3 / 20

第3話

「うん。いや、可愛いんじゃない? 知らんけど。男で人間だしね。うん。でも、犬だなって思う所もあって楽しいよ?」  誰かの声がする。 「そんな趣味はねぇーよ。あり得ん。お前も見にこれば? 遠慮すんなよ。お前ぐらいだよ? 私が家誘うの。は? お前相手にはないわ」  楽しそうな声がする。  ああ、今日もお勤めしたんだっけ? 格子の向こう側にまだ人がいるのか。  早く帰ればいいのに。 「そうね。うん。いや、結構こっちも手詰まってるよ。早くしたいんだけどね。えー。ないない。私の事殺したい奴いっぱいいんじゃん。自分の子供たちにモテてもなー。そっちはどうよ?」  早く、テレビの時間になんないかな。  早く、終わらないかな。 「青森? 遠いな……。いや、行くよ。うん。可能性があるなら行く。いや、多分日本で間違いはないよ。なんたって、この島は秘非のガラパゴスでしょ? 私達が知らない神が数多に存在する。絶対に見つけるさ」  神……。  ああ。また、神様か。  馬鹿みたい。神様なんて居ないのに。  居たら、俺が神様なら、俺はこんな所にいないのに。  いもしない神様に群がる蟲は皆んな馬鹿だ。  叶えられる訳がないのに。そんな汚いもんぶら下げて、欲を神様にぶつけて、幸せなのはお前らだけなのに。  何が救ってくださいだ。  笑わせんな。  反吐が出る。  幸せになりたいのは、お前らじゃない。  俺の方だよ。  汚い手で俺に触るな。  糞野郎共。 「大丈夫?」 「え?」  目を覚ますと、お兄さんの顔があった。 「魘されてたけど?」 「あ……。うん、大丈夫……」  あれ? 格子がない……。あ、そうか……。俺、お兄さんに飼われてるんだっけ。  あれは夢か。 「って、俺何で寝てんの!?」 「私が軽く床に押さえ付けたら、気を失っちゃって」 「お兄さんのせいじゃん!」 「ま、そうなんだよね。だから、魘されて心配になっちゃったのよ」  心配?  俺を……? 「ごめんねー。力加減出来なくて」 「……いや、失神するぐらい押さえ付けるならしないでよ……」 「うん。次からは違う事にする」  反省はしてないな、コイツ。 「お兄さんさ、電話してた?」 「ん? あ、もしかして起こしちゃった?」 「いや、ぼんやりと起きたのかも? 誰か喋ってんな? と、思ってただけだし」 「ごめんね。私、ずっと一人だったらそう言う気遣い出来なくて。次からは気をつけるから」 「いいよ。俺もずっと一人だったし。誰かが部屋の中にいるって、いいね。なんか安心するかも」 「……安心、する?」 「え? しない? まー、そこら辺は人それぞれだもんな。俺はちょっと安心したよ。起きてお兄さんが居てくれたの」  目が覚めれば誰もいない。  どれだけ魘されても、誰も起こしても助けてもくれない。  今日も絶望の朝が来る。 「……ふーん? じゃ、これからは安泰だね。私がいるから」 「そうだね」  犬として生活しんとダメなところがダメだけど。  でも、悪くはないかな。  犬でも心配してもらえるなら。 「ん?」  お兄さんの長くて白い指が、俺の頬を撫ぜる。 「何?」 「まだ眠い?」 「んー? どうだろ? 寝ろって言われたら寝れそうだけど」 「じゃあ、寝よっか?」 「別に良いけど、お兄さんは?」 「私? 私も寝ようかな?」 「あ、じゃあベッド退くね」  そう言う事ね。  確かに今、俺がベッド占領してるし。 「え、いいよ。一緒に寝よ? よくあるじゃん、犬がご主人様のベッドに入り込んでくる奴」 「あるけどさ、俺、見た目人間よ? キツくない?」  どちらかと言うと、潜り込んできたのはそっちだし、いくら広いベッドでも男と一緒にはなぁー。精神的にキツくない? 「私平気ー。ハチの事は犬だと思い込んでるから大丈夫!」 「洗脳じゃん」 「ま、いいじゃん。ほら、寝た寝た。子守唄歌う?」  お兄さんは、そう言うと本当にベッドに潜り込んでくる。  やっぱり、この人全然わかんねー。  俺だったら嫌だけどな? 「ははは、それって犬じゃなくて子供じゃん」 「そうだね。でも、もう子供は要らないかな……」 「子供いんの?」 「んー。それは難しい質問だね。ほら、マフィアとか自分の幹部とかの事子供って言わない?」 「知らんけど? 俺、マフィアの知り合い初めてだもん」 「そっかー。あ、今度映画観ようか?」 「テレビないじゃん」 「あー。買う? 買っちゃう?」 「お兄さんがいいなら。俺、テレビ好きだし」 「そうなん?」 「うん。楽しいじゃん。ずっと観てられるし」  人が、いる。  人が人の形を保ってそこにいる。そんな人間が、外には大勢いる。  何と素晴らしき世界なのだろうか。  世界は希望に満ちている。  そう、俺以外は。 「……じゃ、買おっか。楽しみにしてて?」 「うん」 「寝ようか。おやすみ」 「おやすみー」  少しだけ伝わる冷たい体温に目を閉じる。  夜みたいに静かな人を背に、俺は静かに眠りに落ちた。  お兄さんに拾われて、一週間ぐらいが経った頃だ。  ビンタの数も減ってきて、お互いがお互いの存在に慣れてきた頃。 「ハチー。ご飯だよー」 「わーん」  青虫の絵本を簡易本棚に戻してキッチンに俺は走る。 「今日はお弁当です」 「魚じゃん。やった!」 「君、何でも喜ぶね」 「食べれればね。魚も肉も好き」 「よしよし。沢山食べて大きくおなり」  この一週間、犬としての心得が身に染み付いてきたと言うのに、未だに飯は箸で食べている。 「そういや、お兄さんはご飯食べないの? ご飯家で食べんよね? 水しか飲んでるとこ見たことないし」 「私? んー。外で食べるし、そんなにお腹空く程若くもないしねー」  結局、お兄さんの年齢は未だに謎だ。  どうしても知りたい訳じゃないけど、あの時の正解ぐらいは知りたいと思う。 「お兄さん、結局何歳なん?」 「あー。そう言えば正解言うの忘れてたね。今は何歳だと思う?」 「また気絶はやだよ?」 「今度はノーリスクノーリターンだから大丈夫。何もしないって」 「本当? んー。でも、聞かれても困るかな。すげぇ大人な時もあれば、すげぇ子供かなって思う時もあるし。正直、全然わかんねぇ」 「はは、子供に子供って言われちゃうかー。心は常に少年なんだよね、私」 「で、何歳なの?」 「んー。そうだね。千歳ぐらいだったかなー?」 「そう言う冗談はいいから。何歳よ?」 「ははは。ハチが当てることできたら教えるよ? 次からはハイリスクハイリターンだけど」 「いや、ハイリスクはもういいって」 「次は手加減頑張るよー?」 「頑張るところがそこじゃないんだよなー!」  結局、有耶無耶にされたか。  この人、そんなに情報くれないんだよな。  答えてるようで、大抵はこうして煙に巻くし。  飯もそうだ。 「あははは。ねぇ、ハチ。ご飯おいし?」 「美味いよ? お兄さんも食う?」 「いや、それはハチのだからハチが食べて?」 「ん」  人がご飯食べるの眺めるの、何が楽しいんだろ?  いや、この人には犬が飯食ってる感じか? 箸使って立って食ってるけど。  しかし、見られなら飯を食うのって何か毎度のことながら食いにくいんだよな……。一人だけだし。  お兄さんが一緒に食ってたら良かったんだけど……。 「お兄さんさ」 「うん?」 「良かったら次は一緒にめ……」  飯を食わない?  そう言いかけた時だ。  ケータイの音が鳴る。 「あ、電話」 「俺食ってるから、お兄さん出て良いよ?」  珍しいな。  この家に来て初めてケータイ鳴ってるの見るかも。 「あ、本当? ごめんね」 「ん」  お兄さんは俺に何故か謝ると鞄からケータイを取り出して電話に出る。  仕事の電話かな?  聞いてていのかな? 「はーい。何?」  不躾ー。  名乗りもしないのか。  いや、俺も電話出たことないし分かんないけど。 「今? 家にいるけど? え? うん。そっちの家」  どっちだよ。 「ああ、うん。今ワンコに餌あげてるから忙しいんだよね」  いや、忙しくないし!  一人で食えるし。 「うん。今からは無理だね。いや、まだ子犬だよ? 正気?」  アンタが正気か?  はぁ。  俺は飯を置いて、お兄さんの服を引っ張る。 「ん?」  お兄さんがこちらを見ると、俺は極めて小さい声で大きく口を開けた。 「俺は、大丈夫だから。行ってあげて?」  身振り手振りを加え、大丈夫だと伝えるがお兄さんはポカンと俺を見るだけ。  あれ? 伝わってない?  聞こえないかな? 「お兄さん、行ってあげて?」  次は少しだけ声のボリュームを上げてみる。  しかし、お兄さんは動かない。  え? 何で? 流石に聞こえたでしょ?  聞こえなかったにしても、もっと他にリアクションないとわかんねぇよ! 「……お兄さん?」  電話の向こうも、何か言っている様に聞こえる。  え? そんなに無視していいの!? 「お兄さん、電話……」 「……うっせぇ! お前ちょっと黙ってろ! 今ハチが喋ってるんだよ!」  漸く動き出したお兄さんはケータイに怒鳴ると、すぐさまケータイをベッドに放り投げて俺の腕を掴む。  あ、マジで?  これは、余計なことしちゃった感じ? 「ご、ごめんな……」  さい。そう言いかけた時だ。 「今の犬っぽくて凄く良かった! 飼い主のこと気にしてます感、感じだよ!?」  ん? 「うちのワンコ滅茶苦茶良い子すぎない? 健気! ご飯食べてるのにこっち来て、そんなこと言うんだもん! 感動しちゃった!」 「う、うん?」  あ、あれ、感動してたから動かなかったの?  お兄さんは壊れたオモチャみたいに俺の頭を撫ぜまくふけどさ。 「えらいねー! えらいねー!」 「あ、あのさ、お兄さん、電話いいの? 褒めてくれるの、俺は後でも全然構わんし。電話の向こうの人もお兄さんの事呼んでたよ?」 「……あー。……うん。ちょっと待っててね?」 「ん」  マジであの人の感性謎。  めっちゃビビった。でかい事もあって、腕掴まれた時に死ぬかと思ったじゃん。 「はい、うん。ごめんごめん。いや、うちの可愛いワンコが可愛くてね? 聞く? 聞かせて欲しい? 聞けよ。おい」  何事もない様に電話してるところを見ると、良かったのか?  とりあえず、俺は飯の続きでも……。  無駄に恐怖でドキドキと跳ねる内臓を宥めつつ、俺はキッチンに向かう。  怖っ! マジ怖っ! 普段ニコニコしかしてないから、あんな怒る事あるん!? めっちゃビビった!  そういえば電話の向こうの声は、女の人の声だったな。  恋人だろうか?  恋人、か……。  だったら俺飼うより恋人飼った方が良くないか!?  そう言うプレイ的な感じで!  普通に恋人は嫌だけろうけどさ!? いや、でも、あの人と付き合える時点でまともな感性なわけがなくない? いけるんじゃない? いけるんじゃないの? 知らんけど。  それにしても、何度考えても、何で俺を犬としての飼うことになってんのか。  マジであの人の考えてる事、全然わからん。  あの日以来、俺がお兄さんの犬っぽいと思う事をすると、今まで以上に褒められて喜ばれると言うことが分かった。  死からは遠くなるが、精神的にキッツイ。  テンション上がると頬擦りとかするからね。大の大人の男の頬擦り、正直幾ら顔が良くてもメンタルに来る。 「ハチー」 「わーん?」 「私今から出掛けるんだけど、遅くなりそうなんだよね」 「うん」 「ご飯遅くなっちゃうかも」 「いいよ。ドッグフード食べてるし」  最早ドッグフードはおやつ感覚だ。  人間としては落ちたものだが、慣れれば全然大丈夫。 「本当? なるべくすぐ帰ってくるから良い子にしててね」 「ん。分かった。気を付けて、行ってらっしゃーい」 「うん、行ってきます」  俺はいつもの様に笑顔で手を振る。  そして、お兄さんも。  だからこの時も、いつも通りに直ぐにご飯を買って帰ってきてくれると思ってた。  あの人、嘘は言わなかったから。  まさかそれが、あの人を見た最後になるなんて、この時は考えもしなかったんだ。

ともだちにシェアしよう!