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第5話

「リリっ! ハチが起きたって本当!?」 「煩いな、ヘム。今は寝てるから静かにしろ」  ベッドで眠るハチの額に手を当てながら、リリはヘムを睨む。 「ハチは大丈夫なの?」 「大丈夫だ。普通に会話もできるし、体も動かせる。けど、内臓までは分からん。精子くれるなら見るけど……、流石に可哀想だろ?」  童貞だからなぁと、リリは一人愚痴った。 「え? 何でダメなの? 見てあげれば良くない?」 「馬鹿野郎。お前はそんなんだからダメなんだよ。童貞だぞ? 私が絞ったら一生モンのトラウマだろ」 「え? 何で? あ、顔? リリの顔が鬼婆だからダメ? 私はギリギリ綺麗な方だと思うよ? 知らんけど」 「……もう、いい。お前とは話が合わない」 「私もそう思うけど、今はハチの方が重要でしょ!?」 「……はぁ。うるさ。面倒臭い奴だな。犬一匹に何必死になってんの?」 「私の犬なんだから当たり前だろ?」 「また飼い変えればいい。なんなら、うちの女から新しい犬をくれてやってもいい。何をそんなに執着してるんだかわから……」  その瞬間、リリの首をヘムが掴む。  指が首の肉に食い込ませて、ヘムはリリに牙を見せた。 「は? お前ん所のメスとうちのハチを一緒にするな。殺すぞ?」  これは何を言っても無駄なやつだな。  リリは早々に手を挙げる。これ以上藪を突いても仕方がない。  少し興味はあったが、死ぬのはごめんだ。 「……はいはい。で、そのお犬様のご飯は買ってこられたのか?」 「取り敢えず言われたもんは買ってきた!」 「ん。じゃ、粥でも作るか」 「パックあるよ?」 「馬鹿野郎。どれだけ内臓に負担があるかわからないから全粥作んだよ。おい、お前、なんで肉や魚買ってきてるんだ? 私米だけって言ったよな?」 「だって、ハチは肉と魚が大好きなんだよ!?」  リリは、はぁとでかいため息を吐く。  これだから。でかい子供は嫌いなんだ。 「おいおい、飼い主なのにハチ君の一番好きなもんも知らんのか? 私は知ってるけど?」 「……は?」 「ふっ。精々ハチ君に捨てられんよにしとけよ?」 「捨てらるわけねぇだろっ! 飼い主様だぞ!?」 「そうだな。ま、良い犬だと思うよ。私も。彼、お前の心配してたぞ? お前が死んだんじゃないかって思ってたよ」 「……え? 心配? 私の? 何で?」 「襲撃に会ったって言ったら、今度は怪我してないから凄い勢いで聞かれた。いい忠犬だな。自分は死にかけたってのに、ご主人様の心配するんだから」 「……ハチ」  ヘムはベッドで眠るハチの顔を覗き込む。  顔色も悪くない。痩せ細ってもいない。全てはリリのお陰だ。 「……ごめんね。待たせて」 「起きてる時に言ってやれよ。でも、起こすなよ。治療を見られると厄介だからな」 「ん」 「それにしても、お前がマフィアだと思い込んでたぞ?」 「マフィア? 何で?」 「は? お前が言ったんじゃないのか?」 「え? 言ったけ? 言ったかも知んない」 「私も訂正はしなかったが、いいのか? 本当の事言わなくて。ま、言っても信じないかもな。彼、無神論者だし」 「無神論者関係ある? 私、神様じゃないし」 「あるだろ? 神様探してんだから。と言うか、隠しておきたいわけじゃないんだな」 「まぁね。別に言っても良いよ。隠してるわけじゃないし、ハチが知りたいなら言うよ?」 「最初に言えばいいのに」  リリは買ってきたばかりの鍋を洗いながらヘムを見た。 「それは無理でしょ。だって、この子、私にお前が死ねって言ったんだよ?」 「は? 正気か? ヤバいな。」 「ねっ。ヤバいでしょ? 面白くなって勢いで飼ったけど、今最高に楽しんでるんだよね、私。この普通の人間ごっこを、さ」  ヘムはハチの頬に手を当てて笑う。  幸せそうに。  それこそ、まるで普通の人間みたいだ。 「……おいおいおい。犬にする顔じゃねぇ〜だろぉ?」 「リリも犬飼えば? わかるよ? あ、私あげた犬居るじゃん? あれどうなったの?」 「……犬? ああ。メリの事か。可愛いよ。今も変わらず可愛がってる」 「彼奴は何派?」 「賛成派。お宅の息子さん、早く楽になりたいそうだよ」 「ま、リリに上げた時点でそうなるよな。ハチは良かったね〜! リリみたいな奴じゃなくて、私に拾われて」 「メリを私にくれたのがお前と言う事実忘れるなよ? 今頃バニーガールで私の帰りを待ってると思うんだが……。うーん」 「バニーガールの格好させてんの? ヤバない?」 「いつハチ君の容態が変わるかわからんしな。数日ぐらいはついてやってた方がいいと思うんだが、ヘム。君はどう思う?」 「は? 帰ったら殺すに決まってるじゃん」  ヘムの見開いた目が、黒から赤く染まっていく。 「……そうだな。メリには悪いが、バニーガールで数日待ってもらうか」 「人の息子に凄い性癖かましてくるよね? 一応私が親なんだけど」 「今は私がご主人様だからな。私に貰われた時点で察しろよ」  そう、リリは冷たく笑った。 「ハチ、起きて」 「ん……?」  冷たい手が優しく顔に触れてくる。 「リリ、さん?」  俺は本当にあのまま寝てしまったのか。  ゆっくりと目を覚ますと、そこには……。 「わっ!?」  お兄さんの顔が間近まで迫っていた。  え!? 近っ!  驚きで飛び上がれば、お兄さんは笑って俺を見た。 「ハチっ! おはよう!」  ギュッと力強く抱き締められる。  え? 何この状況。 「おは、よう」  でも、本当にお兄さん元気だったんだ……。  良かった……。 「ごめんね、帰ってくるのが遅くなって……」 「いいよ。リリさんから話は聞いたし、仕方がないよ。俺、生きてるし! お兄さんも無事でよかった!」 「うん……。本当に良かった……」  何度も頭を撫ぜられる。  本当に、あれが最後の別れかと思ってたけど、会えてよかった。 「おい、そろそろハチ君を離してやれよ。ハチ君、本当に身体に違和感はないか?」 「あ、リリさん。おはよう」 「おはよう。で? 回答は?」 「うん、ないよ。でも、腹減ったかも」 「そうか。丁度いい。粥を作ったから食べなさい」 「え? この部屋に調理器具ないでしょ?」 「そこの馬鹿に買いに行かせてたから安心しなさい。ほら、いつまで病人に引っ付いてるつもりだ。退け」 「感動の再会なんだけど?」 「後でやれよ」  そう言うと、リリさんはお兄さんの服を掴んで俺から引き離す。  意外に力持ちだな。  それにしても、顔面力が二人とも強っ。  こう並んで改めてみると、ドラマみたいだな。 「ほら、粥だ。自分で食えるか?」 「私食べさせようか?」 「自分で食えるから大丈夫だよ。リリさん、ありがとう。お兄さんも、買い物ありがとね」 「どういたしまして。ハチの飼い主として当然よ?」 「ま、気にするな。それよりもドッグフードは食うなよ。食うならキャットフードの方が人間に必要な栄養が近い」 「え? そうなん?」 「そもそも、動物用のフードを食うな。犬の代わりでも身体は人間なんだからな。流石の私でもそんなプレイはしないぞ?」 「おい、プレイじゃないから」 「俺、お兄さんの犬だしなぁ……」 「お前ら揃ってアホだな」  リリさんは呆れた顔で俺たちを見る。  ま、俺は確かに馬鹿だけど。  でも、お兄さんはアホでも馬鹿でもないんだよな。  そう思いながら、俺は運ばれてきた粥を食べる。 「お粥美味い! リリさん料理うまいね!」 「ははは、ありがとう。そう言われるのは初めてだけど」 「え? そうなん? お兄さん言わんの?」 「え? 私? えっ? 何で……っ? お粥食べてないのに!?」 「あははは。其奴は言わんよ。そう言う男だ」 「ダメだよ。ちゃんと言わなきゃ」 「え、凄く濡れ衣……」 「濡れ衣か? お前言わないだろ」 「……言いますぅ」  やっぱり、リリさん、お兄さんの彼女なんかな。  何かここに居るのも申し訳ないけど、流石お兄さんの彼女。彼氏が俺を飼ってても全然動じてないし。  改めて、住んでる世界が違うんだな。 「暫くは粥を食えよ。肉とかはまだ後だ」 「ん。わかった」 「でも、ハチはお肉好きだよね? 可哀想じゃない? お腹空かして私のことを待っててくれたのにさ」 「其処は私に言われても。ハチ君のことを考えるなら我慢させろよ」 「リリは鬼だな」 「そこはサキュバスって言えよ。鬼はお前だ」 「私、こんなに優しいのにね? 酷い奴だよね、ハチ」 「んー。別にいいよ。リリさんは俺の事気を遣ってくれてるわけだし。肉好きだけど、我慢できるし。それより、お兄さん達は食べないの?」 「私達は君が寝てる間に済ましたよ。気にするな」 「そっか……」  二人に見られながら一人で飯食うのも気不味いけど、寝てたからなぁ。俺。 「……さて。問題なく食べれているし、私は洗い物でもしようかな」 「俺するよ? 俺のために作ってくれたんでしょ? それぐらいするし」 「ハチ君、君はまだ病み上がりだと言うことを忘れてないか? 大人しくしといた方がいい」 「そうだよ、ハチ。リリの言う通りだ。君はゆっくり体を休めた方がいい」 「え、でも……」 「私達は君より大人だからな。少しは甘えた方がいい。犬としても、な?」 「……うん」 「ほら、ヘム。お前も手伝え。いつ迄ハチ君を見てるつもりだ」  ヘム? 「えー。いつ迄でも見てられるけど?」 「お兄さん、名前ヘムって言うの?」  俺はお兄さんを見る。  初めて、この人の名前を知った。 「うん? あー。そうだね。そう言えば、そうだった」 「何だ、言ってなかったのか? 不躾な男だな」 「言うタイミングが無かったの」  そうだよな。  そう言えば、俺、お兄さんの事何にも知らないや。  いや、知らなくても不自由もないし、知らんくても全然問題なかったんだけど……。  改めて名前すら知らない事実に少し驚く。  何で驚いてるかは自分でも分からないけど。忘れてたんかな? 俺、馬鹿だし。 「本当に海外の人なんだね」 「え? 信じてなかったの?」 「いや、日本語めっちゃ上手いし」 「昔取った杵柄って奴だな。私のお陰だ、感謝しろよ?」 「リリさんがお兄さんに日本語教えたの?」 「そうだよ? 私が先に日本に来てたからね。日本は良い場所だよ。私みたいな奴にも安全に安心して金が入るかね」 「海外は違うの?」 「事情がね。少なくとも、店は持ててなかったと思うよ」 「ふーん」  海外にも色々あんだね。 「さ、話は終わり。君は沢山食べなさい。ヘム、お前はこっちだ。人に見られながご飯を食べるのは些か喉に通りにくいよ。気遣いは犬にもしろ」 「えー。いつもしてるよ?」 「じゃあ、いつも食いにくかった事だろうよ。反省して手伝え」 「ハチー!」 「本当煩いな、お前」  そう言うと、リリさんはお兄さんを引っ張って行く。 「リリさんっ!」 「ん?」 「ありがとねっ!」  こんな俺に、気を遣ってくれて。 「ふふ。いいよ。私は少なくとも、ハチ君のことを気に入っているからね」  パチンとウィンクをリリさんはくれる。  はー! マジで!? 大人の女凄い! わざとらしくないし、本当にスマートにしてくるじゃん!  絵にもなるし、すげぇ! 「いや、私も気遣い出来てますけど?」 「煩いよ、自己中男」  でも、本当は。  皆んなで飯食うのが一番いいんだけどね? 「んー。少し熱が出るか。ハチ君、体の怠さはあるかい?」 「少しだけ」  元気に粥を食い切ったのはいいが、少し時間が経つと怠さが出てくる。  顔の赤さに気付いたリリさんが熱を測ると、少し上がっている様子だったようだ。 「お兄さん、俺大丈夫だよ?」  冷静なリリさんとは対照的にお兄さんは、俺の手を握ってベッドから離れない。 「私のせいだから……」 「違うよ」  多分。  俺が弱いせいだし。 「おい、ハチ君に気を遣わせるな」 「煩いよ、リリ」 「はぁ。子供か。解熱剤はあるにはあるが、それ程高くないしな。これ以上上がるようなら飲んで貰うが、今は安静にしててくれよ」 「ん。わかった」 「私も暫くはここに滞在する予定だ。体の不調はヘムではなく私に言ってくれ」 「え? リリさんも?」 「そうだ。君の体調が戻る前に帰ると、君の飼い主に私が殺されるからな」 「えー。お兄さん心配性すぎん? 大丈夫なんだけど」 「私じゃ、ハチを治せないから。お願いだから、私の言う事聞いてよ」 「でも……」 「気にするな。店は部下に任せてあるし、私の仕事の調整もしてくれている。負担には何もなってない。それに言っただろ? 私もハチ君を気に入っているんだ。今の君をほかってはおけないよ」  リリさんは俺の額に手を当てる。  冷たいな。本当に、氷水の様だ。  でも、それが熱に魘された身体に気持ちいい。 「……本当は、体を重ねられたらいいんだけどね。流石に、今は酷だろ?」 「え? リリさんの手、冷たくて気持ちいいよ?」 「そうかい? なら、ヘムの方がいい。ヘム、ハチ君の額を触ってあげてくれよ」 「ん」  そう言って、お兄さんは俺の額に手を当てる。  あ、本当だ。  お姉さんの手より冷たくて気持ちいい。 「へへ、お兄さん有難う」 「ごめんね、私こんな事ぐらいしか出来なくて……」 「いいよ。今、すごく助かってるし」 「ハチ……。ねぇ、ハチ。何で外に出ようとしなかったの?」 「ん?」  何で?  何でそんな事、知ってるんだろ?  俺が外に出ようとしなかった事。  監視カメラとかついてんのかな? あり得る。けど、それぐらいなら最初に外に出ようとした事知ってる筈だし……。 「んー。俺馬鹿だからかな?」  ま、いいか。  どっちにしろ、俺、逃げるつもりなかったし。 「……ハチは確かに馬鹿だけど、関係なくない?」 「はは、ひでぇ」  否定なしかよ。  いいけどさ。 「でも、本当に馬鹿だからさ。お兄さんが出かけてそんなに時間経ってないかもって、ずっと倒れる迄心のどこかで思ってたんだ。もし、そうならさ、お兄さんすぐに帰ってくるかもしれないじゃん。お兄さん、すげぇぶっ飛んでる人だけど、俺に嘘は一回も言わなかったし。今回だって、すぐ帰ってくれるって言ってたし。本当に、一秒後には帰って来くれるならさ、俺もいつもみたいにお帰りって言わなきゃって思ってさ……」  本当に、俺は頭悪いんだよ。  本当に、そう信じてたんだよ。  死にかけても。  この人は絶対嘘をつかないからって。 「だから、ずっと玄関の前で待ってたの。外出たらさ、入れ違いになるかもしんないじゃん?」  例え、扉が空いたとしても、その向こうにお兄さんはいないじゃないか。 「はは、少し犬っぽくない? これ」  忠犬っぽくない? 「……そっか。有難う、ハチ。私を待っててくれて」 「うんん。お兄さんも帰ってきてくれて有難う。嬉しかったよ、俺」  信じた甲斐があったもん。 「……ずっと一緒にいるからね。何も心配せずにお休み、ハチ」 「ん」 「リリ」 「何だ?」  リリさんがお兄さんの顔を覗き込む。 「ハチを眠らせてあげて」 「分かった」  眠らせる? 「ハチ君、おやすみ。良い夢を」  そう言うと、リリさんはまた俺の目を冷たい手で覆う。  あれ?  何で?  また、眠気が体を襲う。  もう、寝れないほど寝たと言うのに。 「悪夢は全て私が食べよう」  闇に体が堕ちるのは、その言葉のすぐ後だった。

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