんだ。 「俺に……」  誰にだって他人に言えないこと、聞かれたくないことくらいあるだろ。俺だってある。  でも、吐き出してしまった言葉は止まらなかった。 「俺に話せないこと、あるのか……?」 「聞いてたんだな……」  翔太は眉を歪めた。世の終わりのような、諦めの表情。ショックだった。何かを隠されていることじゃない。俺のことでそんなにも悩ませて、我慢させているという事実が悲しかった。どうして翔太がそんなつらそうにしないといけないんだ。文句ぐらい言えよ。 「なあ、俺に言いたいことあるなら、言えよ。翔太が我慢することないだろ」  翔太は首を横に振った。 「……お前に言う気はない」 「はぁ……!? 言ってくれないとわかんねぇよ……!」 「由宇を傷つけたくないんだ」 「俺が傷つくようなこと、いつも思ってるのかよ」 「……」  突き放された。  否定しないってことは、そういうことなんだろう。 「じゃあ、無理して俺と居なくていいだろ……俺の世話焼いてくれてたのも、全部嫌々やってたのか!?」 「……ちが」 「そりゃ俺は、翔太にいっぱい迷惑かけたし、だらしないとこばっかりだけど……甘えすぎないようにこれでも頑張ってたよ。でも心のどっかでは翔太なら許してくれるって思ってて……それもダメだってことかよ……」  ダメだ。止まらない。言葉を止めたら涙が出そうで、そんなカッコ悪いところ見せられない。 「幼なじみだし、親友だから、悩んでるなら話して欲しいのに、俺のせいで我慢させてたなんて……」 「……違うんだ、由宇。由宇にはなにも気にせずに、そのままでいてほしいんだ。俺はそのままの、元気な由宇が……いや、我慢は俺がすれば……」 「我慢すんなって言ってんだよ!」  翔太が言葉を詰まらせた。 「話せないなら、もういい。我慢するんだったら、俺と一緒にいない方がいい。今まで迷惑かけてごめん。もう、大丈夫だから」  吐き捨てて、そこから逃げ出した。  走って走って、校舎裏のベンチに座り、息を整える。深呼吸をしていると、我にかえる。さっきの発言を思い出して、心臓が痛んだ。 「あんなこと、言うつもりじゃなかったのに……どうしよ、リリィ……」  心配してくれてるようなリリィの鳴き声。抱きしめた腕の中のリリィがあったかくて、余計に悲しくなった。講義になんか行く気にならなくて、丸一日、休むことにした。 *  由宇に話を聞かれていた。  言い訳も考えないまま、夢中で由宇を追いかけた。何か言おうと思ったが、何も出てこない。由宇は勘違いしている。  俺が由宇を嫌うわけないだろ。大好きなんだ。抑えがきかなくなるくらいに!  この状況で、どうやったら誤解を解ける? 分からない。言葉を詰まらせるうちに、どんどん歪んでいく。 「話せないなら、もういい。我慢するんだったら、俺と一緒にいない方がいい。今まで迷惑かけてごめん。もう、大丈夫だから」  走り去る由宇を、追いかけることはできなかった。  そんなこと言って欲しいんじゃない。そんな表情させたくない。困らせたくない、傷つけたくない、笑っていてほしい。俺が我慢すればいいだけなのに、黙って感情を押し殺しておけばよかったのに。  大事に大事に、守ってきた関係。  それを俺が、壊した。 「ごめん、由宇……」  これは罰だ。  由宇への気持ちを隠して、嘘をついて騙していた俺への罰だ。  渡せなかった弁当が、手の中でもっと重く感じた。

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