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第4話

「……水、後十本か。十リットル……。早めに水道水に切り替えるべきだったな……」  俺は冷蔵庫の前に座り込む。  お兄さんが出掛けて、あれから何日経ったのかは分からない。少なくとも、五日以上は経っているだろう。あれから彼は帰ってきてない。  こんな事、初めてだ。   「水だけで人間、何日生きていけんのかなぁ……」  空になったドッグフードの袋を見て、ため息を吐く。  気分は絶望だ。 「……はぁ」  気を付けてって言ったのに。  いや、この可能性を考えなかった自分にも非があるか。  だって、相手はマフィア。堅気の仕事じゃ無い。いつ帰れなくなってもおかしくは無いのだから。 「すぐ、帰ってくるって言ったのに……」  嘘つき。  変な人で、ぶっ飛んでる人だったけど。  嘘だけは、吐かなかったのに。  最後の嘘がこんなのなんて、酷すぎる。 「……腹減ったなぁ」  少しだけ、涙が込み上げてくるが直ぐに腹の虫に食われてしまう。  ああ、やっぱり人間飯食わないとダメだわ。  水だけじゃ、ちょっとしんどいかも。 「……いつ帰ってくるんだよ……」  俺さ。本当にさ、ちょっと馬鹿かもしんない。  この部屋、時計もカレンダーもないからさ、本当はさ、お兄さんが出掛けて数時間しか経ってないんじゃ無いかって、何処かで思ってるんだよね。  いつもみたいにさ、ご飯持ってさ、遅れてごめんねっ! て、頭なぜられてさ。  いい子で待たねって、頬擦りされてさ。  男にされても嬉しくねぇーし、とか思いながらも褒められる事嬉しくてさ。  誰も、褒めてくれなかったから。  誰も、近くにいてくれなかったから。  お兄さんが褒めてくれるなら、ま、いいかなって。  犬でも猫でも何でなるし、何でもするよ?  俺、何でもするの得意だよ。  ずっと、してきたもん。 「だからさ、早く帰ってきてよ……」  何で、俺は神様じゃないんだろう。  何が神の子なんだよ……。 「……」  それから、多分数日経ってるよな。  もう、頭は碌に動かない。  身体を動かす気もない。水だけは飲んでるけど、もうペットボトルのキャップを自分で開けられないし、冷蔵庫の扉を開ける事もできない。  扉の前で、ただただ蹲ってるだけ。  このまま、多分死ぬんだろうな。  ま、良いけど。別に。  死にたくないけど、死にたかったし。  痛く死ぬのは嫌。殺されるのも嫌。でも、死にたい。楽になりたい。  我儘な俺には丁度いい死に方かもしんない。  餓死って考えた事なかったけど。  楽で痛いは、別方向になっちゃったけど。  生まれてこの方、運には見放されていた。  でも、今は少しついてるかも。こんな死に方だけど、お兄さんに拾われてからは少しマシだったな。俺、犬の才能あんのかな。  人の才能はなかったけど。  次は犬に産まれたい。  そしたら、また飼って、褒めてよ。 「……ね? おに、い、さん……」  最後に会った人間が、お兄さんで良かったな。   「ハチっ!!」 「ヘム、落ち着けって。まだギリギリ正気が見える。生きてるから」 「落ち着けるかっ! ハチっ! ハチっ!」 「触るな。犬を殺したくなかったらお前は退いてろよ」 「……た、助かるのか!?」 「今度はお前が犬になればな。おすわりでもしろ、犬野郎」 「……ワン」 「はっ。夜の王がワンって。最高に笑えるじゃん?」 「笑ってろよ。だが、もし、ハチが助からなかったら、お前も犬の様に殺すからな? リリ」 「……ワーン。はは、おもしろ」 「……あれ?」 「おや、目が覚めたかい?」  俺が目を覚ますと、見知らぬ綺麗な女人が座っていた。  お兄さんも綺麗だったけど、このお姉さんも凄く綺麗。 「……誰?」 「誰だと思う?」  え?   突然のクイズ? 「いや、分からんし」 「そりゃそうだ。よく寝てたな。体は動くか?」 「え? あ、うん。動くよ」  あれ?  そう言えば……。 「俺、死にかけてなかった?」  ここ数日記憶曖昧だけど、確かお兄さんが帰ってこなくて、食べるものもなくなって、水も……。 「俺っ、何も食べてなくてっ! 何も動けなくなって!? あれ!? 今は動けるの何で!?」 「元気じゃん」 「今はね!? あれ……? 本当、お姉さん誰……?」  何か、声も聞いた事ある様な? 「私は、リリだよ。ハチくん」  ハチ? 「……あ、俺の名前だわ」 「頭も動くね」 「うん。でも、ここ病院じゃないよね?」  見慣れた部屋だし。 「病院の方が良かったかい?」 「いや、別にいいんだけど、何も治療受けた跡もないし……、何で俺生きてんの?」 「意外に賢いじゃん。私が治したんだよ」 「お姉さん、お医者さん?」 「ま、そう言うプレイもするな」 「プレイ?」 「私はただの高級娼婦。君のご主人様に脅されて泣く泣く頑張って君を治したんだ。感謝してくれよ?」  え?  娼婦ってあの?  えっちな事するお姉さん?  いや、それよりも。 「お兄さん生きてんの!?」  まずは、そっちだろ。 「ブフッ!」  お姉さんが俺の言葉で何故か吹き出してるけど、何で!? 「何で笑うの? てか、鼻水出てるけどテッシュないからタオル使う?」 「有難う、でもいらんよ。いや、あいつが死んだとか思うなんて、面白すぎるから……。あははは。おもしろ。そんな想像よく出来るな」 「だって、お兄さん全然帰ってこなかったし!」 「うん。そうだね。君の事、仕切りに気にしてたけど、中々帰れなくてね。急な襲撃だったから、彼奴も随分と手を焼いてたよ」 「襲撃!? お兄さん大丈夫なの!? 怪我とかないの!?」  マフィアだもんな。  そんな事、あるよな。  お兄さん、大丈夫なのか?  お兄さんがここに居ないって、まさか凄い怪我してるんじゃ……? 「あははははっ! ちょ、ちょっと待って! け、怪我って! あはははは! 無理っ! 死ぬ! ヤバいな。君の笑いのセンス」 「また笑う!? そんな笑う!? だって襲撃だよ!? 怪我とか、するじゃんっ!」 「彼奴が? しないよ。そう言う次元の男じゃないからね。あー。おもしろ。内臓の場所変わるかと思ったよ」 「じゃあ、お兄さんは……?」 「怪我一つせずにピンピンしてるよ。今は、君のご飯を買い出しに行かせてる」 「怪我、ないんだ……。よかった……」 「良かったか? 彼奴が死ねば、君は晴れて自由の身なんだぞ? 犬の真似事に付き合わされる必要もなくなるし、こんな狭い部屋から出れるし」 「いや、この部屋広いよ?」  「……そう言う話じゃないんだけど?」 「んー。ま、お兄さんの犬もそんな悪くないよ。俺、犬以下の生活してたら、今少し幸せだし」 「犬以下?」 「そ。犬以下。皿だったし」 「……君、若いのに苦労してるね。聞いてるだけで疲れる奴だ」 「うん。だから、聞かない方がいいよ。俺も思い出したくないし」  人に話す気もないし。 「でも、あの男の犬は少し可哀想だ。酷い男だろ?」 「そう? ま、犬度が足りないってビンタしてくるし、そもそも俺を犬に見立てて飼うとか言い出してる時点でぶっ飛んでるけど、ちゃんと俺の話聞いてくれし、ご飯くれるし、朝起こしてくれるし、いい人だと思うよ?」 「……はは。良い人ね。それは笑えないな」 「マフィアだから?」 「マフィア?」  お姉さんが少し顔を上げて俺を見る。 「誰が?」 「え? お兄さん」 「は? 彼奴が? 何で?」 「何でって……、マフィアって自分で言ったし?」  あれ?  これ内緒だったのか?  不味い奴か?  あれ? そう言えば……。  あ! そうだ! この声、思い出した! 電話の女の人の声だ!  え!?  リリさんって、お兄さんの彼女!?  美男美女だし、確かに顔の偏差値的にあり得る……。 「マフィアねぇ……。あー。成る程。全て理解した。うん、成る程、わかった」 「え、あ、あの、お姉さん? さっきのは、俺の聞き間違いかもしれなくてですね?」 「ハチ君、君ってさ神様とか信じる?」 「え?」  何で突然? 「全然信じないけど?」  だって、居ないし。 「そう。日本の大半は無宗教だけど、神様や幽霊とかは信じてる人多いじゃない?」 「あー。そうかも」  だから、蟲が群がるんだよ。 「俺は信じないよ。だって、いないもん。この世界に居るのは、人間だけだから」  神様も悪霊も鬼もみーんな、人が作り出したものに過ぎない。 「はは。大きく出るね、人間の癖に」 「だって、俺たち人間でしょ?」 「ま、君はそうかな。私も彼奴も無神論者ではないからね。神様はいるし、化け物もいる。人間なんて、些細なもんだよ」 「文化の違いってやつ? リリさんも日本人じゃないよね?」  背も高いし。  顔立ちも日本人離れしてるし。いや、どちらかと言えば、これだけ綺麗だと人間離れ? お兄さんもだけど。 「ああ。違うね」 「どこの国の人なん?」 「私はイタリアぐらいかな?」 「お兄さんは?」 「彼奴? 彼奴は知らん。リトアニア当たりじゃないか?」 「リトアニア?」 「ヨーロッパの北の方」 「あー。ヨーロッパね。ぽい」 「ま、何処で産まれたかなんてどうでもいいからね。私も彼奴も、覚えてないよ」 「ふーん? そんなもんなの?」 「そうそう。歳を食うとね、そうなるんだよ」 「歳って……。お姉さん若いでしょ?」 「そう見えるかい?」  あれ? なんかお兄さんと言ってる事被ってくるな。 「お姉さん、何歳に見てるって質問する気?」 「おや、勘がいいね。何歳に見える?」 「もう、それお兄さんとやり飽きたよ。絶対教えてくれないやつじゃん」 「ははは。私は二十三だよ。彼奴は知らんが近いんじゃない?」 「え?」  え?  二十三!? 「若いじゃん」  いや、それよりも答えてくれたってことの方がびっくりなんだけど。  と言う事は、お兄さんやっぱり二十五じゃん。  あー。ニアピン。  しくったな。これ。 「二十三歳に見えるかい?」 「うん。見える。でも、雰囲気はもっと大人っぽいね」 「そうかい? 有難う。そう言う君は何歳なの?」 「俺? 俺ね、多分十五ぐらい? 十月で十六になんよ」 「おや、高校生ぐらい?」 「ん、そんぐらいだね」 「へー。若くて良いね。美味しそうだ。初体験はまだ?」 「何の?」 「何のって、高級娼婦がそう問いかけてるんだから、一つしかないだろ? 性行為だよ、性行為」 「……えっ!?」  ええっ!?   「はは。答えなくてもいいよ。その反応を見れば一目瞭然だしね」 「いや、だって……、そんな機会ないし……」 「欲しかったら彼奴に頼んで連絡をおくれ? そう言う商売をしてるからね」 「いや、え!? お姉さんが!?」 「ははは。最初に私とヤるのはオススメしないね。普通の女じゃ勃たなくなるよ? そのかわり、死ぬ程天国見せてやれるけど、使い物になりたくないなりやめときな? 普通に可愛い子派遣してあげるから」 「派遣て……」 「言っただろ? そう言う商売だって。抱えてる子はたくさん居るよ? 好みある?」 「いや、無いけど!?」 「無いのか。作っておくといいよ。好きなものを作るのは、人生において必要な事だから」  好きなもの、か。 「うん……。それは、わかるかも。俺、何も好きなもんないしね」 「何も?」 「ないよ。あ、でも、うさぎさん好きかな。一回、抱っこした事あるんだ」 「へー」 「白いウサギでさ。凄く可愛かったんだよ。でも、大人に見つかる前に逃さなきゃいけなくて、結局少ししか抱っこしてないんだ。けど、暖かくて、もっかい抱っこするのが俺の夢の一つなんだ」 「……これはまた……」 「あ、笑う? いいよ。俺も、すげぇ下らないって思ってるから」 「笑わないよ。夢がある事は素晴らしき事だからね。どんな下らなく可愛らしい夢でも、私は良いと思うよ?」 「……はは。ありがと」  お姉さん、やっぱりお兄さんの彼女だな。  すげぇ良い人じゃん。  俺の言葉、何一つ否定しないし。  話を聞いてくれるし。  ああ、二人の子供に産まれてきたかったな。  そしたら、幸せだったかもしれないのに。 「少し寝るかい?」 「俺、寝てばっかりなんだけど?」 「本調子じゃないからね。身体は少し眠そうだよ?」 「え? 嘘」 「本当、本当。私はそう言う事に特化してるから。もう少ししたら彼奴が帰ってくるよ。帰ってきたら起こしてあげる」  そう言うと、お姉さんの冷たい手が俺の目を包む。  あれ?  本当だ。  何か、眠たくなってきた……。 「うん……」 「おやすみ、ハチ君。怖い夢は、お姉さんが食べてあげよう。特別だよ?」 「おやすみ、なさい……」  俺はそのまま目を閉じて眠りにつく。  何で、こんなにも眠いんだろう。  何で。  何で、こんなにも、静かな眠りなんだかろうか。  

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