5 / 20
第5話
「リリっ! ハチが起きたって本当!?」
「煩いな、ヘム。今は寝てるから静かにしろ」
ベッドで眠るハチの額に手を当てながら、リリはヘムを睨む。
「ハチは大丈夫なの?」
「大丈夫だ。普通に会話もできるし、体も動かせる。けど、内臓までは分からん。精子くれるなら見るけど……、流石に可哀想だろ?」
童貞だからなぁと、リリは一人愚痴った。
「え? 何でダメなの? 見てあげれば良くない?」
「馬鹿野郎。お前はそんなんだからダメなんだよ。童貞だぞ? 私が絞ったら一生モンのトラウマだろ」
「え? 何で? あ、顔? リリの顔が鬼婆だからダメ? 私はギリギリ綺麗な方だと思うよ? 知らんけど」
「……もう、いい。お前とは話が合わない」
「私もそう思うけど、今はハチの方が重要でしょ!?」
「……はぁ。うるさ。面倒臭い奴だな。犬一匹に何必死になってんの?」
「私の犬なんだから当たり前だろ?」
「また飼い変えればいい。なんなら、うちの女から新しい犬をくれてやってもいい。何をそんなに執着してるんだかわから……」
その瞬間、リリの首をヘムが掴む。
指が首の肉に食い込ませて、ヘムはリリに牙を見せた。
「は? お前ん所のメスとうちのハチを一緒にするな。殺すぞ?」
これは何を言っても無駄なやつだな。
リリは早々に手を挙げる。これ以上藪を突いても仕方がない。
少し興味はあったが、死ぬのはごめんだ。
「……はいはい。で、そのお犬様のご飯は買ってこられたのか?」
「取り敢えず言われたもんは買ってきた!」
「ん。じゃ、粥でも作るか」
「パックあるよ?」
「馬鹿野郎。どれだけ内臓に負担があるかわからないから全粥作んだよ。おい、お前、なんで肉や魚買ってきてるんだ? 私米だけって言ったよな?」
「だって、ハチは肉と魚が大好きなんだよ!?」
リリは、はぁとでかいため息を吐く。
これだから。でかい子供は嫌いなんだ。
「おいおい、飼い主なのにハチ君の一番好きなもんも知らんのか? 私は知ってるけど?」
「……は?」
「ふっ。精々ハチ君に捨てられんよにしとけよ?」
「捨てらるわけねぇだろっ! 飼い主様だぞ!?」
「そうだな。ま、良い犬だと思うよ。私も。彼、お前の心配してたぞ? お前が死んだんじゃないかって思ってたよ」
「……え? 心配? 私の? 何で?」
「襲撃に会ったって言ったら、今度は怪我してないから凄い勢いで聞かれた。いい忠犬だな。自分は死にかけたってのに、ご主人様の心配するんだから」
「……ハチ」
ヘムはベッドで眠るハチの顔を覗き込む。
顔色も悪くない。痩せ細ってもいない。全てはリリのお陰だ。
「……ごめんね。待たせて」
「起きてる時に言ってやれよ。でも、起こすなよ。治療を見られると厄介だからな」
「ん」
「それにしても、お前がマフィアだと思い込んでたぞ?」
「マフィア? 何で?」
「は? お前が言ったんじゃないのか?」
「え? 言ったけ? 言ったかも知んない」
「私も訂正はしなかったが、いいのか? 本当の事言わなくて。ま、言っても信じないかもな。彼、無神論者だし」
「無神論者関係ある? 私、神様じゃないし」
「あるだろ? 神様探してんだから。と言うか、隠しておきたいわけじゃないんだな」
「まぁね。別に言っても良いよ。隠してるわけじゃないし、ハチが知りたいなら言うよ?」
「最初に言えばいいのに」
リリは買ってきたばかりの鍋を洗いながらヘムを見た。
「それは無理でしょ。だって、この子、私にお前が死ねって言ったんだよ?」
「は? 正気か? ヤバいな。」
「ねっ。ヤバいでしょ? 面白くなって勢いで飼ったけど、今最高に楽しんでるんだよね、私。この普通の人間ごっこを、さ」
ヘムはハチの頬に手を当てて笑う。
幸せそうに。
それこそ、まるで普通の人間みたいだ。
「……おいおいおい。犬にする顔じゃねぇ〜だろぉ?」
「リリも犬飼えば? わかるよ? あ、私あげた犬居るじゃん? あれどうなったの?」
「……犬? ああ。メリの事か。可愛いよ。今も変わらず可愛がってる」
「彼奴は何派?」
「賛成派。お宅の息子さん、早く楽になりたいそうだよ」
「ま、リリに上げた時点でそうなるよな。ハチは良かったね〜! リリみたいな奴じゃなくて、私に拾われて」
「メリを私にくれたのがお前と言う事実忘れるなよ? 今頃バニーガールで私の帰りを待ってると思うんだが……。うーん」
「バニーガールの格好させてんの? ヤバない?」
「いつハチ君の容態が変わるかわからんしな。数日ぐらいはついてやってた方がいいと思うんだが、ヘム。君はどう思う?」
「は? 帰ったら殺すに決まってるじゃん」
ヘムの見開いた目が、黒から赤く染まっていく。
「……そうだな。メリには悪いが、バニーガールで数日待ってもらうか」
「人の息子に凄い性癖かましてくるよね? 一応私が親なんだけど」
「今は私がご主人様だからな。私に貰われた時点で察しろよ」
そう、リリは冷たく笑った。
「ハチ、起きて」
「ん……?」
冷たい手が優しく顔に触れてくる。
「リリ、さん?」
俺は本当にあのまま寝てしまったのか。
ゆっくりと目を覚ますと、そこには……。
「わっ!?」
お兄さんの顔が間近まで迫っていた。
え!? 近っ!
驚きで飛び上がれば、お兄さんは笑って俺を見た。
「ハチっ! おはよう!」
ギュッと力強く抱き締められる。
え? 何この状況。
「おは、よう」
でも、本当にお兄さん元気だったんだ……。
良かった……。
「ごめんね、帰ってくるのが遅くなって……」
「いいよ。リリさんから話は聞いたし、仕方がないよ。俺、生きてるし! お兄さんも無事でよかった!」
「うん……。本当に良かった……」
何度も頭を撫ぜられる。
本当に、あれが最後の別れかと思ってたけど、会えてよかった。
「おい、そろそろハチ君を離してやれよ。ハチ君、本当に身体に違和感はないか?」
「あ、リリさん。おはよう」
「おはよう。で? 回答は?」
「うん、ないよ。でも、腹減ったかも」
「そうか。丁度いい。粥を作ったから食べなさい」
「え? この部屋に調理器具ないでしょ?」
「そこの馬鹿に買いに行かせてたから安心しなさい。ほら、いつまで病人に引っ付いてるつもりだ。退け」
「感動の再会なんだけど?」
「後でやれよ」
そう言うと、リリさんはお兄さんの服を掴んで俺から引き離す。
意外に力持ちだな。
それにしても、顔面力が二人とも強っ。
こう並んで改めてみると、ドラマみたいだな。
「ほら、粥だ。自分で食えるか?」
「私食べさせようか?」
「自分で食えるから大丈夫だよ。リリさん、ありがとう。お兄さんも、買い物ありがとね」
「どういたしまして。ハチの飼い主として当然よ?」
「ま、気にするな。それよりもドッグフードは食うなよ。食うならキャットフードの方が人間に必要な栄養が近い」
「え? そうなん?」
「そもそも、動物用のフードを食うな。犬の代わりでも身体は人間なんだからな。流石の私でもそんなプレイはしないぞ?」
「おい、プレイじゃないから」
「俺、お兄さんの犬だしなぁ……」
「お前ら揃ってアホだな」
リリさんは呆れた顔で俺たちを見る。
ま、俺は確かに馬鹿だけど。
でも、お兄さんはアホでも馬鹿でもないんだよな。
そう思いながら、俺は運ばれてきた粥を食べる。
「お粥美味い! リリさん料理うまいね!」
「ははは、ありがとう。そう言われるのは初めてだけど」
「え? そうなん? お兄さん言わんの?」
「え? 私? えっ? 何で……っ? お粥食べてないのに!?」
「あははは。其奴は言わんよ。そう言う男だ」
「ダメだよ。ちゃんと言わなきゃ」
「え、凄く濡れ衣……」
「濡れ衣か? お前言わないだろ」
「……言いますぅ」
やっぱり、リリさん、お兄さんの彼女なんかな。
何かここに居るのも申し訳ないけど、流石お兄さんの彼女。彼氏が俺を飼ってても全然動じてないし。
改めて、住んでる世界が違うんだな。
「暫くは粥を食えよ。肉とかはまだ後だ」
「ん。わかった」
「でも、ハチはお肉好きだよね? 可哀想じゃない? お腹空かして私のことを待っててくれたのにさ」
「其処は私に言われても。ハチ君のことを考えるなら我慢させろよ」
「リリは鬼だな」
「そこはサキュバスって言えよ。鬼はお前だ」
「私、こんなに優しいのにね? 酷い奴だよね、ハチ」
「んー。別にいいよ。リリさんは俺の事気を遣ってくれてるわけだし。肉好きだけど、我慢できるし。それより、お兄さん達は食べないの?」
「私達は君が寝てる間に済ましたよ。気にするな」
「そっか……」
二人に見られながら一人で飯食うのも気不味いけど、寝てたからなぁ。俺。
「……さて。問題なく食べれているし、私は洗い物でもしようかな」
「俺するよ? 俺のために作ってくれたんでしょ? それぐらいするし」
「ハチ君、君はまだ病み上がりだと言うことを忘れてないか? 大人しくしといた方がいい」
「そうだよ、ハチ。リリの言う通りだ。君はゆっくり体を休めた方がいい」
「え、でも……」
「私達は君より大人だからな。少しは甘えた方がいい。犬としても、な?」
「……うん」
「ほら、ヘム。お前も手伝え。いつ迄ハチ君を見てるつもりだ」
ヘム?
「えー。いつ迄でも見てられるけど?」
「お兄さん、名前ヘムって言うの?」
俺はお兄さんを見る。
初めて、この人の名前を知った。
「うん? あー。そうだね。そう言えば、そうだった」
「何だ、言ってなかったのか? 不躾な男だな」
「言うタイミングが無かったの」
そうだよな。
そう言えば、俺、お兄さんの事何にも知らないや。
いや、知らなくても不自由もないし、知らんくても全然問題なかったんだけど……。
改めて名前すら知らない事実に少し驚く。
何で驚いてるかは自分でも分からないけど。忘れてたんかな? 俺、馬鹿だし。
「本当に海外の人なんだね」
「え? 信じてなかったの?」
「いや、日本語めっちゃ上手いし」
「昔取った杵柄って奴だな。私のお陰だ、感謝しろよ?」
「リリさんがお兄さんに日本語教えたの?」
「そうだよ? 私が先に日本に来てたからね。日本は良い場所だよ。私みたいな奴にも安全に安心して金が入るかね」
「海外は違うの?」
「事情がね。少なくとも、店は持ててなかったと思うよ」
「ふーん」
海外にも色々あんだね。
「さ、話は終わり。君は沢山食べなさい。ヘム、お前はこっちだ。人に見られながご飯を食べるのは些か喉に通りにくいよ。気遣いは犬にもしろ」
「えー。いつもしてるよ?」
「じゃあ、いつも食いにくかった事だろうよ。反省して手伝え」
「ハチー!」
「本当煩いな、お前」
そう言うと、リリさんはお兄さんを引っ張って行く。
「リリさんっ!」
「ん?」
「ありがとねっ!」
こんな俺に、気を遣ってくれて。
「ふふ。いいよ。私は少なくとも、ハチ君のことを気に入っているからね」
パチンとウィンクをリリさんはくれる。
はー! マジで!? 大人の女凄い! わざとらしくないし、本当にスマートにしてくるじゃん!
絵にもなるし、すげぇ!
「いや、私も気遣い出来てますけど?」
「煩いよ、自己中男」
でも、本当は。
皆んなで飯食うのが一番いいんだけどね?
「んー。少し熱が出るか。ハチ君、体の怠さはあるかい?」
「少しだけ」
元気に粥を食い切ったのはいいが、少し時間が経つと怠さが出てくる。
顔の赤さに気付いたリリさんが熱を測ると、少し上がっている様子だったようだ。
「お兄さん、俺大丈夫だよ?」
冷静なリリさんとは対照的にお兄さんは、俺の手を握ってベッドから離れない。
「私のせいだから……」
「違うよ」
多分。
俺が弱いせいだし。
「おい、ハチ君に気を遣わせるな」
「煩いよ、リリ」
「はぁ。子供か。解熱剤はあるにはあるが、それ程高くないしな。これ以上上がるようなら飲んで貰うが、今は安静にしててくれよ」
「ん。わかった」
「私も暫くはここに滞在する予定だ。体の不調はヘムではなく私に言ってくれ」
「え? リリさんも?」
「そうだ。君の体調が戻る前に帰ると、君の飼い主に私が殺されるからな」
「えー。お兄さん心配性すぎん? 大丈夫なんだけど」
「私じゃ、ハチを治せないから。お願いだから、私の言う事聞いてよ」
「でも……」
「気にするな。店は部下に任せてあるし、私の仕事の調整もしてくれている。負担には何もなってない。それに言っただろ? 私もハチ君を気に入っているんだ。今の君をほかってはおけないよ」
リリさんは俺の額に手を当てる。
冷たいな。本当に、氷水の様だ。
でも、それが熱に魘された身体に気持ちいい。
「……本当は、体を重ねられたらいいんだけどね。流石に、今は酷だろ?」
「え? リリさんの手、冷たくて気持ちいいよ?」
「そうかい? なら、ヘムの方がいい。ヘム、ハチ君の額を触ってあげてくれよ」
「ん」
そう言って、お兄さんは俺の額に手を当てる。
あ、本当だ。
お姉さんの手より冷たくて気持ちいい。
「へへ、お兄さん有難う」
「ごめんね、私こんな事ぐらいしか出来なくて……」
「いいよ。今、すごく助かってるし」
「ハチ……。ねぇ、ハチ。何で外に出ようとしなかったの?」
「ん?」
何で?
何でそんな事、知ってるんだろ?
俺が外に出ようとしなかった事。
監視カメラとかついてんのかな? あり得る。けど、それぐらいなら最初に外に出ようとした事知ってる筈だし……。
「んー。俺馬鹿だからかな?」
ま、いいか。
どっちにしろ、俺、逃げるつもりなかったし。
「……ハチは確かに馬鹿だけど、関係なくない?」
「はは、ひでぇ」
否定なしかよ。
いいけどさ。
「でも、本当に馬鹿だからさ。お兄さんが出かけてそんなに時間経ってないかもって、ずっと倒れる迄心のどこかで思ってたんだ。もし、そうならさ、お兄さんすぐに帰ってくるかもしれないじゃん。お兄さん、すげぇぶっ飛んでる人だけど、俺に嘘は一回も言わなかったし。今回だって、すぐ帰ってくれるって言ってたし。本当に、一秒後には帰って来くれるならさ、俺もいつもみたいにお帰りって言わなきゃって思ってさ……」
本当に、俺は頭悪いんだよ。
本当に、そう信じてたんだよ。
死にかけても。
この人は絶対嘘をつかないからって。
「だから、ずっと玄関の前で待ってたの。外出たらさ、入れ違いになるかもしんないじゃん?」
例え、扉が空いたとしても、その向こうにお兄さんはいないじゃないか。
「はは、少し犬っぽくない? これ」
忠犬っぽくない?
「……そっか。有難う、ハチ。私を待っててくれて」
「うんん。お兄さんも帰ってきてくれて有難う。嬉しかったよ、俺」
信じた甲斐があったもん。
「……ずっと一緒にいるからね。何も心配せずにお休み、ハチ」
「ん」
「リリ」
「何だ?」
リリさんがお兄さんの顔を覗き込む。
「ハチを眠らせてあげて」
「分かった」
眠らせる?
「ハチ君、おやすみ。良い夢を」
そう言うと、リリさんはまた俺の目を冷たい手で覆う。
あれ?
何で?
また、眠気が体を襲う。
もう、寝れないほど寝たと言うのに。
「悪夢は全て私が食べよう」
闇に体が堕ちるのは、その言葉のすぐ後だった。
ともだちにシェアしよう!