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笑顔が好きだから

 翔太と喧嘩した次の日。うまく眠れるわけもなく、気分は最悪だった。  空きコマの暇をつぶすため、トボトボと図書館へ向かっていると、玲依が元気に駆け寄ってきた。 「由宇!これ今日の実習で作った焼きドーナツ。食べて!」 「ああ、ありがと」 「味もいろいろあるよ。プレーンとココアと苺と抹茶と、それからゴマと……」  受け取った紙袋から焼き菓子のいい香りがした。食べるの楽しみだな……と、そう思うことで気分をあげようとした。 「由宇、何かあった?」 「え……」  顔を上げると、玲依が覗き込んできた。 「元気ない? 体調悪い?」 「あ、いや……そんなことは……」  思わず目を逸らした。隠してるつもりなのに。なんで分かるんだ。詰め寄ってくる玲依から離れようと、じりじりと後ずさる。 「全然笑えてないよ、由宇。何かつらいことあった? 俺、何かした?」 「いやっ、玲依じゃない。大丈夫、何でもないから!」 「由宇……目、逸らさないで」  紙袋を持ってない方の手を、パッと取られた。 「俺、由宇にそんな顔してほしくない。笑っていてほしいよ。由宇が抱えていること、俺も一緒に持つから……悩んでるなら話して」 「……!」  玲依なら、こういう時どうするんだろう。  でも玲依に話してどうにかなる問題じゃない。俺が悪いんだから、俺が1人でなんとかしないといけないんだ。 「そう言ってくれるのは嬉しい。でも……俺の問題だから」 「話すだけでも、気分は軽くなるよ」 「……っ、ごめん!」  玲依は心配してくれているのに。  俺は手を振り払って、逃げ出した。他人の気持ちに向き合うのが怖くて、また、逃げてしまった。 「話せるようになったらでいいから! 思い詰めないで! 俺は由宇の味方だからね!」  玲依の一生懸命な言葉が、虚しい心を鳴らすような気がした。 * 「ありがとうございました! またお越しくださいませ!」  翔太と喧嘩して、土日を過ごし、次の週になってしまった。時間だけが過ぎていく。講義室では別々に座るし、目も合わない。  あれから何度も考えた。言いすぎたし、謝りたい。けど、翔太が俺ともう関わりたくないならこのままでも……ああでもなあ……これで終わりなんて嫌だ……翔太と喧嘩なんてしたことないから、仲直りの仕方も分からない。  そんな感じで、講義にも課題にもバイトにも身が入らない。接客業だというのに、気を抜いたらすぐため息が出てしまう。 「はぁ……」 「わっ!」 「うわぁ!?」  耳もとで叫ばれて、心臓が跳ねた。振り向くと、井ノ原先輩が意地悪に笑っていた。 「お、脅かさないでください……」 「元気ないな?」 「!」  先輩まで鋭い……そんな顔に出てるのか……?  笑顔で誤魔化さないと。 「いえ、特には! いつも通り元気です!」 「……」  両腕をムキムキとポーズをとってみるが、井ノ原先輩はじとっ……と眉を寄せて見つめてくる。やばい、全然誤魔化せてないぞこれ…… 「何かあったろ」 「……多少は……」 「相談、乗るぞ?」 「だ、大丈夫です。そんなの悪いですし」  手をブンブンと振ると、井ノ原先輩は複雑そうに笑って肩を落とした。それで、俺の頭をポンポンと撫でた。 「俺じゃなくても、お前の助けになってくれるやつはいっぱいいるんだから。そんなに考え込むなよ」 「ありがとうございます……」  井ノ原先輩も心配してくれた。  ……あれ以来、玲依にも申し訳なくなって、あまり話していない。いや、玲依が気を使って1人にしてくれているのかもしれない。俺今すげえ暗いし……一緒にいてもつまらないだろうし……ああくそ、どんどん気持ちが沈む! *  悶々とひたすら悩みながらバイトをする由宇の姿を、玲依と七星は同じテーブルに座り、見ていた。今日は玲依の双子の妹である芽依も一緒だ。 「今日も元気ないなあ……由宇……」 「だね。まあ原因はあれしかないでしょ」  玲依と七星は声を揃えて同じ人物の名前を出した。 「名越くん」「翔太くん」 「おお、息ぴったりだね」  茶化してくる芽依を同時に睨むが、芽依は気にせず話を続けた。 「やっぱりあの落ち込みの原因は名越くんなんだ?」 「ここ数日、一緒にいるところ見てないから。喧嘩の理由は分からないけど」 「あれだけボディーガードしてたくせにね。おかげで由宇くんに近づき放題」 「そうそう、講義のときも離れて座ってるし、話してるのも見てないんだよね」  芽依が腕を組み頷いていると、玲依はとある事を思い出す。 「そういや、名越くんにお弁当もらったって言ってたよね」 「は? 由宇くん以外に何かをあげたの? それこそ天変地異だろ」 「うん、3日前かな。尾瀬くんが丸1日講義に来なかった日があって~、その時に名越くんがめっちゃ怖い顔で近づいてきて『余ったからやる』って。ドンって目の前にお弁当箱置いてったんだよねー」  身振り手振りを大きくつけて、翔太のマネまでする芽依。この双子、よく翔太くん相手にビビんないな……と思いながら、七星は頬杖をつく。 「たぶん名越くんのお母さんが尾瀬くんの分も作ったんじゃないかな。母の味って感じだったし、すごい丁寧なお弁当だったし、女の子が食べるには量が多かったもん。食べたけど」 「はは、妹ちゃん太るよ」 「女の子に太るとか言わないの! で、その日尾瀬くんは体調不良なのかなって思ったんだけど……」 「その日に、2人の間で何かあったんだろうね。次の日には由宇、落ち込んでたから」  玲依と芽依は双子らしく、同じ仕草でうーんと考え込む。七星はハッと嘲笑した。 「まあ、なんにせよ好都合。今のうちに弱ってる由宇くんに取り入って甘やかして好感度アップ♡」 「……いや、由宇が元気にならないと意味がないよ」 (このまま放っておいたら2人の仲は戻らないかもしれない。そうしたら由宇はずっとあのまま、名越くんのことを引きずって、つらい思いを抱えながら過ごすことになる……俺は、由宇の笑顔が好きだ。由宇が心から笑えるように、幸せにしたい。だから!) 「はあ? マジでお人好しがすぎるでしょ。翔太くん邪魔だし。一生喧嘩してろ、バーカ」 「そうだけど、由宇が笑顔じゃないと、俺は嫌だ。由宇はまだ喧嘩の理由を教えてくれそうにないし……無理矢理聞き出すのは嫌だし……よし、こうなったら、名越くんのところに乗り込む!」  玲依は気合を入れて立ち上がり、拳を握った。 「え、玲依今から行くの?」 「由宇にあんな顔させて放っておくなんて、ドカンと怒ってやる!」 「へーへー、俺はその熱血テンションついていけない。勝手に行けば?」  まあ玲依だしね、と笑う芽依と、呆れてめんどくさそうな七星。2人に別れを告げ、玲依はずんずんと会計に向かう。手を上げて、近くにいた由宇を呼んだ。 「帰るのか?」 「うん。行ってきます!」 「なんだその気迫……」  玲依の決意を知らない由宇は、先日の件の気まずさから、せっせと会計をしてお釣りを手渡す。玲依はその手をぎゅっと握り、 「由宇、大好きだよ!!」  大きな声で真っ直ぐに言い放ち、強い足取りで店を後にした。  カフェ内には、真っ赤になった由宇と、聞こえてきた告白にきゃっきゃと盛り上がるお客さんが残された。

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